太平洋戦争(第2次世界大戦)時の兵士の手記に
「刈り入れ前の田圃を見つけたので、久しぶりに腹いっぱい米を食べた」とさらりと書いてある。
あまりにも簡潔に軽く書かれているので、何の疑問もなく「あ~、そうなの」と思っていたが、よくよく考えてみると、これってかなり大変なのではなかろうか?と感じ始めた。
なぜなら
1.田圃の稲を発見
2.刈り取り
3.脱穀
4.籾摺り
5.精米
6.炊飯
刈り取った稲の乾燥をやらなくてもこれだけの手数がかかるのだ。しかも戦場ですから。
そこで、夏キャンプに合わせて検証実験をしてみようと思い立った。
籾の付いた米が入手できるかが最大のポイントだったが、馴染みのお米屋さんが「米は籾付きで保存している」との事で、事情をお話したら籾付きの米を分けてくださると言われた。これはありがたい。一も二もなくご厚意をお受けすることにした。
7月の16~18の3連休に信州木崎湖でキャンプをする。この2泊3日の中日に検証することにした。
7/17(日)木崎湖キャンプ場で籾摺に挑む日本軍ゆかいな3人組。やはり旧日本軍の手記をもとに検証するので姿形から入るのだった。
さて、ここから籾摺りして炊飯を体験してみたレポートです。
旧日本陸軍は南方戦線で刈り入れ前の田圃を見つけ、いかにして腹いっぱい米を食べたのか??
当時の軍隊の兵階級は、地方の農村出身者が多く、籾摺りや精米なんて特別に記録することもないような、日常の作業だったのだろう。文献に実際にどうやってどの程度労力が掛かったのかなんて、全く書かれていない。
自分たちも経験がない。まあ、やるだけやって見よう。...
文献の数少ない資料では、籾付きの米を鉄帽(ヘルメット)に入れてエンピ(携帯スコップ)の柄で突いて籾摺りをしたらしい。旧日本軍の鉄帽は頭を固定するためのストラップなどが作り付けで外せなかったので、そんな物で米を突いたのか!と驚嘆する。
今回用意したのは自衛隊のヘルメットの外帽。大戦時の米軍とほぼ同型だ。こいつは頭を固定するストラップが付いた内帽(ライナー)と金属製の外帽が分離できるので、底の丸い鍋のような形の金属製の器になる。
籾付きの米を入れて、エンピの柄に見立てたすりこ木で突く。最初は力加減も、そもそもどうやって突くのが良いのかさえ分からなかった。いくら突いても籾に何の変化も見られなくて、入口で心が折れそうになる。
3人交代で突きまくっているうちに、何となく手ごたえと言うか感触が分かってきた。思っていたよりかなり力を入れてもよく、また鉄棒の一番深い中心部分を重点的に突けば良いのだ。「プチッ」と小さな音と、はじけるような僅かな感触が感じられて、これがすなわち籾が剥がれている証拠なのだった。
突いてはふるいにかけ、風で飛ばしたりして外れた籾殻を除くと、徐々に玄米が多くなってきた。
こうして日本軍兵士3人がかりでの4時間余りの苦労で、とれた玄米は飯盒の内蓋に摺り切り1杯。つまり2合だった。これは日本兵の1人当たりの1食分に相当する。なんか苦労があまり報われてない感じがする。
これを飯盒で炊くわけだが、玄米なのですぐには焚けない。1時間程度水に浸けて準備をする。
さて、飯盒を見て「米を炊く道具」と思うのは日本人だけだ。もともとはただの野外用食器。だから米を炊くには大きさも形状も適していない。もしこの形状で誰でも簡単に旨い米が炊けるなら、象印かアイリスから「飯盒炊き電気炊飯器」が発売されてるはずだ。
苦節4時間弱、その後玄米を水に浸けて1時間。凡そ5時時間以上掛かってやっと取れた玄米2合と、別に購入したジャスミン米2合を焚火で炊く。飯盒に焚火で炊飯するには技術がいりますよ。我々は数十次に及ぶ経験から飯盒炊飯用の枠を自作してある。飯盒の位置も高さも調整が出来るので、最適な加熱加減を作り出せる。
ついに米が炊けた!苦労もあって感慨も格別だ。別に作っておいたカレーで、キャンプ料理の定番夕食となる。まあ、カレーは海軍さんの十八番だが、まあいいでしょう。わざわざ大きなステンレス製カレー皿を持ち込み、玄米とジャスミン米を盛り付けていただきました。
この他かねてよりの軍隊伝説に、「上手な人はろうそく1本で炊飯できる」というのがある。ろうそく1本が持つエネルギー量と、飯盒で炊飯するのに必要な熱量はそれぞれ計算できるが、はたして本当にできるのか???無理なような気がするけど‥それならそれでろうそくが何本あれば炊飯できるのか?また検証をしてみたい。
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