今日も曇り、雨が降らなくて幸だったがセーヌ川は濁流が流れ、相当水かさが上がってきている。
対岸のオルセー美術館前を見ると、セーヌ川に下り川辺を走る道路は通行止めのようだ。
・・・4月10日でなくてよかった。ルーブル美術館の職員が暴力的なスリ犯らに耐えかねて200人がストに入った。スリ犯の多くは東欧系で、子供はただで中に入れるので時には30人にもなる。警備強化が約束されたので4月11日は開館するという。
年間1000万人もが訪れるそうで、館内にもスリ注意の貼り紙があった。
ルーブルといえば、すっかりなじんだガラスのピラミッド。
これは、日本語のパンフレット。右上に方位があります。上が北、下が南でセーヌ川が流れている。
中央上部から左の建物が元大蔵省で、この部分(リシェリー翼)が1993年から美術館に使用されることになり、口+門・・・現在の形になった。
門型の東に連なる方形(四角)の建物が、シェリー翼と呼ばれる建物。この建物の南側・古代ギリシャ美術に進もう。
・・・では地下1階のピラミッド真下に
1989年ガラスのピラミッドが誕生し、ふさわしい・ふさわしくないと大論争になりましたネ・・・
近年この照明が消費電力の少ないLEDに切り替わりました。
そして東芝がCMを流しています。
ルーブル美術館のLEDは東芝の照明が採用されています。・・・お世話になった東芝さん!
さて、このルーブル美術館、1793年8月16日フランス革命の喧騒の中で美術館として開館されました。
古代出土品などの収蔵品を整理し、博物館開館も準備されていきます。
1803年、ナポレオンの戦利品が加わりナポレオン美術館の名で開館。
1815年、「王立」となり、接収作品は変換せざるを得なくなったが、1821年「ミロのヴィーナス」が収められるなどコレクションは増えていきます。
地下のナポレオンホールに案内所、チケット売り場があり、
昔、地中からお宝がゾクゾクとでてきた。大理石の像、頭がない、腕がない・・・、ここにあるこれは何?
手、子供の手・・・、作品名:「うずくまるアフロディーテ」 ローマ時代のコピー
古代ギリシャのオリジナルは、紀元前3世紀頃の作品
アヒルと戯れる子供、当時の地中海文明は、自由に自然観察ができて、明るい地中海の雰囲気が漂ってくる。
非常に健康的な作品、多分ローマ時代のコピーと思われる。「カピトリーノのヴィーナス」と類似、オリジナルは紀元前4世紀頃の古代ギリシャ
そして、南の角に通称「ミロのヴィーナス」が・・・コピー品に何度もお目にかかっているが
ルーブル三大貴婦人の一つををじっくり鑑賞します。
紀元前130~100年頃の作 女神の名は「アフロディーテ」、あるいは1820年にミロス島でこの像が出土、海の神アンフィトリテ では、とも言われる。
現物を、あらゆる角度から観察してみよう。高さ:2.02m
上体がわずかに傾いて、布が落ちていく・・・合成写真の各々の傾きは多少ブレがあります、あしからず。
理想の美を追求していたのでしょうか、このような状況で驚くこともなく、目線は遠く、悠然と・・・
三大貴婦人の二つ目が、ドゥノン翼の2階に上がる大階段の上に見える。
翼を広げた貴婦人?・・・頭部が無い、両腕も無い、右翼の上部も欠け石膏で補修されたが間違った位置に再構築されている。(ルーブルガイドによる)
「サモトラケのニケ」高さ3.25m 紀元前190年頃の作品、灰色大理石、エーゲ海の北東サモトラケ島で破片の状態で発見された。
一説では船の甲板で手を広げ、衣装が波しぶきで張り付いた瞬間、・・・勝利を予告しているとも、遭難を避けたい守り神とも言われています。
「勝利」:ギリシャ語でNIKE(ニケ)、サモトラケで発見されたNIKE、スポーツ用品のNIKE(ナイキ)の社名はここからきています。
