goo blog サービス終了のお知らせ 

気になる写真!

このブログはその時々の好奇心で、気になった被写体を切り取り、・・・チョットだけ考えてみようと

梅雨空に・・・飛び立つと

2024-07-04 | 旅行記

始めて見るカラーリングの先に、・・・進行方向に直角に交差する滑走路が見えてきた。

霧雨の中、視界が少し開けてきた、・・・左側、滑走路先端まで何とか見えます

羽田空港の沖合に埋め立てと桟橋でできた滑走路です、・・・前方は東京湾・・・船の航跡が

第二旅客ターミナル、ANAと共同運航する Solaseed Air ソラシドエアに初めて搭乗する。

奥の方の搭乗口から乗り込み、南風用の C 滑走路、ほぼ定刻に飛び立ち、前方の D 滑走路を横切って上昇中です。

東京は梅雨入りが例年より遅れているようだが・・・週末に近い今日から梅雨入りの予感

・・・向かう先の九州も南部は大雨続き、長崎も・・・この先連日90%以上の確率で雨予報だった。

折り畳み傘に、レインウェアー、ズボン、雨用のスニーカー・・・長崎は今日も雨だったと覚悟して

どんよりの雨雲が続いたが・・・雲海の上は、ブルースカイ、日差しが眩しい

多分、高度は 7~8000m,10,000m以下と思われますが・・・

近年は、満天の青空は喜べなくなり、強力な紫外線が気になります・・・

やがて、四国から九州大分、・・・徐々に降下、着陸態勢に・・・再度雲海に飛び込み

1000m以下まで高度を下げるころには、厚い雨雲の下に・・・視界が開けてきた

ここは有明海だろうか、それとも着陸態勢で大村湾に入ってきたのか・・・

滑走路には南から進入するのでは、

南から・・・長崎空港の滑走路に着陸

・・・右に旋回し、Uターン・・・並行誘導路を進みます

長崎は、遠くは曇が垂れ込んでいるが、見上げれば青空が広がっている、予想外の展開です。

駐機しているANAの方向へ・・・間もなく駐機場 エプロンへ到着。

フライトシュミレータでは、ボーディングブリッジ、バゲージサービスなどもリアルに描画、

もちろん、接続の依頼をすると関係車両も動き回るのでリアルなのです。

空港ターミナル内、

長崎空港から、県内の五島列島と対馬にも飛んでいるのに初めて気が付いた。

離島へはプロペラ機? 運が良ければ見れる?

先ほど見たのは、カメラをチェックしてみる・・・

離れていたから・・・やはり自衛隊機でした。

対岸に大村空港・大村飛行場がありますが、2011年まで長崎空港の一部で「長崎空港A滑走路」でした。

中華街を持つ都市です、1階正面で龍が迎えてくれています

・・中国大陸よりも台湾などに行かれた方は、爪が気になりませんか?

日本は、どこに行っても龍の爪は3本ですが、別に何本かなど気にもしていませんが。

中国では唐・宋の時代に権力の象徴である龍の爪は3本だったようですが、元の時代に5本と定義されます。

皇帝以外の者は、5本爪の龍の文様を使用禁止とされました。

ここから格差が色々と発生します、所有者の地位を4本と3本で表現したり、あるいは周辺国で属国は4本とされた。

日本は野蛮な夷狄(イテキ)と蔑んで、絵画・彫刻など日本に渡る龍の爪は、属国以下の3本として伝わったのでした。

さて、時間は1時間ほどありますので、取り合えず3階屋上デッキに

長崎の鐘?いえ、「幸せの鐘」です。

ここは、1975年 世界で初めてできた本格的な海上空港とあります。

教会が多い長崎ならではと、教会を模して建てられ教会の窓などのデザインが取り入れられたターミナルビルです。

米国人が有名にした・・・ご当地のファストフードで昼食にしましょう。1階にあります。

すぐ分かりますね、

しかし、当方はこの食べ物は普段は食べないので、スモールサイズで

カリカリのベーコンと甘い玉子焼き、さすが人気なだけあって、佐世保バーガー旨かった。

パンフレットによれば、昭和25年佐世保駐留の米海軍の人々が地元にレシピを伝え、米人向けに売られていた。

やがて、日本人の口に合うようにアレンジされ、現在の佐世保バーガーに、今では店ごとに趣向を凝らしてとのこと。

時間は12:40分を過ぎたが予約客の確認で遅れている。

駐車場へ、

ハウステンボス向け送迎シャトルバス、予約客が無い場合は運行中止も。

約1時間ですから・・・県営バスもありますが、急ぐ旅でもないので利用しましょう。

平日の昼、小人数だったような記憶です。

長崎空港の展望デッキ、「幸せの鐘」が目立ちます。

ここは簑島、対岸へは約1㎞の橋が架かっています。橋の名称は、箕島(ミシマ)大橋です。

自転車は通行できませんので、レンタサイクルなどで向かわれませんよう。

この長崎空港で印象に残っているのは、海上空港ですので、近隣の騒音対策、苦情などが少ない。

・・・騒音で有名になった最速の超音速機、マッハ2・・・英・仏が共同開発したコンコルド機を想い出します。

開発から運航にこぎつけた最初で最後の量産機、JALも発注しましたので世界各地に顔見世飛行をしました。

羽田には1972年6月飛来しましたが、離着陸時の騒音問題が話題の中心でした。

さて採算は取れるのか・・・全てファーストクラス、席数が少なく運賃はもちろん超高額、・・・JALも後にキャンセル。

運航したのは、エール・フランスとブリティッシュ・エアウェイズの開発国フラッグ・キャリアのみです。

1976年から定期運航開始・・・2003年まで頑張りました、量産機16機も経年劣化でしょうか・・・営業終了しました。

1990/9/2~3に、あまり話題にならなくなったコンコルドですが、この長崎空港に飛来したのがニュースになりました。

博覧会に合わせ 欧州友好親善団 チャーター便(AIR FRANCE機)が口ばしを曲げて離発着する映像でした。

・・・さて、約40km先のハウステンボスには、橋を渡り・・・県道・国道から長崎自動車道/大村ICから有料道路へ

到着しました

ハウステンボス発行の地図は、駐車場を左下と・・・南北をほぼ逆に描いてあるので理解し難かった。

上空からのイメージは、佐世保市の東部で佐世保湾から東に水路が延び、早岐瀬戸(ハイキセト)約11kmの水路が南に延びて大村湾に繋がっている。

この水深4mくらいの浅い水路の南側、大村湾側の針尾島側にハウステンボスが出現したのです。

南が海側なのです。

北側の第一駐車場の横に、後で見かけることになる立派な建物が、ホテルオークラ・JRハウステンボスです。

その手前の平屋が、場内ホテルに宿泊者の手荷物預かり所です。

ここで大半の乗客が下車され、バスは出発します。

周回道路から、ハウステンボス温泉横を通り、

一路一番奥の南、ハーバータウンのホテルデンハーグに到着

1~2組下車され、出発です。・・・そして、2~3分、近くの ホテルヨーロッパ に到着

PM1:50分頃、傘と雨具を用意していたが、この時間でも雨の気配はあるようだが見上げると青空だった。

ラッキーなハウステンボスになるでしょうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アジサイが・・・見事なホテル

2024-06-29 | 旅行記

専用バスに乗車したまま、ゲートを通過する。

やがて前方に高い塔が見えてきた。

私有地内を走っているのは解るのだが、緑の中を進むと

前方に・・・乗りたかったクラッシクなバスに追いついた。

もうすぐ到着でしょう。

エレガントな制服の方達に迎えられて・・・PM1:50分過ぎ、ホテル到着です。

エントランスの両サイドにアジサイの植栽が・・・6月中旬の週末です。

チェックインは、PM3:00からですが・・・。

実は2:00からの予約をしてあるとのことで・・・

フロントに寄り、荷物一時預かりの場所に移動して手続きをし、身軽になる。

演奏に聞き入っていたら呼ばれて・・・急ぎシャッターを押したが・・・ピンボケで

カーテンの左側からへ外側ニ・・・桟橋を中央に進む

振り返って、

両側のスピーカーから大音響の音楽が奏でられています。

係員が出てこられました。一旦戻りましょう。

右側の建物の奥から・・・専用クルーズ船が入ってきました。

PM2:00このクルーズ船の予約をしてあり、周回クルーズに出発です。

ここは、このホテルでは内側に桟橋を設けてあり、予約客を乗せて園内の周回クルーズのサービスがあります。

他の宿泊客と10人強でしかた、乗り込み サァ 出発です。

こちらで方向転換して、進みます。

建物にはゲートが出来ていました。

ホテルの東に面するこちらの棟に宿泊します。

3階で、この画像の左端に宿泊となりました。

この棟の正面側に高さ 105m のシンボルタワーがあります。

このタワーを右に見ながら、時計回りに左に進みます。

観覧車、手前はJRAウィンズ

こちらの園内では、この風景が最大の特徴でしょうか

スペインの風車? ラ・マンチャの男、ドン・キホーテでは無いようです。

どこかにスペインの・・・風車の画像が・・・

見つけました、2017年、荒地の高台に・・・並んでいました。

周遊に戻って、

運河の左岸にアスレチックコースがあります。

そして、右側を振り返ると・・・先程のJRAウィンズ、立派な建物です。

コの字に進んで行く先に

右側にゲートらしき建物の横を通り

北にある大駐車場、その近くに立地している・・・風格のある建物が見えますが

クルーズの周回コースはこの手前で、大きく右にカーブします。

南に向かって進む運河の・・・進行方向左手は、敷地外になるようです。

運河に面し船着き場を設けた、別荘地でしょうか

クルーズ船を利用できるように、運河に杭が設けてあります。

個人所有? 法人でしょうか・・・新潟の湯沢町のように荒れ果ててなくて良かった。

週間天気予報では、・・・連日90%以上の雨模様が続くとされていました。

何と青空に飛行機雲

三層、三階建てのメリーゴーランド

観覧車に戻ってきました

そして、高い塔のある地区へ

クルーズ船を迎えてくれています

ここから左に反転して、建物のゲートを通って

ホテルの桟橋に戻ってきました。

日本一広いテーマパーク 「ハウステンボス」、クルーズ船に掲示されています。

お待たせしました。

暑いのにご苦労様、・・・素敵な女性が活躍されています。

ホテルの入り口正面、アクリルの筒に見事なアジサイです。

チェックインにはまだ少し早そう、ブラブラ散歩に出かけます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台湾地震の被害は?

