何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

676日目 美容室アミユ

2006年01月31日 18時49分54秒 | Weblog
1月30日

 此処数ヶ月、経済的状況が良くない。
 昨日、典子さんから、12月の諸経費の銀行引き落としがされていないとの連絡があった。早急に、銀行にお金を振り込んで欲しいとも。

 生活費の事もある、僕の財布には、今日明日を、何とか埋め合わす事が出来るだけのお金が入っている。早く起きて、銀行に出かけようと思っていたのだが、起きだしたのは、午後の2時だった。たまっている洗濯をコインランドリーに行ってやろうとも思っていた。ギターや洗濯物を車に積み込んで出発したのは2時半。天竜にある銀行に着いたのは3時を過ぎていた。この銀行から振り込んでも、僕の取引している銀行に届くの明日らしい。今月も、諸経費の引き落としが出来なくなるかもしれない。まー仕方ない。

 それより、この先のスケジュールもほとんど決まっていないし、我が暮らしどうなる事やら。日雇い暮らしは厳しいなー。

 於呂という処にコインランドリーがあることは知っていたので、そこに出かけ洗濯を開始した。今夜のライブ会場がどこかは知らない。知らないが、稲鶴さんと6時に上島で待ち合わせしている。あとは、稲鶴さんに任せばいい。今日のライブは、2日前に、稲鶴さんにお願いして実現したものだ。

 5時に、洗濯、終了。少し早いが出発しようとしてエンジンキーを回した。何も言わない。エェー!。もう一度、キーを回した。…沈黙…。ヤバッ!。もう一度回した。
 心配していたバッテリーが上がってしまった。あわてて、稲鶴さんに連絡した。「遅れるかもしれないが、近くにガソリンスタンドがあるので、何とかして行きますから待っていてください。」と。

 すぐそばにあるガソリンスタンドに出かけたら、1050円ですと、エンジンを掛けるだけの手数料を取られた。そして、車に乗って(歩いても1分も掛からないのだが)コインランドリーへ、エンジンを直結させて、あっという間にエンジン始動完了。ガソリンスタンドの車に乗ってエンジン始動までわずか3分足らず。ものすごい損をしたような気分だった。

 とりあえず、車が動いたので、上島のボウリング場の駐車場に、6時10分前に着くと、稲鶴さんがすでにやってきてくれていた。稲鶴さんの意見で、近くにあるという車用品販売店に出かけた。もちろんバッテリー交換ともうひとつ、此処のところ交換していないオイルも。沢山の整備場の付いた大きな車洋品店だった。今日、銀行に振り込んだので、僕の財布の中には、9千円しか入っていなかった。果たして、バッテリーとオイルの交換が出来るだろうかとドキドキした。その店の会員になると工賃がただになると聞いて、すぐに会費無しの会員になった。バッテリーは5千円と少し、オイルは2千円弱。両方で7500円ほどですんだ、ギリギリセーフ。財布の中は、千円札が一枚と小銭が残った。

 整備場が沢山あるので、取り付けとオイル交換は20分ほどで終了。これで車は完璧かというと、まだおかしなところはある。それは日産の整備工場でないとわからないということで、後日行く事に。でも、お金が~…。

 今日の、ライブ会場は、美容室アミユ。僕の歌を聞いてくれた事のある人で、ムーさんから連絡してもらって決まったとの事だった。近くのお店で食事をご馳走になって、アミユへ。
 ライブは、7時半から。ムードを出そうという稲鶴さんの提案で、照明器具だけ出して、セットした。お客さんは10人ほどやって来てくれた。店の電気を消し、僕の簡単な照明器具だけで照らし出すと、美容室が、素敵なライブ会場に変身。ムーさんもやってきてくれて、ライブ開始。1時間半、大人たちのいいムードで1時間半のライブを終えた。

 激動の一日だった。

 そして、明日のライブのスケジュールは決まっていない。

675日目 アクトボックス

2006年01月31日 18時44分06秒 | Weblog
1月29日

 ライブをしていると、何処ででも、新曲の入ったCDが欲しいといわれる。早く録音しなければならないのだが、今日も起きだしたのは昼を過ぎていた。

 そして、今日のライブは、浜松のアクトボックスで3時スタート。起き出してすぐに車に飛び乗って浜松市内へ。アクトボックスには、3時少し前にかろうじて着く事が出来た。公任子ちゃんが遅い弁当を食べていた。
 展示室では、不思議な革製品の魚たちが展示されていた。その中でのライブだ。歌う場所を決めて、しばらくして3時になった。お客さんは、公任子ちゃんと一緒に働いているおばさんを除けば、店に立ち寄って少しだけ聞いてくれた人もいたが最終的には2人だけだった。

 年配の女性と若い女性、それぞれに感じるところがあったらしく、ライブ終了後、楽しく語って、又3月ごろライブをやらせてもらうことを約束して、寝不足だったので、すぐに勝坂に戻った。

674日目 ムーハウス

2006年01月31日 18時42分36秒 | Weblog
1月28日

 目覚めたのは、12時近く。エンボスと西部広告の事務所は営業している。その真ん中で、小山さんと僕は眠り続けていたのだ。仕事をしている押切さんやワンワンには申し訳ないが、最高の寝心地だった。

