a target="_blank">
この写真は、 世界大会1日目の夜開かれた、「核兵器なくそう・世界青年のつどいinヒロシマ」です。
世界と日本全国から参加した青年代表は1500人!
「イギリス核軍縮キャンペーン」のブルース・ケントさんは、元兵士。79歳と自己紹介されましたが、「生きているうちに変革を起こすことはできる。進歩は可能と楽観している」「核兵器は、(後々の)すべての世代において文明を破壊するもの」と話されました。
秋葉忠利・広島市長が分刻みのスケジュールのなか、「青年のつどい」にもかけつけ、あいさつしてくれました。
「被爆者の平均年齢は75歳をこえました。当時12、3歳の子どもたちだった方です。
核廃絶の運動は、当時の子どもたちの思いを引き継ぐ、子どもたちの運動といっても過言ではない」との話は印象的でした。
そのうえで被爆者の足跡を
1.たとえ死を選んでも誰も非難できないほどの、常識が通用しない被害を受け、それでもなお生を選んできた事実。想像力で補って理解することの大事さ
2.被爆者は思い出したくない(今なお、語れない方、今始めて語る方もいます)被害を、語るためにそれでもあえて思い出し、語ってきた。その勇気が核兵器の連鎖反応的な「3度目」の使用を防いできた。
3.核爆弾投下後、アインシュタインは「世界は変わってしまった。変わらなかったのは人間の考え方だ」と言ったそうですが、アインシュタインは被爆者の言動を知らなかったから。被爆者は「こんな思いは、他の誰にもさせてはならない」と、報復でなく、和解の哲学を示している。
と強調されました。
また核兵器はどんなに残酷で、恐ろしいかについては、人類共通の認識になっていない(たとえばホロコーストはまったく違う)。そこで、世界と日本の大学で、体系的に、組織的に学んでもらうために、「ヒロシマ・ナガサキ講座」を開講してもらうよう努力を強めているそうです。
「平和市長会議に世界131カ国2368年が加盟していることは、秋葉さんの開会総会と「青年のつどい」での話で初めて知りました。5年で2000市近くが加盟したそうです。最も市民と近い存在である都市の動き、非核地帯条約が約120カ国に広がる事実、アメリカでも核廃絶に6~7割が賛成する時代でもあります。秋葉さんは、世界の圧倒的多数の人たちは核廃絶を願っているし、実現が不可能ではない状況を作ってきたのは被爆者と世界各地での運動だということが、確信になる話でした。
原爆症認定集団訴訟・熊本原告団事務局長の中山高光さんと、ボーカリストの形岡七恵さんの対談もありました。
一番伝えたいこととして、「核兵器をなくすことができる時代だ」とおっしゃり、5年前、インドのムンバイで開かれた社会フォーラムに130カ国から12万人が参加、「もうひとつの世界は可能だ」と大成功を収めたことは、NHKも一般紙も報道しなかったことにもふれ、日本のメディアが国民に希望を持たせない点を批判。だから、世界各国と比べ、日本の世論調査では「核廃絶できると思わない」人が多いのだと述べられました。
アメリカ・ネバダやアラモゴード、韓国などの被爆者、核実験場などを訪れた際、日本の加害を率直に日本国民の一人として謝罪し、そのうえで核兵器の間違いを訴えると、反応がまったく違う、共感されるとの話が私には一番印象に残りました。
←4枚目の列車を横から見た図。すみません、吉永小百合さんのファンなもので。
報告が大変遅くなってすみません。先日の記事で少し書きましたが、4日から6日まで、「原水爆禁止2008年世界大会・広島」に、新宿代表団の一員として参加しました。広島駅から広島電鉄の路面電車で、宿と会場へ。
ここまで写真をご覧になった方、カンパで送り出してくださった方々に、「電車の写真を撮りに広島までいったのか?」と思われそうですね。本題へ急ぎます。
開会総会では、ご存知、秋葉忠利広島市長が発言、生き残った被爆者の心の傷はいえないこと、核兵器から身を守る手段は核廃絶しかないことを強調しました。
クラスター爆弾の禁止条約が結ばれたことや、カリフォルニア州や広島市の温暖化対策の実例を挙げ、21世紀は、市民の力、都市単位で問題を解決する時代だとも述べていたのが印象的でした。
国連から、事務総長の代理として初参加したのがセルジオ・ドゥアルテ軍縮問題担当上級代表。