2024-04-11 | 旅行記

4月3日朝、台湾で地震が発生、震源地近くで古いビルが傾き、大惨事の予感をさせられる映像が流れた。

八重山地方に津波警報が出され、・・・与那国島や石垣島、そして宮古島も影響が心配されました。

11時前に津波警報は注意報に切り替えられ、宮古島では30㎝くらいの潮位だったようです。

台湾での行政と関係者が避難民への素早い対応、仮設テントの設置など明るい情報も流れホッとしました。

海ブドウやモズクの収穫に影響はあるでしょうね。

モズクの天ぷらは、軽い味で身体によさそうです。

沖縄の人々の長寿は、豚肉と勝手に解釈していますが、ポークと玉子料理の一皿

ゴーヤチャンプルもあれば、スペアリブ、宮古そばも、サトウキビジュース、オリオンビール・・・片手に

夜は、三線の音が響きます

カンブーというカツラを付けて、

衣装も独特ですね、腰をしっかり締め付けないで・・・暑さ対策でしょうね

突然 思い出しましたが、野外でコンサートをされても、宮古島はハブが生息していないそうです。

朝は、朝食後 GOPROカメラ片手に海岸沿いをジョッキングです

マンゴージュース、多良間産黒糖、紅イモアイス

マンゴーのティバッグは香りも良く・・・お代わりは、長居をしそうなので出かけます

東の地平線から

ここはリゾート地です。

歩道を走っていると街路樹からフルーツが、・・・マンゴーではないでしょう

「ミフクラギ」(目が腫れる木)との別名を持つ、キョウチクトウ科の常緑小高木「オキナワキョウチクトウ」

という有毒植物でした、特に種子は猛毒とあります。

これは、アダンの木で、ヤシガニの大好物。

藪を抜けて、海岸線に出てみましょう

磯に出ました。

少し霧雨が降っています。

ホテルに戻って、・・来間島行へきましょう。

中央左下に、涙のような形の周囲約9㎞、小さな島です。

来間大橋(全長1690m)は1995年3月の開通ですから、もうすぐ30年となります。

エメラルドグリーンが広がっています。

さてこの地で、珍しい植物に出会いました。

常緑高木、葉が大きく柔らかく重宝されるそうですが、このような光景は珍しいそうです。

何やら、オレンジとイエローの小振りなハイビスカス風、

こちらが本来の花姿、オオハマボウ(大浜朴)アオイ科、沖縄では別名、”ゆうな”の花、

一日花のようで、ハイビスカスと同じですね。

咲き始めは明るいイエロー

夕方にはオレンジとなり・・・落下してしまいます。

この花は、昨日開いたゆうなが・・・落下せずその色を保って頑張って咲いているのでした。

サカタの種によると、三浦半島でも類似品種(ヒビカス)ハマボウは自生しているそうです。

但し、低木落葉樹で一日花とのこと。

こちらの大木には、宿り木のようにアロエの棘がある葉が垂れ下がっています。

これが、ドラゴンフルーツというので、驚いて栽培可能か 挑戦中ですが、気温が低く難しそう。

展望台に進む手前に案内板がありました。

30年の年期でしょうか・・・

来間島憲法・・・5条4項に「住民は、島内に於いて著しく景観を損なうものとして、

個人の手に負えないと判断される事柄は、自治会役員を中心として、

任意に協議し、排除または行為の撲滅にあたる。」

ここの目の前の小学校は、少子化により学校閉鎖となっていますので、人手不足は深刻でしょう。

展望台からの来間大橋です。

展望台は、天候悪化により突風が吹く中、・・・ANA機が飛んで来ました。

来間大橋、ここでもウミガメが良く見つかるそうです・・・生成AIで顔を出してもらいました。

宮古島では、4/14日曜日に恒例のトライアスロンが行われます。

この来間大橋を戻って、橋の北側海岸沿いに与那覇(ヨナハ)前浜ビーチがあります。

宮古島で最も広いビーチ、ここから スイム3kmでトライアスロンがスタートします。

三角形に1.5㎞を2周します。

バイク(自転車)は、北の池間大橋も渡り島内1週、さらに競技場まで走り(123㎞)、

最後はラン(35㎞)の3種競技ですが、島内交通は、ほぼマヒの状態で協力されるそうです。

与那覇前浜ビーチに1984年、東急ホテルが開業。

ユニマットグループが運営する会社が、シギラ リゾート(約130万坪のリゾート施設)を計画、1993年ホテル開業、

森トラストとマリオット(USA)が、伊良部島に 2018年 年末にホテル開業

2023年夏、ヒルトンホテルが伊良部大橋の北側に開業

そして、さらに裏側に増築中、クレーンが活躍しています。

建設ラッシュがあちこちで、バブル真っ最中!

昨年秋から再び資材の値上がりが続いていましたが、少しは鎮静化したようです。

大手が走ると投機に遅れないようにとゾロゾロと、需給バランス?・・・成り行きですか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

MIYAKO Blue

2024-03-31 | 旅行記

宮古島の旅行前に、MicrosoftのFlight Simulator 2020で上空を飛び回っていました(セスナ機で)。

20年くらい前は輸入品で、操作方法が良くわからなくて、シュミレータの一部機能で遊んでいたが

最近は画像処理のnVIDIAの性能が格段に上がって、それなりのクラスでも奇麗になった。

・・・動画から切り出した静止画をJPEG画質で掲載します。

宮古島空港の滑走路が眼下に、・・・左前方は海の向こうに伊良部島と下地島が

朝日を浴びながら伊良部大橋に向かいます。(時間、気象条件などの設定が可能)

・・・地上では、欄干が低く眺望が素晴らしい橋を進む・・・、中程で・・・左方向の海原に

中洲のような砂地が見えています。

これは干潮時に砂地が現れる浅瀬の場所で、近くの港から小舟で送迎してくれます。

干満は大潮など月日によって異なるので、釣具屋さんなどにある潮見表が役に立ちます。

伊良部大橋:サンゴの島のゴロ合わせで 3540m・・・通行料金が無料の橋では、日本最長です。

2015年1月31日から使用され、橋の両端の取付け道路も含めると・・・全長6500m。

歩道が設置されていますので歩いても渡れます、ブラブラ2時間コースでしょうか。

レインボーブリッジなどと同様、橋の中央部は一般車両・駐停車禁止です。

しかし、それでも駐停車をして記念撮影、動画撮影・・・今では違反者少ないでしょうが

2017年に橋の中央部から誤って落下、男性が死亡されたそうです。

伊良部島が見えて来ました。

正面の丘の上に、牧山展望台があります。

案内図があります

展望台から、宮古島に向かって橋(県道)がつながった様子がよく見えます。

橋に導水管が設けられ、宮古島の地下層の水瓶から水道の水が送られてきます。

展望台の眼下は濃淡のブルー、少し波が立ち水面が乱反射

もう少し右、伊良部大橋の全景が見えました。(パノラマで)

広角レンズで

更に拡大すると

手摺が低いので、走行している車両が良く見えます。

丘を降りて

取付け道路が良く見えます。

海岸線は、一定の間隔で砂浜ができています。

一番奥に、弓ヶ浜のような広い白砂の浜辺が見えます。

その奥が海(橋)を渡って、下地島になります。

別の角度から、・・・有名人が建設中のリゾート施設の横を通りますので

では、眼下に見える道路を進みましょう、営業中のヴィラリゾート、ホテルなどもあります

他の所のようですが、リゾート開発で進出企業に幅広く土地を購入されて・・・

気が付けば海岸線が私有地になり、昔のように簡単に海に出られなくなり、ボー然とする島民も

・・・塀の向こうは、ガラス張りのイタリア風レストランでしょうか、横階段から屋上へ・・・

伊良部大橋の計画から開通と・・・、宮古島に土地投機の話が広まり・・・

石垣島以上に移住者が増え、リゾート施設のブームから建築ラッシュ・・・

建設資材は不足し、職人の工賃は東京の2倍に、そして完成時期は延び延びに、

この裏に宿泊棟が、

OHNOさんの建物のようですが、宮古では先輩の森末さんも知らないとのことでした。

ここは、外洋に面してMIYAKO Blue が続いています。

振り返りましょう・・・

左は、外海、右は静かな湾内の雰囲気です。

・・・先程、上空から案内しました白浜です・・・渡口(トグチ)の浜です。

堤防突端から、右側の湾内を見てみましょう

では、渡口の浜へ移動します。

地球は丸い

カメラを、ウミガメ目線へ下げると

先程の堤防から

中央に

左に・・・広い砂浜が800m続きます

隣の下地島に行きましょう。

下地島空港は3000m×60mの滑走路を持ち、JAL、ANAが訓練飛行場として1980年頃から使用開始。

2010年 JAL倒産、訓練飛行を撤退、その後ANAも維持負担が大きく撤退・・・

2019年に旅客ターミナル 開業、LCCなどが就航、・・・2023年利用者 42万人の見込み(沖縄TV)