 起き出して、二人で、近くに出来たという風呂屋に出かけた。その風呂屋は152号線沿いからすこしはいったところにあった。1年前からあるという。知らなかった。この道を僕は常に走っていて、このあたりで風呂には入れれば助かるのにと思っていたのだ、が、見つけることが出来なかった。露天風呂もある、いい感じの風呂屋だった。身体をきれいにして、エンボスに戻ると、沼津から渡辺さんという人がやってきていた。
 押し切りさんが昼ご飯を作ってくれていた。それを頂いて、3時近くまでエンボスで過ごし、今夜のライブ会場の、ムーさんの別荘に向かった。

 この後のライブスケジュールは2月もがら空きだ、毎回のライブで、皆さんにライブ企画をお願いしているのだがなかなか難しい。今夜のライブも、次の企画をしてくれる人を探すライブだ。

 主催者はアマチュアランナーの萩田さん。ランナーの仲間や、いろんな勉強会で出会った仲間達を集めて、泊り込みの語り合い。その中でのライブは9時から。
 6時から食事だからというメールを頂いていたので、その時間に到着。競輪選手の稲鶴さんも来ていて、音響機材を運んでもらって、セッティングを済ませてから皆さんと一緒に食事会に参加。
 自己紹介が始まって、まだ来ていない人は除いて30人の人達が語り終わるまで1時間以上掛かった。それぞれにそれぞれの経験を持った人達で、聞いていても飽きなかったが、人の話も聞かないで、チラッと聞こえた話に野次を飛ばし、聞いていないくせに話が長い、と、その隣に座っていた同類の女性とぶつぶつ言っているのが、僕の隣に座っていた。頭を張り倒したくなったが、場を壊してはいけないので黙って堪えた。

 9時になって、ライブタイム。ライブは1時間半を超え、手拍子鳴り響き、大きな声で僕の歌をサポートするコーラスがあったり。ものすごく楽しく過ぎていったのだが、途中僕を苛立たせる野次を飛ばす女が居た。
 先ほどの食事会で隣に座った男とふてくされて喋り続けていた女だ。ライブの途中も、別室ではあったが、その男と大きな声で話し続けていた。その事ですでに頭に来ていたのだが、そのうちに、僕のライブにあぁーだこーだと注文をつけてきた。完全に頭にきた。が、抑えて抑えて、声を荒げずに、このライブは「おひねり」を頂くライブだから、聞いていないどころか、他の人への迷惑をも考えず大きな声で話し続けているような人からはお金をもらう気もないし、その人の意見は、聞く気もないときっぱり言い切って、ライブを続けた。
 その時だけ、めちゃくちゃ不愉快になったが、他の人達が僕を盛り上げてくれていたので、その事をすぐに頭から捨て去って、その後は、皆さんと思いっきり盛り上がって終わったライブだった。

 ライブ終了後は、皆さんの飲み会に参加。僕の歌をはじめて聞くアマチュアランナーの人達は「ランナー」が特に気に入ってくれたようで、さまざまな人と語り合った。星を見ることが好きな人が、大きな望遠鏡を庭に設置していた。その望遠鏡で初めて昴を見た。夜空に浮かぶ星雲「昴」その光は、僕が生まれる何万年も前の光だと思うと、この地上の些細なことで苛立っている自分は小さいなと感じた。

 日付が変わって4時ごろ、勝坂に帰ることにした。車に荷物を積み込んで、出発しようとすると、エンジンが掛からない。車の上には霜が白く張り付くほど寒い中、他の車のエンジンと直結させてやっと動き出した。バッテリーがもう駄目になりかけているのだ。早く、交換しなくては思いつつ、勝坂に。

673日目 エンボス亭

2006年01月31日 18時40分56秒 | Weblog
1月27日

 今夜はエンボス亭でのライブ。
 前の事務所の時には、奥に座敷があってそこが僕のライブ場所になっていたのだが、事務所を引越ししてからは、座敷もなくなりもうライブは出来ないと思い込んでいた。
 ところが、この間、遊びに出かけたとき、エンボスと押切さんの西部広告の事務所の間に、ロッカーで仕切られたスペースが作られ、そこには畳が引かれていた。奥座敷ではなく中座敷が出来上がっていたのだ。そのスペースの名は「エンボス亭」。

 7時前に、エンボス亭に到着した。前の奥座敷は広かったので音響機材を使っていたが、エンボス亭は6畳程度の細い空間。機材はいらないと思ったので、時間ぎりぎりに着いた。今夜のライブは、昔からのなじみの人達が集まっての新年会の中でミニミニだ。テーブルの上には、押切さんの作った料理がすでに並んでいて、お客さんを待つのみ。
 7時になって、なじみのメンバーが次々とやってきた。小山さんが会社を作る前の「遠文連」に居た頃のメンバーだ。少ない人数だったが、ほとんどみんな顔見知りだ、お酒を飲みながらわいわいがやがやと会話を楽しんでいる中で、ライブを短めに済ませ、その後も、押切さんが作った料理をつつきながら、夜中の2時近くまでみんなで楽しんだ新年会だった。

 すっかり酔っ払った僕は、中座敷で、小山さんと泊めて頂くことになった。