ブラジルの外交官時代も含め、40年以上軍縮に携わってきたそうです。「核廃絶は、失敗したのではなく、進行中の努力。無意味だと思ったらこんなに長年取りくまない、人類の営みの中で、最も崇高な活動のひとつだ」との発言に胸をゆさぶられました。
アメリカの核開発を進めてきたキッシンジャー氏やシュルツ元国務長官なども核廃絶を主張していることなど、核廃絶は不可能な理想なのではなく、世界の流れとして強く大きな流れとなっていることに確信を持ちました。被爆者にお会いして伺った話など、まだ続きます。
報告が大変遅くなってすみません。先日の記事で少し書きましたが、4日から6日まで、「原水爆禁止2008年世界大会・広島」に、新宿代表団の一員として参加しました。広島駅から広島電鉄の路面電車で、宿と会場へ。
ここまで写真をご覧になった方、カンパで送り出してくださった方々に、「電車の写真を撮りに広島までいったのか?」と思われそうですね。本題へ急ぎます。
開会総会では、ご存知、秋葉忠利広島市長が発言、生き残った被爆者の心の傷はいえないこと、核兵器から身を守る手段は核廃絶しかないことを強調しました。
クラスター爆弾の禁止条約が結ばれたことや、カリフォルニア州や広島市の温暖化対策の実例を挙げ、21世紀は、市民の力、都市単位で問題を解決する時代だとも述べていたのが印象的でした。
国連から、事務総長の代理として初参加したのがセルジオ・ドゥアルテ軍縮問題担当上級代表。
ブラジルの外交官時代も含め、40年以上軍縮に携わってきたそうです。「核廃絶は、失敗したのではなく、進行中の努力。無意味だと思ったらこんなに長年取りくまない、人類の営みの中で、最も崇高な活動のひとつだ」との発言に胸をゆさぶられました。
アメリカの核開発を進めてきたキッシンジャー氏やシュルツ元国務長官なども核廃絶を主張していることなど、核廃絶は不可能な理想なのではなく、世界の流れとして強く大きな流れとなっていることに確信を持ちました。被爆者にお会いして伺った話など、まだ続きます。
更新が遅くなりました。
先週末は、千代田の地元の町会、新宿の町会、商店会などの納涼パーティーや盆踊りにおじゃましました。写真は東京に帰ってからアップさせていただきます。
4日から、冨田は広島で行われている原水爆世界大会に参加しています。
被爆者の方や、参加している特に若いみなさんに元気をもらっています!
くわしくは後日お伝えしたいと思います。
明日は8月6日です。
おやすみなさい。
先週末は、千代田の地元の町会、新宿の町会、商店会などの納涼パーティーや盆踊りにおじゃましました。写真は東京に帰ってからアップさせていただきます。
4日から、冨田は広島で行われている原水爆世界大会に参加しています。
被爆者の方や、参加している特に若いみなさんに元気をもらっています!
くわしくは後日お伝えしたいと思います。
明日は8月6日です。
おやすみなさい。
24日、「2008年原水爆禁止国民平和大行進」に参加しました!
今年で50年になるとりくみです。全国から3つのコースに分かれ、東京・上野公園を目指します。私は北海道から東京に南下してくるコースに、新宿実行委員会のみなさん、大山とも子都議、共産党新宿区議団のみなさんと一緒に、新宿区内を次の文京区との引継ぎ地点まで歩きました。
1枚目の写真は、新宿区役所前での引継ぎ・出発式でごあいさつする私です。この出発式には、新宿区長と区議会議長それぞれからメッセージが届き、職員の方が代読してくださいました。行政と議会の対応に、長年の平和運動の積み重ねの一端を見た思いがしました。私の左に赤い旗を持って写っているのは、北新宿・西新宿生活相談室長の佐藤佳一さんです。
平和、反核の思いでコースの全工程を歩きった「通し行進者」の渡邉正郎(まさお)さんと一緒の横断幕を持ち、歩きました。5月から80日間歩いているというのに、遠藤に元気いっぱいに声をかけていく姿に元気をもらい、沿道のみなさんに手を振り、声をかけてアピールしました。
専門学校の学生が2人、飛び入りで一緒に歩いてくれました!
行進のみなさんと別れ、着替え、高田馬場に移動。
消費税廃止新宿各界連のみなさんと、消費税増税ストップの宣伝、署名にとりくみました。福田首相が増税発言を行った後だけに、「消費税に頼らず、社会保障を支える財源はあります。」と力を込めました。
毎月、消費税導入が強行された24日に宣伝を行っています。みなさんが準備したチラシつきティッシュの受け取りもよく、今回は、署名の数がいつもよりかなり多かったそうです!