・・・海に突き出た滑走路を北側から飛んでみましょう。

ダイビングポイントが沢山あります。

右主翼と尾翼の間から、サングラスのような双眼・・・これが通り池と呼ばれます。

簡易な展望台がありますので、上って海岸方向を

近づいて、手摺から

海に繋がっているので海水です。

風の影響を受ける海岸線特有の植栽です。

戻って、遊歩道の反対側(滑走路側)に繋がっているもう一つの池があります。

この先の海岸線は、ダイバー達の集合する人気ポイントがあります。

夕暮れから、夜間飛行も楽しいのですが、

上空から決して広くなく・・・標高差の少ない島を眺めていると、

平凡な日常で・・・ゆっくりと時間が流れていって欲しいと思わず思ってしまいました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池間ブルー

2024-03-13 | 旅行記

「池間ブルー」と呼ばれる濃い碧色のグラデーション

天候の移り変わり・・・いや、時間と共に太陽光線と水蒸気の微妙な変化で海の色が変わるのです。

右に見える島は、船での往来が交通手段の「大神島」です。

向かっているのは・・・宮古島の北、周囲10㎞、小さな「池間島」です。

宮古島との間に、全長1,425mの「池間大橋」が1992年2月に架かりました。

もう 30年以上も経過しました.

当時は、沖縄県内最長の橋です。この海域は、大好きなモズクの生産地でもあります。

池間島周辺海域はサンゴが豊富で、遠浅ですが所々に深い部分もあります。

水深により光の吸収が異なり、海の色は浅い所のエメラルドグリーン、深くなるとコバルトブルー

表現しました色彩名はわずか2種類ですが、ブルーの色はグラデーション・・・うっとりするほどの色彩です。

曇天よりは、晴天の太陽光、・・・大潮の引き潮時(干潮)には、浅瀬の水深が一番浅くなります。

・・・最も浅い部分の区域が広がり・・・明るいエメラルドグリーンから深く鮮やかに・・・絶景に出会えるようです。

グーグルの地図は、遠浅が影響するのか海岸線が不鮮明なので・・・アレコレ加工している最中でした。

・・・会社で、3/14夕刻 仕事が一段落、16:08 配信の時事通信社の記事に「宮古・・・」nnn・・・

記事のタイトルが

”異常発生から90秒で墜落=再発防止策公表も、原因は不明_宮古島ヘリ事故で報告書・陸自”

事故機と同型のUH60JAヘリコプター=2022年5月、静岡県の東富士演習(時事通信社)

ニュースでは:「午後3時54分40秒ごろ、機体右側の第2エンジンに異常が生じ、20秒余りで出力がほぼゼロになった。

同55分20秒すぎには左側の第1エンジンの出力も低下し始め、その後約40秒で機体は高度300mから95mに急下降。

最初の異常発生から約90秒で墜落していた。」

 

    2023年4月6日離陸約10分後に宮古島北方の洋上でレーダーから消失。

「右側の第2エンジンには、制御系の異常で出力が徐々に低下する「ロールバック」という現象が起きたと推定。

機体の取扱書にも記載がない特異な事象で、米国で発生例があるが、自衛隊機では初という。

音声データなどから、操縦士が誤停止させた可能性は低い。

・・・(そこで、)可能性のある事象全てに対策を施すことで、安全に運行できると結論付けた。」

この事故は、まさに池間島の周辺で・・・宮古ブルーの素晴らしい景観の中で・・・低空飛行中に一瞬で消えた不思議な事件でした。

優秀な自衛隊で、新任幹部が視察中に起こってはならない、・・・しかし、起こってしまった。

近海なのに状況がつかめない。消息不明地点が確定せず、捜索は何日も続き、・・・潮流が速いのでnnn・・・。

残念な事故の記憶が残ったまま、・・・突然、このニュースが目に飛び込み・・・

事故原因は不明・・・しかし対策をしたので大丈夫との発表で、少し違和感を覚えた。

・・・気を取り直して、

宮古島の特産品で雪塩があります。

雪塩ミュージアムのHPより、PR画像拝借

この館内で10分くらいの雪塩の製造工程、商品の説明があり、その後サンプルを頂きました。

サンゴ層から海水をくみ上げ、ミネラル豊富な雪塩はここで1日平均700㎏も生産されているとのこと。

このすぐ横が砂浜で、ここから池間大橋が見えます。

すぐ横の砂浜から、ここは湾になっていて左は西平安名崎の岬です。

岬の先端に、風力発電の風車が見えます。

雲の下は、湾の先に池間島、そこに繋がる池間大橋が見えます。

中央部が高くなっている池間大橋全景です。

では画像は、橋を渡る所に戻り、池間島の砂浜が見える地点へ

橋を渡り、道路の右側にはドライブインがあります。

その一角にコーラルピンクの建物が見えています。

「海美来(かいみーる)」2階、3階が展望階。その横から砂浜に下りられます。

数人のグループがサイクリング、年配の女性たちです。

歩道も設置されていますので、歩いても渡れます。

では、この橋の下に降りてみましょう。

橋の構造の案内がありました。

橋脚の周囲も奇麗な海です。

ゴミも流木も海草も流れ着いていませんでした。

橋の下を回り込んで反対側へ

このように、もちろんコバルトブルーの海がありました。

さて、海底水道竣工記念碑がありました。

宮古島の雪塩ミュージアム付近(狩俣)から、この橋の西側に海底送水管が敷設された記念碑のようです。

調査船、工事などでアンカーによる損傷が度々発生するので、所有者の宮古島市上下水道部は対策を考えました。

海底ケーブルの施設カ所の主要区間を10数か所、座標一覧として(N:24度55分05秒7、E:125度15分28秒1)公開して、注意して頂けるようにお願いしています。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マングローブ、車海老

2024-03-03 | 旅行記

宮古島の北方にマングローブの観光地はありますが、車海老は知っていました?

1993年から宮古島で車海老の養殖が始まっていました。

年間20トン、売上1億円、この特産品を使って地元で商売をしようと・・・

有名人が、観光客相手に天丼でもてなしておられました。

気さくな感じで、スポーツマン、ゴルフとシュノーケリングがご趣味とか。

車海老の天丼です。

・・・この画像は、2020東京オリンピックの開催前に日刊スポーツ(2021年)に掲載されたものです。

森末慎二さん、1984年ロサンゼルスオリンピックで体操のエース、金・銀・銅の全てのメダルを獲得されました。

2010年頃からこの宮古島に土地を購入し、住居も完成、年間の4/5くらいは、宮古島生活だそうです。

この車海老・・・実は大変なことが起こっていました。後ほど

・・・先に簡単に、マングローブの植生地の画像を。

場所は島の北部、島尻に遊歩道が設けられたマングローブ林があります。

グーグルから空撮の画像を拝借します。

向こうに見えるのは、東シナ海です。

左端の駐車場から・・・河川に打ち込んだ角材で、手摺付きの遊歩道が設けられています。

2002年9月、遊歩道と島尻橋が完成、奥行き約1㎞の入り江にマングローブ林が群生しています。

今は引き潮時で、この付近の樹木は地面から高床式?の根の状態がよく観察できます。

海岸近くに地下水脈の湧き出し口があり、海水と淡水が混ざり合う汽水域が誕生しています。

ヤエヤマヒルギ、オヒルギ、メヒルギの3種類が、この地のマングローブ林を構成しています。

泥の中だけでは酸素が不足するので、空気中に根を出して(地表根)生育を助ける姿が特徴的です。

タコの足のように幹から多くの根を出しているのは、ヤエヤマヒルギでしょうか

このヤエヤマヒルギと思われる樹木は、根が海水に浸かっている時間が長いようですが、大丈夫?

根が塩分も吸い上げてしまいます・・・樹木には・・・塩害が発生するので排除しないと。

そこで、塩分を一部の葉に集中させ、犠牲になってもらい・・・その葉は、黄色くなって落葉。

この葉をシオマネキ(カニ)などは好んで食するようです。

ミナミトビハゼは、どこにいるでしょうか? カメラの前に現れました。

ここには、フタハオサガニ、オオアシハラガニモドキ、クマドリオウギガニ、ヒメシオマネキ、

ニナミコメツキガニなどが生息しているとのこと。

こちらは、オヒルギでしょうか

多分、観葉植物として販売もされていると思います。

縦長の白い陶器(高さ50cmくらい)に植えられていた根バリが特徴だった観葉植物

鉢は残っているが、写真を残していないので、記憶があいまい・・・枯らしてしまった。

昼の食事をどこにしようか?