ドゥノン翼(南棟)の中央に最後の貴婦人「モナ・リザ」がありますが、その前にモナ・リザの真下1階に戻ります。
ここから西側ゾーンが、16~19世紀のイタリア彫刻、その先に17~19世紀の北方彫刻があります。中央部に段差があり門が据え付けられています。
階段を下りると、イタリアの有名人 「ミケランジェロ」の作品。
二つの作品は、ローマ教皇ユリウス2世の巨大な霊廟を飾るはずであったが、構想は変更され、大理石に現れた欠陥もあり同郷のロベルトに渡され、さらにフランス国王に贈呈された作品とあります。
作成年代:1513~1515年 高さ2.09m 作品名「奴隷」あるいは「囚人」
ミケランジェロは、ユリウス2世からシスティーナ礼拝堂の天井画を描くよう命じられています。
ユリウス2世の死後色々あり、これらの作品をどのように解釈するかも難しいですね。
・・・会場の雰囲気を、・・・奥にイタリアの門でしょうか年代物が見えます。
右奥に人混みがある。
高さ:1.55m、幅:1.68m、奥行き:1.01m
作家:アントーニオ・カノーヴァ(1757~1822年) ローマ、1793年頃作成
作品名:「クピドの接吻で目覚めるプシュケ」(ルーブルガイド)、あるいは「クピドとプシュケ」
プシュケの物語? プラトン哲学? ギリシャ神話?
背中に羽根が生えている男性・・・天使ミカエルでしょうか? クピド=キューピット(英語)、エロス(ギリシャ神話)=クピド(ラテン語)・・・やはりギリシャ神話にでてくる弓と矢をもった愛の神
これがギリシャからローマ神話に引き継がれるとエロスはクピド(愛欲)と呼ばれる。
プシュケは、ギリシャ神話では、人間の女性として登場します。
学習院大学名誉教授:吉田敦彦氏の「ギリシャ神話」で調べてみましょう。(抜粋)
ある国の王の三人姉妹の一番下がプシュケ、その美貌は完ぺきで「美の女神」として評判になり大勢の人が拝みに来る。
その評判に憤慨した美の女神アフロディテが、息子のエロス(=クピド:背中に羽根が生えている)に、プシュケに災いを与えるように命じる。
しかし、エロス自身がプシュケの美しさに心を奪われ、二人は結ばれる。
二人の関係に気付いたアフロディテは、プシュケに災難を与え、数々の難題を命じる。
アフロディテから命じられた数々の難題を、エロスに味方するさまざまなものに助けられ、乗り越えるプシュケ。
そして最後の難題、死者の国から持ち帰った箱、絶対に開けてはならないと言われた箱を開けると(浦島太郎ですネ)・・・箱に入っていたのは「眠り」でした。その場に倒れ動かなくなってしまった。
エロスがプシュケを見つけ「眠り」を彼女からすっかり取り去り元の箱に戻した。そして手に持った矢で、傷つけぬようにそっとプシュケを突いて、起こしてやった。
エロスは、ゼウスの元に飛んで行き、人間プシュケとの結婚の許しを直訴した。ゼウスは承諾し、アフロディテにも承知させた。プシュケを天上に連れて来させ「不死の飲み物ネクタル」を授け、神々の仲間入りをする。
人間プシュケはついに不死の神となり、神の妻の座も射止めた。
ギリシャ神話、聖書の物語がヨーロッパの絵画・彫刻・芸術に数多く登場します。このギリシャ神話からも数多くの場面が切り取られています。
「クピドの接吻で目覚めるプシュケ」・・・nnnn 接吻で目覚める?・・・矢で突いたでしょう!・・・この位のアレンジは許容範囲なのでしょうネ。
プラトン哲学に関心はあるが、暗黒の中世からルネッサンスの時代がやはりドラマチックですね。
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