今日はノーマルテイクオフの後、いったん2000フィートの高度まで上昇し、そこから左右8の字に旋回を繰り返しながらさらに上昇を続け、旋回終了時には高度5500フィートの高度まで登り詰める、という内容である。
訓練の主旨としては、あえて水平線の見きわめが難しくなる高い空域で旋回訓練を実施する事によって、技量を身につけようという訓練だ。
まずは離陸から振り返ってみよう。ラダーペダルを踏む足がある程度使えるようになった。離陸滑走時に定める目標を、ランウェイのエンドに置くようにという教官の指示を守ることによって、最初の頃に比べればだいぶ機体をまともに滑走させる事が出来るようになってきた。
しかし、しかしである。まっすぐに走らせることに精一杯で、引き起こし操作がお留守になり、またもや教官の手を借りて離陸した。離陸後、左からの横風にも取られ、機首のさらなる左偏向を助長してしまい、離陸後のピッチ姿勢も定まらない不安定な離陸となってしまった。
前方の山がカウリングに隠れないようなピッチ姿勢の維持をするようにと、指導を受けたが、わかっていても現実にはなかなかうまく操縦できない。私にとっての鬼門は離陸後3分と着陸前8分の計11分間、つまりクリティカルイレブンにあると言えそうだ。
ひとたび上空に上がってからは、教官がこれまでにあえて難易度の高い45度バンクの旋回を訓練させてくれていたおかげで、30度バンクの旋回だけで通した今日の旋回訓練は楽に感じた。
自家用操縦士の試験課目にはない、45度バンク旋回の訓練をする事で、技量を身に付けさせようとする教官の親心
に感謝したい。
旋回の出来具合としては、まるで披露出来るようなレベルでないことはわかっているが、自分のイメージにほんの少し近づいただけでも満足感がある。
バンクさせた直後の操作が適切であれば、それだけで飛行機というものは安定し、スムーズに旋回する。一度安定したらへたに力を加えない。それも操縦技術だと教官におしえてもらった。
旋回操作の初期段階で、滑らかに持っていくことがいかに大切かということを体で感じ取る事ができた気がする。机上の理論だけではけして理解できない部分だと思う。
フルパワーでの右上昇旋回では、左上昇旋回よりもラダーペダルの踏み込み量を多く必要とするということも、操縦しながら感触をつかむことが出来た。飛行機に慣れてきたせいか、上空に上がってからそのへんを冷静にC/Kする余裕も少しは出てきた。
5500フィートの高度まで上りつめた頃、今日予定していた訓練時間の残りも少なくなり、ETA(着陸予定時刻)の時間まで残すところ5分となった。
さて、
ここからが圧巻である。教官の持つ高度な操縦技術を再び目の当たりにすることになった。
エンジントラブルによる不時着を想定し、飛行場から約5マイル離れたこの位置から、教官の操縦により滑空で降りていくのだ。高度5500フィートの上空からは、10時の方向に小さく飛行場が見えている。
ほぼアイドルまでパワーを絞られた機体は機首を下げ、まるでグライダーのように静かな滑空に入った。目の前で回っているプロペラは、動体視力を駆使すれば、その回転が止まって見えそうなほど、ゆっくり回っている。
トリムを調整し、最適な降下速度である65ノットをメインテインしながら、パワーカットされた機体を飛行場へと導いていく。
視覚的にはずいぶんフワフワ滑空できるものだなと思った。こんなにゆっくりゆっくり降りて行けば、けっこう長い距離を飛べそうだなと感じていた。
昨年、ASK-13という滑空比27のグライダーに乗ったが、その時の滑空状態と比較しても、さほど降下率は大差ないような気さえしていた。
しかし自分のそんな感覚とは裏腹に、昇降計が示している値は毎分1000フィートの降下率をさらに下回り、針を振り切っている。高度計の針も反時計方向へと、どんどん回っている。そして空港の風下側に位置したところからフォワードスリップでいっきに高度処理が施されていく・・
あれほど高かった高度から、気がつけばすでにファイナルの適正グライドパスに乗ったことを示すPAPIの赤白ランプを確認できる位置にあり、そのまま滑り込むようにランディングした。着陸時間はピタリ予定通りの時間。
そのあまりの見事さにあっけにとられ、ポカンと空いたままの口からつい、出てしまったよだれをあわてて拭きながら、接地した機体に私はブレーキをかけた。そして駐機場へタキシング、最後の締めくくりをした。
事業用操縦士ライセンスの取得訓練で、この課目が必須である事は私も知っているが、もちろんその飛行技術を見るのは初めてだ。
上空でほんとにエンジンがトラブった場合、一発勝負のこの飛行にやり直しはきかない。教官にしてみれば、出来て当たり前の操縦技術ということになるのだろうが私にとっては、恐れ入りました
という言葉以外になかった。
再び諺に例えるなら、『ローマは一日にしてならず』→『技量は一日にしてならず』と解釈したい。
いい年になってくると、経験が増え物事に動じなくなってくる反面、心を動かされる、なにかに感動する、ということが年々少なくなってしまう気がするが、今日という今日はついに魂を打ち抜かれてしまった・・
いつの日か自由自在に飛行機を操縦できる日が来ることを夢見て、私の操縦訓練は続く・・・