その前に「島の駅」でマンゴーは夏でしょうが、パパイヤかメロン、何かフルーツを・・・

メロンは売切れ、ナイフとタッパウェアを持参したが、時期が悪かったようです。

島の駅の道路を渡って、左側のお店で食事をしましょう。

こちらが、地元の車海老をキャッチフレーズに、1尾、2尾、3尾の天丼メニューを

簡潔に森末さんが説明されます。

天婦羅は衣が薄く、軽く揚がっているので脂を気にせず頂けました。

途中で出汁を提供され、海老の頭も足も美味しく頂きました。

カウンターの右端に、光物が・・・トロフィーではなく、何か2本置かれています。

・・・そうでした、宮古島の車海老、140万匹が2021年から出荷0になってしまいました。

久米島から車海老の稚魚を夏に仕入れて育て、冬場に出荷するスタイルです。

2016年11月頃に初めてウィルスの影響が出たそうですが、少なかったので選別して廃棄処分。

その後、毎年少しは発生していたようです。(2021年12月、現地の新聞などによる)

2021年は、成長途中の10月にウィルス(PAV)の影響が出たので一気に大半が死滅、

養殖池の乾燥、除菌・・・養殖池が漏水していて海水が問題なのか?しかし原因不明で・・・2025年再開目標。

・・・一方、久米島は宮古島の数倍の規模で養殖でしょうか。問題なくこの冬も出荷されています。

30年間も続いた宮古島の車海老養殖、廃業ではなく再開を目指されてますので、応援しましょう。

お店の前で、よかったらと記念撮影に誘われます。

左は、長野の冬季オリンピック、右は2020の東京オリンピーック聖火リレーのトーチです。

このトーチ、日本全国で聖火ランナーの数だけ製造元に発注します。

何本でしょうか、・・・東京オリンピックの際は、1万本。全てを売り切る考え(朝日新聞デジタル)。

通過する自治体などに購入を働きかけるとのこと。

記念に欲しいでしょう・・・聖火ランナーだけですよ・・・購入できるのは、税込み、7万1940円です。

IOCとの契約で、製作実費とほぼ同額。ユニホームは走者に無償でプレゼントされる。

全国で2020の聖火ランナーは1万人、大盤振る舞いのスポーツイベントは、・・・多くの問題が。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太平洋と東シナ海の境界線が明確に

2024-02-23 | 旅行記

旅先のパンフレットを整理していたら、東シナ海と太平洋の境界が明確にされているのがありました。

東平安名崎のパンフで、散策に便利なこの地図を掲載し、写真に境界線を追記してみましょう。

東の先端にある岬・・・これは間違い易く、宮古島の本島からは南東に飛び出した岬です。

そこは理解していても、岬の先端で漠然と、左が東シナ海、右は太平洋と思っていたら間違いでした。

先端からは、左側に見えるサンゴ礁のリーフ(パナリ干瀬)の方向が沖縄本島になるようです。

灯台からの眺望に(パンフレット情報を参考に)境界線の推定ライン(赤ライン)を引いてみました。

もう少し岬の先端からは、こんな感じでしょうか

他に気になった岩石が散乱していた光景は

パンフレットによると、津波石と呼ばれているようです。

1771年(江戸時代中期)に宮古島を襲った大津波(死者 2,548人)などによって

打ち上げられたといわれる大きな石が散乱している光景とのことでした。

灯台の近くの大岩、・・・パンフに記載がありますように、これも津波石でした。

では、本島の南を移動して・・・海岸線に出ます。

道路沿いに小さな砂浜、その先は澄んだ入江でしょうか

歩道の横から砂浜に下りる数段の石段があります。

通行中の彼女達の視線の先は

波が静かな海上で・・・色んなマリンスポーツが行われています。

シュノーケルだけでも十分堪能できそうです。

ここは何といっても、人気の宮古ブルー・・・澄んだ海水が魅力です。

では、この地の案内板は、

インギャーマリンガーデン、入場料はもちろんありません。

人気のリゾート地のすぐ近くです。

グーグルの画像を拝借しましょう。

マリーンショップも2軒ほどあり、シュノーケルなどレンタルもできます。

砂浜の横の遊歩道を進み、

遊歩道の橋の上から、カヌーもいいですね。

小高い丘の上、展望台を目指して階段を上ります。

海岸線から100~200mはサンゴ礁の遠浅です。

そうそう、左の先が東平安名岬、・・・正面の大海原を右に視線を送ると・・・ずっと先に波照間島を結ぶライン

手前が、東シナ海です。

正面の海原・・・4~5㎞先に・・・左右に境界線が走り、その向こう側が太平洋のようです。

展望台から陸側を

初心者や家族連れでも楽しめる、マリンスポーツに絶好の場所です。

海上散歩、SUP、立ってパドルを漕ぐ(Stand Up Paddleの略)

シギラビーチは、ウミガメと出会えるビーチとして宮古島でも特に人気の高いビーチ

街路樹にこのような食物が

一見、パイナップルの小物のようで、親戚でしょうか

木に生っていますので?・・・これは、アダンの実

直径15~20㎝、果肉の中は繊維質で・・・人間は食べないそうです。

体長40㎝にもなるヤシガニの大好物、(ヤシガニ・・・確か売店のガラスケース内で拝見しましたが・・・画像は?)

本島北部に移動します。

この時期、サトウキビの収穫真っ最中でした。

鎌で、穂先と葉をカットして、幹だけ収穫する昔からの方法は、高値で引き取られますが、

今日では人手が無く、このように機械で刈り取り、即製糖工場に搬入です。

宮古製糖城辺工場に向かっているのでしょうか。

トラックの積載量は8トンまで、沖繩製糖宮古工場が近いようです。

サトウキビ、宮古毎日新聞情報では今年の品質は高く、平均糖度14.42度とありました。

農家が受け取る1トン当たりのサトウキビ価格は、国の交付金を含めて2万5,426円、

米作農家と同様、多分継続は厳しい状況にあると思います。

収穫終わりの畑に、案山子でもなくコンクリート土台のスプリンクラーが稼働を待っていました。

土壌の塩害被害を減少させるために、川の無い宮古島で水を撒く作業が待っていました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

早春の南の島

2024-02-15 | 旅行記

島の東側につき出した長さ1.8km、高さ20mの隆起サンゴ礁の岬。

駐車場の横にある案内板によると、 2007年に国の名称として指定され、日本都市公園100景に選ばれた。

常に潮風が強く吹き付けるため、高木が育たず、亜熱帯地域の風衝地特有の植物群落地が形成されている。

・・・高木が育たず・・・なるほど、他でよく見かける防風林は黒松が多いが、これらは計画的に植栽されている。

ここ宮古では、山は無く、従って川もない、最高地点が113m、平坦で低い台地である。

防風林はあまり見かけないが、椿の植え込みなどは、風よけに利用されているようでした。

・・・岸壁に打ち寄せる波は、飛沫となって?・・・、この日、波は比較的穏やかだった。

下の画像で、堤防がある漁港は保良(ボラ)漁港。周囲の海面の色が渋い緑色に見えます。

港内から船の進路となる航路の海底を掘り下げたのでしょう、エメラルドグリーンの道が見えます。

進路の先は、幅広の深い航路に接続して、・・・紺色の太平洋と合流しています。

坂道を下った所に小さな保良(ボラ)漁港がありました。釣りのレジャーボートなどが見えます。

こちらは、広角レンズの動画から切り出した画像です。

漁港から・・・画面をもう少し右側に振ると

サンゴの海底から無数の岩山が露出しています。沖合からの波は・・・波頭が低く穏やかです。

太平洋に出る航路の向こう側(東シナ海側)に岩礁地帯が見えます。

灯台からの眺望が分りやすいので、灯台の情報を

手前に立て掛けてある、案内板の情報です。

灯台の高さ、地上から約25m、水面から灯火まで約43mとあります。

では、灯台の左横を通り、岬先端の柵まで進んでみます。

東シナ海を見ながら、・・・一番先端まで、

眼下の景色がこちら、海底が見えます。

サンゴ礁がベースの島、川が無く、濁流が流れ込まなくて、透き通る濾過されたような海水が見えます。

次に、左を振り向き・・・先端からの東シナ海側の眺望です。

波頭の向こう水平線に岩礁(パナリ)が見えます。

広角の画面で

ところで、注意が・・・柵の周囲、足元全てがサンゴです。

地面は波打っていて、凹凸が大きく、足を滑らすと直ぐ擦り傷に見舞われる危険があります。

踵の無いサンダル、ハイヒール、底の平らな革靴などの方は、歩き難いので注意して下さい。

・・・灯台に戻って、ここは展望台まで97段のラセン階段を登ります。

有料です・・・数年前は¥200-のようでしたが、今は¥300-です。

上から階段を降りてくる人々、時間はPM4:30、1階のチケット売り場で、係員・・・今終了しました。

ダメですか?  係員・・・チケットは、片付けましたので終了です。

・・・では、チケットは無くてもいいし、領収書もいらない、5分で降りてきますが、だめですか?

