goo blog サービス終了のお知らせ 

人生、後悔のない航海へ!(コーチ・らしんばん)  

仕事も人生も思いのまま。今日は、人生という真っ白なカンバスにどんな絵を描きますか。

「無駄に見える時間が、人生を動かしていた」

2025年05月21日 | 日記・エッセイ・コラム

人生に無駄なことなど一つもない

~ 病気も不幸も すべて意味がありました ~

「無駄なことは一つもなかった」
これは、曾野綾子さんの著書『老いの冒険』の一節です。

私は20代の頃から、「無駄の効用」という言葉をよく口にしていました。
ここでの“無駄”とは、おこがましい言い方かもしれませんが、主に「学問」のことを指しています。

当時の受験勉強といえば、「大学受験に必要のない科目は勉強しない」という風潮が主流でした。
でも、私はどこかで信じていたのです。
「勉強に無駄などないのだ」と。

その背景には、周囲からどんどん置いていかれるような、惨めさや焦り、そして恐怖がありました。

まだインターネットが普及しておらず、書籍も自由に手に入らない時代。
コンビニなんてもちろんない。
大学もない地方の町では、専門書の入手はほぼ不可能。
どうしても必要な本は、書店に注文して、最低でも2週間待たなければなりませんでした。

そんな時代の中で、同級生たちは電子計算機や宇宙開発など、最先端の仕事に就いていました。
一方、私はというと、6年もの間、誰も行きたがらない部署で“捨て置かれた”ような日々を過ごしていたのです。

それでも、なぜか「英語」だけは続けていました。
なぜか、英語だけは勉強していたのです。

そして、偶然にも都内へ転勤となり、英会話学校に通うことに。
その流れで、日本を飛び出し、3年間アフリカで過ごすことになります。
しかもそのうち約1年は、兄弟そろってアフリカで生活していたという奇跡のような時間でした。
若かったとはいえ、両親の覚悟にも今更ながら驚かされます。

私自身、別に在外勤務を目指して英語を勉強していたわけではありません。
必要とされる国家資格を取得したあと、「次は何をしようか」と思っただけでした。
国家試験はもう懲り懲り。試験なんて、まっぴら。
それでも何かを勉強したかった――ただ、それだけ。

「もしや英語で身を立てられたら…」
そんな淡い期待が心の片隅にあったのは否定しませんが、本気で目指していたわけではないのです。

結局、簡単な英会話がやっとの私は、アフリカの地で四苦八苦することになります。

30年以上前、私の職場では英語を使う機会などまったく想像できないものでした。
だからこそ、あのとき英語を勉強していたことは「無駄」と言われても仕方のないことだったかもしれません。

でも、その“無駄”だと思われたことが、実は大きな転機につながった。

無駄に思えることでも、いつか役に立つ。
それが“いつ、どこで、どのような形”で現れるかは、誰にもわかりません。

ただ、「面白そうだから」「やってみたいから」という気持ちに従って動くこと。
そんな動機の一つや二つ、人生にはあってもいいのではないでしょうか。

というわけで、私は今もなお、面白いことやワクワクすることを追い求め続けています。


ブログ終了と、ちょっとだけ終活の気分?

2025年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログが、  
2025年11月18日で廃止(サービス終了)されることになりました。

となると、引っ越し先を探してデータ移行の作業が必要に…。  
有料ユーザー向けには「書籍化ツール」なるものもあるらしい。

でも、書籍化って言われても……うーん、どうなんでしょう。  
ただただ書き連ねた日々の記録たち。  
随筆風に書き直すのも、ちょっと面白そうだけど。

なんだか、これって“終活”のはじまりみたいな気もしてきて――  
うーん、若いつもりの私です。


つれづれなるままに・・・「若いですね~」と言われても

2025年04月11日 | 日記・エッセイ・コラム

 

「若いですね~」と言われても

こんにちは。
最近、ちょっとしたことで感じた“若見え”にまつわるあれこれを、今日はゆるっと綴ってみます。


「若いですね~」
と言われて、あまり嬉しくない私です。

いや、もちろん悪いことじゃないんです。
でも、ちょっと複雑なんですよね、この一言。


たとえば、昔の話。

まだ20代の頃、たばこを買うのに身分証明書を求められたことがあります。
顔つき免許証を出して、ようやく買えたという(笑)


