ロック岩崎の根性

2005年08月21日 | 航空祭

築城航空祭の時、曲技専用機ピッツで登場したロック岩崎の見事な曲技飛行を見た。

彼の飛びっぷりはほんとに素晴らしかった。ローリングサークル、スピン、あれだけグルグル回転してなぜ目が回らないのだろうと不思議に思った。

だが意外なことに航空学生時代、訓練の度にさんざん飛行機酔いに悩まされていたという。なんと吐いたものを上空で教官に気づかれないように、飲み込みながら根性で乗り切ってウィングマークを勝ち取ったと言うのである。空を目指す男の、意思の強さと、その根性に私は感銘を受けた。

このことは彼の著書『最強の戦闘機パイロット』に書かれている。 私も一度ひどい揺れで飛行機酔いし、吐く一歩手前までいった経験がある。小型機は旅客機と違い、5000フィート以下で飛ぶ事が多い。風の強い日に山の風下側に入ると、まず間違いなく気流が荒れている。

経験した人でないとわからないと思うが、そういう悪気流のなかでの小型機は地上や海上の乗り物では考えられないようなゆれ方をする。 ゆれるなんて生易しいものではなくて、前後左右上下に激しく突き上げられたり、突き落とされたり・・例えれば、バーテンダーがカクテルを作る時に振り回すあのシェーカーみたいに振り回される、と言っても過言ではないと思う。

アマチュアなら天候のよい日を選んで飛べばいいが、プロの場合はちょっと事情が違う。『今日はちょっと風が強いみたいだからやめておこう』などとは言っていられないのだ。

上空での演技を終え、地上に降りてきたロックはたくさんの観客の声援に応えて元気に走り回っていた。私も芦屋基地航空祭の時、彼と握手を交わした。

 

 

あれだけハードな曲技飛行をこなせば、彼のように鍛え上げた肉体といえども体はヘトヘトになっているはずなのに、笑顔で

ありがとう! ありがとう!

と言いながら観客の声援に応える彼の姿は輝いていた

 

残念なことにロック岩崎はある日突然に遠い彼方へ旅立ってしまった・・・ 私は出張から戻る電車の中で、友人達から次々と送られてくるメールで事故の事を知った。

携帯の画面に映し出される信じられない報告に、思わずウソだ、とつぶやいていた・・・ウソであってほしかった・・

自分自身の夢を実現しただけでなく、たくさんの人々に曲技飛行というものを通して勇気と希望、そして夢を与え続けてくれたロック岩崎に、今度は私のほうからあらためて『ありがとう!』の言葉を彼に送りたい。

輝く夜空の星

となったロック岩崎に心を込めてエールを送る

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訓練6日目

2005年08月13日 | 軽飛行機
今日はノーマルテイクオフの後、いったん2000フィートの高度まで上昇し、そこから左右8の字に旋回を繰り返しながらさらに上昇を続け、旋回終了時には高度5500フィートの高度まで登り詰める、という内容である。

訓練の主旨としては、あえて水平線の見きわめが難しくなる高い空域で旋回訓練を実施する事によって、技量を身につけようという訓練だ。

まずは離陸から振り返ってみよう。ラダーペダルを踏む足がある程度使えるようになった。離陸滑走時に定める目標を、ランウェイのエンドに置くようにという教官の指示を守ることによって、最初の頃に比べればだいぶ機体をまともに滑走させる事が出来るようになってきた。

しかし、しかしである。まっすぐに走らせることに精一杯で、引き起こし操作がお留守になり、またもや教官の手を借りて離陸した。離陸後、左からの横風にも取られ、機首のさらなる左偏向を助長してしまい、離陸後のピッチ姿勢も定まらない不安定な離陸となってしまった。

前方の山がカウリングに隠れないようなピッチ姿勢の維持をするようにと、指導を受けたが、わかっていても現実にはなかなかうまく操縦できない。私にとっての鬼門は離陸後3分と着陸前8分の計11分間、つまりクリティカルイレブンにあると言えそうだ。

ひとたび上空に上がってからは、教官がこれまでにあえて難易度の高い45度バンクの旋回を訓練させてくれていたおかげで、30度バンクの旋回だけで通した今日の旋回訓練は楽に感じた。

自家用操縦士の試験課目にはない、45度バンク旋回の訓練をする事で、技量を身に付けさせようとする教官の親心に感謝したい。

旋回の出来具合としては、まるで披露出来るようなレベルでないことはわかっているが、自分のイメージにほんの少し近づいただけでも満足感がある。

バンクさせた直後の操作が適切であれば、それだけで飛行機というものは安定し、スムーズに旋回する。一度安定したらへたに力を加えない。それも操縦技術だと教官におしえてもらった。

旋回操作の初期段階で、滑らかに持っていくことがいかに大切かということを体で感じ取る事ができた気がする。机上の理論だけではけして理解できない部分だと思う。

フルパワーでの右上昇旋回では、左上昇旋回よりもラダーペダルの踏み込み量を多く必要とするということも、操縦しながら感触をつかむことが出来た。飛行機に慣れてきたせいか、上空に上がってからそのへんを冷静にC/Kする余裕も少しは出てきた。