OK とのこと。 2人分、600円を窓口に置いて、ラセン階段を駆け上がる。

一気に登った先の眺望です。

右端が岬の先端で、画面は大半が東シナ海です。

広角の画像でもう少し左のリーフ(サンゴの岩礁地帯)まで視界に入れましょう

名称は、パナリ干瀬・・・東西2km、南北1km 楕円形のリーフ。(低潮線保全区域)

このリーフが、かつて本島と陸続きだった、島民もいたとする説があるようですが、調査中のようです。

岬の先端から右に視線を動かすと・・・太平洋が ぐるり と広がります。

もう少し右に振ると、

雲が広がり、・・・太陽が雲間に、その右側は雨雲が スコールか? 急激に天候が変わる

ここにも、通り雨がパラパラと・・・手摺が濡れた、・・・少し明るくなった

本島側が見えてきた・・・

遊歩道の中央 奥左に駐車場が、右下には漁港が見える

これで1周、展望台から慌ただしく地上に下りた。

宮古島は、雨は降っていないとのことでしたが、道路が濡れていたので通り雨があったのでしょう。

南の楽園、心配事は天候でしょう。

台風襲来や温暖化による潮位の変化、海水温の上昇・・・地球規模の気候変動には敏感になります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南の島から、やっと雪の羽田に

2024-02-11 | 旅行記

関東地方に大雪警報、高速道路は夏タイヤの走行禁止を発表、首都高も通行止めの計画。

ANA も JAL も2月4日の日曜日、翌5日のフライトの計画減便を 発表していた。

幸いこの減便には、当方予約をしていなかったが、減便になるとダイヤの混乱が予想された。

2月5日、朝から霧雨が降ったり止んだり、・・・朝食後、来間大橋を渡り、あれこれ観光後

帰りの準備、宮古空港でANA便の到着を待つ、

奥に見え利る赤レンガ屋根の宮古空港旅客ターミナルビル、秋に北方から飛来してくる渡り鳥

「さしば」が翼を広げて降り立つ姿とされます・・・1997年竣工

さしば?、渡り鳥、大型の鳥なのでしょう・・・調べてみましょう

 

日本自然保護協会(NACS-J)のオフィシャルサイトから、

絶滅危惧種の渡り鳥・サシバ(撮影:宮古野鳥の会 仲地邦博氏)「タカ目タカ科サシバ属」

栃木県市貝町など田んぼがあるところに3月ころ宮古島などから飛来して、サシバの繁殖地が関東にあるようです。

秋に南下して・・・宮古諸島が中継地、越冬はフィリッピンやすぐ隣の台湾などで過ごすようです。

 

 

ANA便、到着が遅れ機材の積み込みも遅れ、発着予定時刻が二度延期になったが、

宮古島飛行場を・・・ようやく飛び立った。

この先1週間は、宮古諸島天候が悪いらしい。

本島の東側、雨雲の下先端に岬が見えます。

左側が東シナ海(海域の北は韓国の西、済州島、日本の対馬、そして九州)このラインの北側が日本海。

海域西側の中国とは、尖閣諸島、東シナ海ガス田の利権で争いが続いている。

右が太平洋(フィリッピン海)

・・・台湾から南は、南シナ海の海域で、中国が埋立地を拡大して周辺国に紛争を持ち込んでいる。

雨雲の上に出た。

宮古空港からのANA1724便は、那覇まで飛んで、那覇で乗り換え羽田に向かう。

那覇での乗り換え時間がほとんどないでしょうが、当便を待たずに飛び立つことは無いでしょう。

関東地方の雪雲が気になるが、・・・騒いでもしょうがない

・・・成り行きで、運が良ければ無事羽田着になるでしょう。

雲海へ下降が始まった、那覇空港へは飛行時間35分くらい

着陸後のアナウンスで、駐機スポットが空かないので、暫くここで待機します・・・。

その後、ANA機が誘導路に出て行ったが・・・この場所を動かない

暫くして、次のANAが動き出した、・・・やっとスポットが空いたようで、移動するアナウンスが流れた。

乗り換え便のアナウンスがあった。

羽田行きの搭乗口が変更になり、約30分後と慌ただしいが、飛び立てれば何とかなるでしょう。

飛び立った機内で、羽田空港の天候次第で、行き先変更 名古屋や大阪に変わる可能性もありますと告げられた。

しかし、みぞれ模様の羽田に無事着陸でき、安心したのか、家路に急がずターミナル内で食事をしてしまった。

食事後、モノレールに乗った頃には冬の稲妻が轟き、大雪の中必死で帰宅することになりました。

・・・1月中旬、2月に失効するマイレージのメールをチェックしていて、どこかに行こうといつものパターンでした。

JALは、追加すると全てが1年有効期間が延びるのですが、ANAは古いものから失効するようです。

羽田第二ターミナル、モノレールを降りて、搭乗手続きへ

手荷物は、セルフサービスコーナが空いている。

機内預けのバッグを指定カ所において、搭乗券をスキャンさせる。

バッグに取り付けるラベルシールが印刷され、プリントアウトされてくる。

これをハンドルに貼り付けて、シャッターを降ろす。

・・・控のNoが記入されたシールを受け取り、機内預けは完了です。

12時出発、宮古島までANAの直行便、フライト時間は約3時間弱

空弁を購入して、機内に持ち込む。

保安検査場を通り

定刻通りの出発になりそう。

問題は、気温10度以下の東京から着ぶくれで乗り込んだ機内、

到着時は、気温25度以上の宮古島、

快晴の羽田を飛び立ち、一路・・・南へ

・・・到着時の荷物引き取り時に・・・ターミナル内で薄着になれば、大丈夫でしょう。

台北の東まで南下して、ここが宮古島

島の中央に滑走路、宮古空港です。

JALのジンベイジェット、美ら海水族館とのコラボ機が駐機していました。

まずは、東の先端 東平安名崎へ・・・20km強、20~30分

大きなサンゴ礁の環礁が見えます。

漁港があり駐車場も見える

航空写真で発見できるのは、漁港から外洋に船を出すのに航路を掘って深くしたのでしょう紺色の通路が見えます。

駐車場の近くから・・・平安名崎(ヘンナザキ)灯台です。

宮古ブルーと呼ばれる海の色

サンゴ礁の島、宮古島の離島をドライブしてみましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏の日の思い出

2023-11-09 | 旅行記

夏から秋に移り変わる・・・コスモスが咲き終わり、紅葉が進む・・・ギラギラの太陽が懐かしい・・・寂しくなる季節。

・・・突然55歳の従弟の訃報に接し、長く難病に苦しんでいたとはいえ、彼は違うステージに旅立った。

母の妹の叔母は、特養で過ごしている、6月に続き面会に出かけたが、生きがいを見出すことは難しそう。

アルバムを作成し、朝は鏡を見て・化粧をし・笑顔の訓練をと文書でお願いしてきたが、物忘れが進まないように。

今年の夏、振り返れば・・・楽しいこともあるだろう

夕日が西の海に・・・、イヤイヤ、雲海からの日の出でも無く

AM7:30、ホテルで朝食バイキングを頂き・・・向かった先が

仙台駅から南南東に15km、名取市の有名な朝市です。

右が仙台空港、左が目的地、閖上(ユリアゲ)です。

広い駐車場に一杯の車、9月の上旬です。

朝の9時半前、もう日差しが熱い・・・。

早朝にサンマの特売でもあったのかな? この漁港は赤貝が日本一。

海鮮炉端焼きも常設店も盛況で、品切れの店もあるようです。

この時期、海流の流れが例年と大きく変わりサンマは近海に寄って来ず不漁だった。

左が太平洋、5500人が暮らしていた閖上地区で、2011年東日本大震災の津波で、750人もの犠牲者が出てしまったそうです。

震災から2年後、カナダ政府などの寄付で、同じ地に食事処、お土産などの販売もあるメイプル館としてオープンしています。

メイプル館の海側にウッドデッキが並び、その周囲にテントと長テーブル、冷凍品、冷蔵品、・・・

こちらが、これから始まる 閖上(ユリアゲ)競り市に掛けられる商品が並びます。

牛タン1kg¥4,980- 5袋、見てしまいました。

ブラブラしていると、カラン、カランと鐘が鳴り始めた。

この鐘を鳴らしている方が、競り市の親分のようです。

参加するには、番号札の書かれた団扇を取りにいかねば、目の前です。

続いて支払いは、品物と現金交換、但しお釣りはありません。

100円単位です、両替はこちらで済ましてと

鐘が鳴り続いています。

海側の階段に参加者が並び、開始を待ち構えています。

時間は10時、台風一過、暑くなりそう。

今日は△〇さん進行か? いえ・・・私はxxx、壇上で今回は誰が進行するのか・・・決まらない。

親分が出てきて、◇△くん、落札者の番号を記入する人、君が商品を紹介する人・・・指示している様子

そして、暑いのに親分が壇上に立ち、進行し始めました。

まずは、サンマ、袋に何匹入っていたか忘れましたが、相場より安いとはいえ、まだ高かった。

売値を発表すると

ハイ、ハーイ・・・勢いよく団扇が上がります。

親分が扇子の番号を呼べば、落札です。

左右見渡し、次々に番号が呼ばれ・・・用意された数量がさばけていきます。

品物が変わり、次々に売れていくが、必要数に達しない場合、値下げはありません。

残ったままで終了です。

5番目以内に牛タンが登場するでしょう、落札できるか不安なうちに・・・

次は、牛タン、用意されたのは5袋。1袋・1㎏ ¥4,980-が・・・

2,500円~2,800円だろうと思っていたら・・・何と@2、000-

勢いよく・・・ハイ・ハイ、隣でも・・・ハーイ!