会社員時代の思い出

仕事の現場で、業者さんに私と部下で対応したときのこと。
なぜか、私ではなく部下が“上司”だと思われたんです。

「いえ、私が上司です!!」
と、ちょっとムキになって訂正しました(笑)


そして、最近の出来事。

とある方と初めてお会いしたとき、やはり言われました。
「えっ、若いですねえ~」

…このリアクション、何回目でしょうか(笑)


今日のオチは床屋さん。

カットが終わり、お会計のときのこと。

「○○円です!」

「え、年寄り割引はないの?」

「……シルバーを越えているのですか?」

「とっくに越えています。」

(いくつに見えたのか、そこはもう聞きませんでした)


他のお店でもそうなんですが、
何もしないと普通の料金で通されてしまう私です。

「私はシルバーです!」って自らアピールしないと、
なかなか割引してもらえない今日このごろ(笑)


ま、何はともあれ、
「若く見える」のはありがたいことですね。

さあ、今日も仕事しますか!

皆さまにとって、今日も素敵な一日になりますように。


 


つれづれなるままに(自己責任ですか?)

2024年11月20日 | 日記・エッセイ・コラム

つれづれなるままに(自己責任ですか?)

お題と関係ないところから・・・

次の記事を読んだのですが ↓ ↓ ↓

意外と知らない、なぜ政権や王朝が滅亡するのか「たったひとつの答え」

亡国志:本来の目的を忘れた国は亡びる

思わず笑ってしまいました
どこかの国もそうなるのかなあ~

※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。

とのことですが(私この本を読んでいません)、上手に編集している記事ですね。

 

社会保障(年金給付と納付(納税)期間、健康保険税、介護保険税etc)が
いろいろ言われているようですが

先の本の論でもあろう「人生経営」は理解できますが、

そこまでたどり着けない場合は?

「自己責任?」

年金が少ないのも自己責任?
仕事に就くことができないのも自己責任?

いやいや違うでしょう。

goo辞書によると
じこ‐せきにん【自己責任】 の解説
1 自分の行動の責任は自分にあること。「投資は—で行うのが原則だ」
  「これは、投資のリスクを承知の上で投資を行うこと。」と解釈されますよね。

2 自己の過失についてのみ責任を負うこと。
  車を運転していて、事故を起こした場合、「自己責任」。

 

以下の文章を読んでいただくと自己責任が誤解されていることがよくわかります。

  ↓ ↓ ↓
自己責任という言葉に踊らされる現代人の哀れ
自分さえよければいいという人を作り出した
(東洋経済より)

それでは、「貧困」「仕事に就くことができない」ことも
自己責任なのでしょうか?

憲法25条では、
第1項すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
第2項国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上
及び増進に努めなければならない。


↓ 厚生労働省の資料では、
https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000003xfq-img/2r98520000003z9o.pdf

なぜに、こんなことを書いているのかというと・・・

自分では、どうすることもできないことまで自己責任ですか?

「助けて!」と声を上げてもよいのですよ!

辛いとき、辛くなったとき、仕事でもそうです、

「ちょっと手を貸して」
「助けて」

と声を上げて良いのです。


つれづれなるままに(独り言)

2024年11月10日 | 日記・エッセイ・コラム

(+o+)

左目の白内障手術をしたのですが、
(右目も手術の予定です)

昔だったら、老化です!
で終わっていたのに・・・

今では、当たり前のように人工レンズを挿入して見えるようになってしまいます。
医学の進歩は素晴らしいです。

寿命は延びる医療費はかさむ・・・
年金は!?

私が働き始めた頃、定年は55歳でした。

これから30年も働くのか!!
定年後、ゆっくりできるのは、15年ぐらいかなあ~

当時、70歳ぐらいまで生きられれば、長生きの時代。

それが今では・・・人生100年時代!?

欧米では、50歳ぐらいで、リタイアして田舎で
のんびり年金(当然個人年金も含めて)ライフ
が最高と言われていた頃です。

ということは、当時の年金受給期間は15~20年を想定していたはず

従って、年金の65歳から受給は妥当だと思えてしまう、私は異常!?

さすがに、年金支給開始70歳はあり得ませんが・・・。


平均寿命が伸び始めた頃から、
少子化対策取り組んでこなかった、
頭の悪い(私の言う頭の悪いは、想像力、発想力のな人をいいます。)
国会議員連中が最悪ですなあ~。

この先を書くと・・・問題になりそうなのでここで止めます!