5500フィートの高度まで上りつめた頃、今日予定していた訓練時間の残りも少なくなり、ETA(着陸予定時刻)の時間まで残すところ5分となった。

さて、ここからが圧巻である。教官の持つ高度な操縦技術を再び目の当たりにすることになった。

エンジントラブルによる不時着を想定し、飛行場から約5マイル離れたこの位置から、教官の操縦により滑空で降りていくのだ。高度5500フィートの上空からは、10時の方向に小さく飛行場が見えている。

ほぼアイドルまでパワーを絞られた機体は機首を下げ、まるでグライダーのように静かな滑空に入った。目の前で回っているプロペラは、動体視力を駆使すれば、その回転が止まって見えそうなほど、ゆっくり回っている。

トリムを調整し、最適な降下速度である65ノットをメインテインしながら、パワーカットされた機体を飛行場へと導いていく。

視覚的にはずいぶんフワフワ滑空できるものだなと思った。こんなにゆっくりゆっくり降りて行けば、けっこう長い距離を飛べそうだなと感じていた。

昨年、ASK-13という滑空比27のグライダーに乗ったが、その時の滑空状態と比較しても、さほど降下率は大差ないような気さえしていた。

しかし自分のそんな感覚とは裏腹に、昇降計が示している値は毎分1000フィートの降下率をさらに下回り、針を振り切っている。高度計の針も反時計方向へと、どんどん回っている。そして空港の風下側に位置したところからフォワードスリップでいっきに高度処理が施されていく・・

あれほど高かった高度から、気がつけばすでにファイナルの適正グライドパスに乗ったことを示すPAPIの赤白ランプを確認できる位置にあり、そのまま滑り込むようにランディングした。着陸時間はピタリ予定通りの時間。

そのあまりの見事さにあっけにとられ、ポカンと空いたままの口からつい、出てしまったよだれをあわてて拭きながら、接地した機体に私はブレーキをかけた。そして駐機場へタキシング、最後の締めくくりをした。

事業用操縦士ライセンスの取得訓練で、この課目が必須である事は私も知っているが、もちろんその飛行技術を見るのは初めてだ。

上空でほんとにエンジンがトラブった場合、一発勝負のこの飛行にやり直しはきかない。教官にしてみれば、出来て当たり前の操縦技術ということになるのだろうが私にとっては、恐れ入りました という言葉以外になかった。

再び諺に例えるなら、『ローマは一日にしてならず』→『技量は一日にしてならず』と解釈したい。

いい年になってくると、経験が増え物事に動じなくなってくる反面、心を動かされる、なにかに感動する、ということが年々少なくなってしまう気がするが、今日という今日はついに魂を打ち抜かれてしまった・・

いつの日か自由自在に飛行機を操縦できる日が来ることを夢見て、私の操縦訓練は続く・・・
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古き良き時代

2005年08月06日 | 航空祭
幼稚園卒園の時、記念の皿に飛行機の絵を描いた。断片的な記憶しか残ってないが、空を飛ぶものに対する反応と関心の深さは他の子とは違っていたようだ。

小学校に上がってからは、近所で模型飛行機を飛ばしている人がいると、とんで見に行くような子供だった。当時はUコンという、ワイヤーでつながれてコントロールするエンジン付き模型飛行機が盛んだった。

当時はそこらじゅうに空き地というものがたくさん存在し、そうしたところで中学生が集まってよく模型飛行機を飛ばしていた。模型エンジン特有のあのカン高い排気音を聞きつけると、駆けつけて覗き込んではその場から離れなかった。

中学生達にしてみれば、かなりウザイ存在だったに違いない。燃料に使われていたヒマシ油とニトロベンゾールの強烈な臭いが懐かしい。

今では考えられないが、その頃はよく小型機(おそらくセスナ)がビラを撒きに飛んできた。私はビラを拾う事よりも小型飛行機が低空で自分の家の近くまで飛んできた事、それだけで嬉しかった。

目を閉じれば、赤く染まった夕焼け空をバックに、飛び去る飛行機を追って走っていく自分の姿がシルエットとなって頭の中に映し出される。まさに古き良き時代だったと思う

空港が自宅から自転車で行けるほどの所にあった。それこそ毎日のように通っては東亜国内航空(現JAL)のYS-11や全日空フレンドシップの離陸や着陸のようすを飽きずに眺めていた。

車の排気ガスの臭いは嫌いだが、飛行機の排気の臭いはなぜか好きだ。大人になった今でも航空燃料ケロシンの燃えたジェットエンジン独特のあの排気の臭いにひかれる。ここまでくればほとんどビョーキかもしれない・・

飛行機が登場する映画を見ると、つい自分が主人公になってしまったような錯覚に陥る。ロバートレッドフォード『華麗なるヒコーキ野郎』、トムクルーズ『トップガン』、ベンアフレック&ジョシュハートネット『パールハーバー』etc・・

携帯の着メロは『トップガン』、読む本はと言えば、柳田邦男『マッハの恐怖』、加藤寛一朗『飛行の真髄』etc・・飛行機関係の本ばかり。自分でもあきれるほど飛行機漬けの毎日である。

気がつけば半世紀近くも年齢を重ねてきてしまった。ここらで勝手にいい夢を見させてもらってもバチはあたるまい
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