・・・〇4番、66番、・・・こちらを向いて続けて呼ばれたが、最初の番号が聞き取れなかった。

次に、別の方向でも呼ばれたようで、アットいう間に牛タンは終了。

・・・今、34番も呼ばれた? 興奮していてどうだったか。

商品が半分以上販売されて、栄養ドリンク10本の番 ¥1200の半額で、まだ売れ残っている。

こちらに親分が歩いてくる、客の反応が悪いのでアジ演説調、・・・つい衝動的にハイ!

盛り上げよう・・・と番号札を上げてしまう。

隣で家族の者が、仙台みそ、笹かまぼこと、楽しくなったのか落札している。

食品から観葉植物まで、バライティに富んだ商品が紹介され、楽しい時間が過ぎていった。

30分以上は続いたでしょう・・・しかし、暑かった。

以上で終了の合図で、・・・落札者は番号札を示して、目当ての所に並び、代引き購入です。

玉ねぎ1袋¥800-が・・・@200-で落札していました。

どのくらいの量になる?・・・右の角で、現物と対面、引き換えです。

そうそう牛タン、34番と66番、共に大声で団扇を上げたら、家族で2袋を落札してしまいました。

これが、朝市の購入品です。

牛タン2袋と玉ねぎ以外に、仙台みそは、@300-、笹かまぼこは、@600-、梨は、@800-、ドリンクは、@600-

牛タンは、名取市に工場がある陣中かと思ったら、違いましたが、市内で販売している商品です。

楽しい朝市でした、毎週朝早くから、関係者の皆様お疲れさまでした。

また季節の物を求めて、競り市に参加します。

皆様のご活躍、そして地区のご発展、関係者の皆様の御健康をお祈り申し上げます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

龍泉洞・岩泉町の鍾乳洞

2023-10-14 | 旅行記

・・・ドラゴンブルーの奇跡の地底湖・・・

龍泉洞のキャッチコピーですが、大雨の影響でドラゴンブルーは期待薄のようです。

ここは標高200m弱、西と北西の尾根から流れ出た3本の川が合流した清水川を渡り、洞穴探検です。

駐車場には、2台ほど先客がありました。

龍泉洞橋を渡り、入洞料は右のレストハウスでしょうか。

すぐ分かりました・・・入洞券売場の看板が目立っています。

大人が¥1,100-、パンフレットを頂きます。

洞窟内は相当寒い、雫が落ちてきたり?・・・ウィンドブレーカーなど、羽織る物が必要でしょう。

パンフレットには、日本三大鍾乳洞の一つで、昭和13年に「岩泉湧窟(ワックツ)及び蝙蝠(コウモリ)」

として国の天然記念物に指定されてます。

今日も調査が続き、洞窟の全長は5km以上と推定されています。(確認済は4,088m以上)

静止画と動画からの切出し画像(動画の編集は別)で、予想外の洞窟を・・・。

左側から聞こえる音は?・・・洞窟内から流れ出てくる渓流のようです。

さて洞窟内は、ゴツゴツとした荒れた地面を進むと思ったら、レジャー施設のような板張りです。

つまずく危険もなく拍子抜けです。

探検気分は、ほとんど無く観光コースです。

親切に足元を照らすライト付きです。

ゴーゴーと水の流れる音が響く中、前方にアトラクションがあります。

「長命の淵」:水流は通路の下を流れて、右側で淵になっています。

この先、左に曲がると開けた空間があるようです。

洞窟内の説明映像が流れています。

ここはパンフレットによると「摩天楼」、外気温との差は、ここではまだ 数℃ です。

洞窟とコウモリの説明です。

通路の右下を、結構な量の水流が流れています。

ここからは「百閒廊下」断層に沿って直線的に・・・「龍が通った道」を進みます。

コウモリ穴でしょうか

コウモリは、気温が高くてか?見当たらない。

断層の隙間を進みます。

天井が所どころ開けているので、圧迫感は少ないです。

ゴゥゴゥと「玉響の滝」の音が響きます。

チョットした探検気分の洞穴に進みます。

「龍宮の門」

その先は、

左右に分岐している不思議な空間です。

ここで右に進めば、長命の泉から帰路に

正面には亀

「亀岩」があり、左に進みます。

洞窟の幅が広がって、不思議な空間・・・ヒョットしたら三途の川、

左壁面に「音無の滝」の掲示・・・静かです。

闇夜に・・・天国への道では無いでしょう、ここは印象に残る空間です。

「月宮殿」とあります。なるほど

振り返れば、宮殿に飾られた美術工芸品があります。

「洞窟のビーナス」

前に進みましょう

左側を進みますが、右側は上から階段を降りてきて・・・帰り道のようです。

ここで、洞窟内の案内図を(パンフレットから)

現在地は、中央部のハートスポット付近です。

順路は左です。

多少洞窟感が増してきましたが、手摺付きの階段です。

ここから本命の地底湖へ下っていきます。

続いて、立派な階段を降り、板の間通路が見えます。

しばらく平らな通路を進むと、第一地底湖に到着

通路の左側、多分LEDなどでライトアップされていたのでしょうが、現状はこのような感じ。

静止画像の露光を上げてみましょう。

暗ければドラゴンブルーもお目にかかれません。

湿気が多いのかレンズが曇り、一眼レフはピントが合わないので苦労する。

この第一地底湖は、昭和30年代に発見されたそうです。

Goproで

続いて、前方の洞窟を抜けて

少し進むと、第二地底湖

第二地底湖、手摺の先・・・右に進むと広い空間に出ます。

音声ガイドが聞こえてきます。

洞窟を抜けると、右側に大きな階段が見えてきました。

正面に電光掲示板。

左側は手摺が続いています。薄暗いが、手摺の下に第三地底湖があるようです。

この行き止まりの広場で、振り返って手摺の右側、・・・ここが第三地底湖、最大水深98mとあります。

多分、以前は地底湖の周囲をライトアップされていたのでしょう、

周囲の状況が薄暗くて良くわからないが、深そうな感じはしました。

では広場の右側の壁面、・・・探検の雰囲気が若干味わえる三原峠まで階段を登ることになります。

ハイヒールの方や、幼児連れの方にとっては、楽しみより危険ですので、参考にしてください。

階段はライトアップされています。

最初の階段は幅が広いようですが、徐々に狭くなります。

7本くらい階段を登ると、踊り場の先に片側通行時の出口とパンフにはありますが、見つけられませんでした。

これが2本目だったでしょうか?

手摺をつかまって登れば、大丈夫でしょう。

このような作業場の横を通り

階段を右に曲がり・・・踊り場の手前で

前方に深い谷間があるような

手摺越しに除いてみると、薄暗いが、第三地底湖なのでしょうか

ここで立ち止まられても、危険なので・・・案内やライトアップはありません。

では、壁に向かって上ります。

時々前方を見ないと、・・・ここは左に曲がる際、頭上注意!

ホッとして、背伸びすると頭が当たります。

結構急な傾斜に

もう少しでしょう

長い階段を登って、・・・ここが三原峠でしょう。

地底湖水面から、約35m、最高点に到着です。

ここから少しづつ下りになります。

頭上に注意しながら

多少下りながら、水平移動が続きます。

・・・ここからは、左側の急な階段 滑る 注意!

急な階段です。

ユックリ下りましょう

天井には、鍾乳石が・・・。

第一地底湖の上方でしょうか、ここから下りが続きます。

最後、月宮殿の広場に出ました・・・一気に長い階段を下ります。

分岐の所まで降りてきました。

右奥に見えるのは、入り口方向です。

階段の裏側に「守り獅子」

「長命の泉」の横を通り

工事中で仮設通路を通り

落石もあります。

狭くても床は板張り、手摺付き

この板張りはどのように施工されたのか、気になります。

板張りの上に、プラスチックの人工岩石を貼り込んだのでしょうか。

・・・やがて、視界が霞んで来た感じ

出口が近い、外気温が高くなってモヤが発生しているのでしょうか、

・・・大きな水流が聞こえ・・・明るい日差しが目前に

フェンスの右下を、毎秒1500ℓの湧水量が洞窟から流れでていました。

・・・観光用に整備された通路床の施工技術と、複雑に連結された階段の施工にアッパレ。

道路の反対側に龍泉新洞科学館があります。

約200mの鍾乳洞が公開され、さまざまな鍾乳石が見られます。

共通チケットで入れますので、鍾乳石についての学びはそちらで。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風から逃れて、岩手・三陸へ

2023-09-30 | 旅行記

東京では30度以上の真夏日が90日を記録したとか、・・・肌を刺す日差しが痛い、そんな日々が続いている。

9月上旬の週間予報で、真夏日が避けられそうな地域が東北北部と北海道だけだった。

そこで青森と岩手のドライブを計画したのだったが、台風が追いかけてくる結果となりそうで、

青森の宿泊はキャンセルして、岩手、岩泉の龍泉洞を目指し出発した。

そして、昼過ぎ・・・曇天の気仙沼に到着。

・・・昼食後、悪夢の津波大災害地に・・・高田松原津波復興記念公園

公園のパンフレットです。

大駐車場に車を止め、広大なエリアです。

令和3年に国営追悼・記念施設、道の駅 高田松原、東日本大震災津波伝承館などが全面供用となっています。

道の駅は正面の建屋の中、・・・この扉から入り、右側になります。

奥で営業している道の駅も、明るく洒落た店舗です。

やはりこの地は、のぼりや屋台など賑やかな雰囲気は相応しくなく、屋外に出ると厳粛な気分になります。

奇跡の一本松には、歩いて行けますが、・・・近くまで車で行きます。

グーグルの画像を拝借、(南が上です)

赤線の所で、一本松方向には進入禁止の規制がありました。

この石碑は

御承知の通り、このいっぽんの松も残念ながら間もなく枯れてしまい、人工の修復がなされています。

幹の外側はそのまま利用し、芯を補強しているそうです。

枝に何羽か鳥も見えます。

伝承することは大事なことですが、この付近にも賑やかさが戻って来て欲しい。

堤防に守られた通岡道路を北上し、通岡ICから三陸沿岸道路に入ります。

・・・釜石で降りてガソリンの補給、釜石湾に面して大観音(石應禅寺釜石大観音)高さ48.5mが見えます。

近くに釜石市立鉄の歴史館もありますが、通り過ぎて大槌ICから高速に入ります。

曇天が続いている・・・陸前高田から宮古までは、約100kmくらいです。

・・・本州最東端の宮古市に到着、浄土ヶ浜に立ち寄ります。

浄土ヶ浜 第二駐車場に駐車して、北側の木立の間に遊歩道があります。

しかし、かなり急坂、丸太で段差を補強しているので滑らないですが、一段一段 下ります。

間もなくなだらかになり、木立を抜けると周回道路に合流します・・・目前は太平洋です。

天候が悪いので、観光客は少ない雰囲気です。

海岸線に沿って右側に遊歩道があります。

岩肌が白い、上部に強風にも負けない赤松林でしょうか

パノラマの風景です。

この景観が・・・浄土ヶ浜・・・松の緑・海の青さのコントラストをモチーフにした

「浄土ヶ浜エターナルグリーン」が地域色となっているとあります。

この日は残念ながら曇天で、露光量が少なくスカッとした色彩が見られません。

では道路の方へ戻りましょう。

ここから道路に沿って海岸線を左に進みます。

さらに左に進むと

浄土ヶ浜海浜、・・・かもめは猛暑の影響はあるんでしょうか

ここが撮影ポイントでしょうか。

・・・極楽浄土のごとし・・・

宮古市のHPでは、・・・鋭くとがった白い流紋岩が林立し、一つ一つ違った表情を見せて海岸を彩ります。

松の緑と岩肌の白、海の群青とのコントラストはまさに一見の価値あり。

浄土ヶ浜の地名は、天和年間(1681〜1683)に宮古山常安寺七世の霊鏡竜湖(1727年没)が、

「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことから名付けられたと言われています。

更に進むと、レストハウスのある広場に、道路から振り返るとこのような景観

・・・近くに案内板があります。

南から進んできて、中央上部に駐車して上部の道路に面した海岸線が現在地。

拡大しても解りにくいので、宮古市のHPから地図を拝借

通行止め期間は、4/1~10/31までとのことです。

「宮古うみねこ丸」でうみねこの餌やりを楽しみながら、このような風景を遊覧船で楽します。

さて、宿泊先まで45kmくらいあるので先を急ぎましょう。

予定時刻のPM6:00、宿泊先に到着

龍泉洞がある岩泉町です。

こちらのホテルからすぐ近くが鍾乳洞です。

日本三大鍾乳洞、ドラゴンブルーの奇跡の地底湖の宣伝文句ですが、雨続きで年中無休が・・・8月休業中。

最近やっと営業開始されたが、増水で濁りドラゴンブルーは、しばらく無理とか。

温泉に入って疲れを取り、痛風+高血圧対策で減量中に向く食事は、少量多品目でしょうか。

年に数回の天ぷらも、たまには頂きましょう。

ここは、朝食もこんな感じでした、龍泉洞に行かれる際のご参考まで。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上諏訪、霧ヶ峰散歩

2023-09-21 | 旅行記

諏訪湖の東、湖のすぐ近くに上諏訪駅、ここは温泉地です。

早朝、東斜面を散策しましょう。

手長神社の裏斜面の高台に茶臼山と高島古城跡が・・・案内板がありました。

この高台の結構広い平地には、2階建ての市営住宅でしょうか、数棟 並んでいますが、空き家のようです。

高台の端の方には、地区の公民館があり、その一角に

金毘羅神社がありました。

鳥居の先に、御柱に囲まれて、御神体が・・・。

鳥居の先は、諏訪湖が見えます。

上諏訪町立石地区でしょうか、斜面を散策していると所々で出会います。

こちらの御神体も、4本の御柱に囲まれ、更に大木も御神体なのでしょうか。

このような状態は、

お引越し、御神体がどこかに遷座されたのでしょうか

早朝の諏訪湖、モノラルでのパノラマです。

ホテルで朝食後、立石公園から霧ヶ峰へドライブです。

眺望は、ここも諏訪湖です。

この先、12~3km、20分くらいでしょうか。

霧ヶ峰ビーナスライン 駐車場

真夏は、霧ヶ峰高原 最高。

最初に来たのが10代、1週間で・・・焼けたねーと言われ、

真夏の海は、肌を露出するので 全身やけど状態、こちらの高原は、腕と顔が真っ黒。

いつ頃からか、グライダーが有名になり

今回は、朝ドラ「らんまん」に便乗して、植物写真の一部を紹介します。

この駐車場の目の前に

では、東京の小学生に混じって、

ニッコウキスゲなどは花が終わっています

このような散策路が設けてあります

ロープで区画割がされていました。

鳥や虫の観察に来られた方々も、

車山高原やその先の白樺湖、あるいはビーナスラインの先、美ヶ原と・・・懐かしい高原が広がります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

諏訪大社 前宮を歩いて

2023-09-15 | 旅行記

古事記の「国譲り神話」の登場人物が、建御雷(タケミカヅチ)神に勝負を挑んで・・・完敗、敗走して科野国の洲羽の海(諏訪湖)まで逃げてきた。

「この諏訪の地から二度と出ないから、殺さないでくれ」・・・何とか許された。

・・・前宮前、・・・神宮 前ではなく、前宮(マエミヤ)の前の信号です。

上社 前宮 ここは長野県茅野市宮川2030

右手前の駐車場に車を入れ、諏訪大社 上社 前宮に  ・・・参拝です。

目の前の階段を上りますが、鳥居の左側の坂道を車で上り、右側の社務所に進むこともできます。

この上、右側に社務所があります。

境内はどこまでなのか、のどかな雰囲気に順路が心配になります。

階段を上がると広場、この左先にありました大きな案内板を見てみましょう。

歴史が古いだけあって、色んな史跡が表示されています。

信濃一之宮 諏訪大社 前宮 が正式名称のようです。 

この掲示は、安国寺区 史友会の提供、安国寺は・・・左下に安國禅寺があります。

この一帯は、神殿(ゴウドノ)と呼んで、建御名方(タケミナカタ)神の子孫であり、現人神(アラヒトガミ)でもある方の居館がありました。

この諏訪では、現人神が明治に廃止されるまで、大祝(オオホウリ)の役職が存在していたことを知り・・・何それ、・・・?

諏訪市のHPでは、大祝をこのように説明しています。

・大祝(おおほうり)とは、諏訪明神の依り代(よりしろ-神霊が宿る対象物)・現人神(あらひとがみ-生き神様)として、諏訪社(上社・下社)の頂点に位置した神職です。

・上社大祝は、古代から近世末に至るまで世襲され、「諏方(すわ)氏」を名乗りました。

・中世までは、諏訪の領主として政治権力も握っていましたが、江戸時代に入り、「藩主諏訪家」と「大祝諏方家」ができ、完全に政教分離がなされました。

・明治維新で神官の世襲制度が廃止されたため、大祝職も廃止されました。

・生き神様を祀る信仰が存在し続けた諏訪社は、全国的にも珍しいといわれています。

漢字源で「祝」を調べてみると:意読;いわ・・・う / はふり / ほぐ / いわい / のりと

はふり;神官やみこなど、神に仕えてのりとをあげる人。

のりと;神に申し上げることば。長く声を引いてのべるのりと。転じてめでたいと、ことほぐことば。

この案内板の、中央右下に縦書きで、「神殿跡」とありますが、シンデンではありますが、ゴウドノ跡の位置です。

この件も、諏訪市のHPで、その後の案内があります。見学もできます。

・大祝の居館は「神殿(ごうどの)」と呼ばれ、神聖な場所とされていました。

・中世までは前宮の麓にありましたが、遅くとも安土・桃山時代には現在地に居館を構えました。

・これに伴い、周辺に宮田渡(みやたど)と呼ばれる集落が形成されました。

・居館は江戸時代後期に焼失し、天保年間(1830~44年)に再建されました。

・再建当時は約3,000坪の敷地に、約320坪の主屋などが建てられていました。

・その後、明治・大正を経て昭和初期には、敷地とともに主屋も約80坪に縮小され、現在の主屋は約43坪となっています。

中央の少し下・・・社務所前に、若御子社(ワカミコシャ)があります。

ここは、建御名方(タケミナカタ)命の子供たちを合祀しているとのこと。

鎌倉時代以降、武士は戦いで死ぬことが現実となり、神様、軍神を求め始めたのでしょう。

ところで・・・古事記の「科野国」とは?

・・・飛鳥時代から奈良時代に移った713年に、科野国は信濃国と改められた。(小学館:日本歴史地名大系より)

古事記では、この諏訪の主人公:建御名方(タケミナカタ)神が、兄の事代主(コトシロヌシ)神に続き勝負に負けたことで、父の大国主神も国譲りを承諾した。

天照大御神の使者と交渉の地:島根県出雲市稲佐の浜

大国主神は、大きな御殿を要求し・・・「自分が鎮まるために建ててもらえるならば、出雲の国に鎮まるだろう」

・・・出雲大社が歴史に登場します。

驚くことに、巨大な柱が発掘されています。

日本史は知識が乏しく、調べてみると・・・飛鳥時代の壬申(ジンシン)の乱に勝利し、天皇中心の統治に必要な大宝律令を完成させたのが701年

天皇の系譜、歴史をまとめるよう・・・壬申の乱から40年、712年にまとめられた古事記は計3巻、上巻には神話の世界から天皇誕生までの記述が。

中巻は、初代天皇:神武から応神天皇まで。

下巻は、仁徳から推古女帝(天皇)まで、

710年に都を、藤原京(奈良県橿原市)から平城京(奈良市)に移しました。

そして奈良時代・・・720年に完成したのが全30巻の日本書紀、この最初の1、2巻に神話的性格の「神代記」があります。

日本書紀の「神代記」には、古事記の国譲りなどは登場しません。

古事記の編纂の目的は、神話を織り込み、天皇が統治していること、皇位継承の正当性を物語として広く告知したかった。

日本書紀は、対外的に日本国の正式な歴史を紹介することを目的としている。このような解釈が一般的のようです。

諏訪明神に「神体」無く「大祝」をもって神体となす・・・大祝は人間で現人神であり・・・皆の衆、神体であらせられるぞ・・ハハー!

秘密結社ではないでしょう?・・・多くの資料があります、系図などはデータベースに、国会図書館や明治初期に調査された資料など・・・

室町時代に編纂された、「諏訪大明神画詞(諏訪大明神絵詞(スワダイミョウジンエコトバ)」や諏訪市史、重要な資料です。

この鳥居手前の右側に、社務所があります。

そして階段を上がった右側に、内御玉殿(ウチミタマデン)が見えます。

左側は、十間廊のようです。

多分、拾い読みして印象に残ったのがWikipediaの諏訪氏史だったか・・・納得できる仮説、そこに多少プラスして推測してみました。

(茅野市の、地域誌研究と年表作成の諸問題・・・藤森 明 氏の年表試案 抜粋を・・・考古学のプロの資料として拝借)

672年、壬申(ジンシン)の乱のころ、奈良の都で舎人(トネリ)(天皇の護衛、雑務など)の職にあった金刺舎人氏が諏訪を支配するようになった。

それ以降、守谷氏と共同で諏訪地区の祭祀を行っていた。

当時も今も役人は権威が好き、人臣にも神(神道の神)にもランク付け、神は 神階(シンカイ)(正六位から正一位まで)があります。

そこで、諏訪大社の権威を上げるには、・・・神秘性のある物語、

・・・天界の天皇に負けた地上の神、悲劇の主役は出雲、脇役に信濃とメリハリを付ければ、信ぴょう性が高まるのでは?

知人の古事記 編纂者に、神話に「建御名方神」を創作として掲載するよう金刺舎人氏が働きかけたとすれば・・・知恵者です、納得。

下社の大祝が金刺舎人氏系統ですが、上社と下社では上社の方が上位の位置関係のようです。

「建御名方神」を祀るのが上社。901年 神階・・・正一位となる。

下社は、「建御名方神」の妻とされる「八坂刀売神」(ヤサカトメノカミ)、神階:従一位 です。

イベントは地域の活性化に必要で、大祝・現人神がこの地を平定し 浸透すれば・・・

儀式が格式をあげ、いつしか「建御名方神」が伝説となります・・・継続は力です。

そして、年表では 806年、諏訪大社 式年造営 が始まると伝えられる。

・・・この前宮では、ご本殿があります。

内御玉殿から坂道を200mほど進むと到着しますが、少し登った右側に、広い交流広場があります。

案内板があります。

鎌倉道(カマクラミチ)遊歩道のタイトルが目立ちます。

昔の人は、健脚が当たり前、鎌倉ですと180~200㎞くらいでしょうか。

この諏訪の地は、奈良時代には馬の産地として有名だったようで、天竜川や千曲川もあり交流も盛んな様子が残っています。

大祝を調べていると、上社下社での争い、山の裏側・高遠や隣の甲府 武田軍との争いなど・・・神様も大変だったようです。

・・・古くは神殿に付属したお社と、当前宮のHPに記載されていますが・・・坂道を登って到着。

歴史を感じる 諏訪大社 上社 前宮御本殿です。

両側の柵が、内部への侵入は禁止と、意思表示しています。

右側に平地があり、開けているので回ってみます。

御柱、一之御柱が手前にあり、奥に四之御柱が見えています。

神主様が御勤め終了でしょうか、

清々しい雰囲気です。

二之御柱は、本殿に向かって左側に

この道の左側に、守屋山の水眼(スイガ)を水源とする渓流?が流れています。

本殿のみを囲んで、御柱4本が建てられています。

「高台で豊富な水や日照が得られる良き地で、御祭神が最初に居を構えられ、諏訪信仰発祥の地と伝えられています。

現在の社殿は昭和七年伊勢の神宮の御用材を以て建られたものです」とHPにありました。

諏訪大社、多少調べた程度では・・・奥が深くて、住んでみないと解らない。

地元にしっかり根付いた伝統が守られている信濃の国でした。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏の暑さに負けて、雨にも負けず北上を

2023-09-11 | 旅行記

日差しが痛い、異常気象の日本、台風が次々に・・・旅行はどうする?

台風13号が外れそうだったが、木曜日 午後8時のニュースでは関東に上陸しそう、

困るのが、台風よりもはるか北東に線状降水帯を発生させる雨雲が強力で残っている。

今回、週末に予約している青森、弘前のホテルには無事到着できそうか?

大雨が続き、途中での道路事情のリスクを考慮して・・・キャンセルのメールを入れる。

手前の岩手県 岩泉の龍泉洞は・・・涼を求めて北上する計画の主たる目的地だった。

ここまでキャンセルすると、旅行が白紙になってしまう。

前日キャンセルも、お騒がせになるので結局、そのままで成り行きまかせ!

写真・動画の整理は終わっていないが・・・岩泉までの概略が・・・

・・・金曜朝 5:00、東京は早朝から雨模様となったが・・・6:30になった、

雨には多分強い オールシーズンタイヤだ、 出かけよう。

東北自動車道、比較的すいていた・・・宇都宮、100km まだ強い雨が続いている。

・・・200km 郡山、前方が明るくなってきた・・・雨雲が切れそうだ。

宮城県に入り、白石・・・300km、もうすぐ仙台南JCから、太平洋岸の東に向かう・・・

松島から石巻・・・ 400km、無料の三陸道を走って

12時を過ぎた、昼食は宮城県の最北、気仙沼でマグロを!

食後、気仙沼が一望に見渡せる安波山 の麓まで車を走らせたが、霧雨と曇天で展望台行きは中止。

隣の岩手県、陸前高田へ

入り組んだ湾に、悪夢が襲った、そして、奇跡の一本松が有名になったが枯れてしまった。

・・・塩害だったのだろうか

宮古の人気の景観にも接し・・・

岩泉の龍泉洞ホテルに PM6:00 到着 東京を抜けてから600kmは過ぎていたようだった。

翌朝は、霧雨模様、800m先の龍泉洞内は気温10℃、カメラのトラブルに注意!(別途)

青森行きを中止したので、三陸海岸をドライブ

仙台市内に戻り、ホテルにPM6時チェックイン

そして、日曜の朝快晴、閖上(ユリアゲ)名物の朝市で・・・直射日光を首筋に当てながらセリに参加し

予想外の名産品を成り行きで・・・ゲット!(別途)

仙台市内の神社を散策・・・(別途)

東北自動車道、日曜日午後3時過ぎの情報、国見で事故通行止め、

通行止めは困る・・・他に東京方面で・・・栃木県内だったか、違う地点でも事故xの表示。

・・・常磐道は1車線で所どころ対面通行、遅い車を追い越し車線で追い越し続け・・・、

夜間は対向車のライトや、中央線を視界に入れ続けるので、目が疲れるがやむを得ない、

仙台から・・・常磐道を選択し・・・ひたすら走って・・・守谷で夕食、無事帰宅へ。

我が家のベランダ農園が心配で・・・葉が水分不足だが朝日を浴びて、元気な状況を確認。

無花果が二つ、熟していました。葉影に、もう1つ、これもすぐ熟しそう。

これでプランター栽培で、計5個、残るは2個、予想外の収穫となりそうです。

・・・諏訪大社の前宮の整理が残っていました。

旅行記ブログ、大半が途中で・・・終了。

レオナルド・ダ・ヴィンチ・・・完成形が見えてくると・・・好奇心、探求心が薄れるのか、

依頼主の作品を完成させることよりも、他のことを探し始めているようです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする