何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

659日目 磐田さぎさか工業団地協同組合・新年会

2006年01月13日 22時42分36秒 | Weblog
 1月13日

 たまっていた日記を書くのにここ数日そして今日のライブに出掛けるまで掛かってしまった。でもこれで、やっと新しいCDのレコーディングに入れる。スケジュールを埋めるのも大変なのだが、ホームページとブログの更新も大変だ。そして、常に次の曲を考え続けている。こんなに頑張っても、稼ぎは同年代の人並み以下だ。大好きな事だけやり続けて飯を食っていこうとしているのだから、愚痴ってもしゃーない事だ。ん。

今日のライブは。
 静岡県に戻り、勝坂から、静岡県の人達にメールでライブのお願いを出した中で、3人の人達が協力のメールを返してくれた。その中の一人、磐田の丸真電子の社長の相曽さんが、自分の所属している磐田さぎさか工業団地協同組合の新年会に掛け合ってくれてギャラ設定のライブを企画してくれて実現した。

 場所は、磐田市の湯川荘という料理旅館。組合の大杉さんと連絡を取り合って現地に5時30分過ぎに到着。事前に、泊まりはどうするかととも聞かれたが、やらなければ成らない事が山済みしているので、出来れば唄うだけで帰りたいというわがままを受け入れてもらった。

 さぎさか工業団地の社長さんたちばかりが17人集まる新年会。僕は、ロビーで出番を待った。6時半から新年会が始まるから、それまで待った。6時半前に、フロントに派手な薄着のお姉ちゃん達が4人やってきた、新年会にやってきたコンパニオン達だった。うっ…ヤバイ。これは覚悟しなきゃ。コンパニオンがはしゃぐ中でのライブだ、割りきりが必要なのは最初から思っていたがコンパニオンが入るとは思っていなかったので、ちょっとビビッタ。
 でも、今夜のライブは、おひねりライブではない、ギャラをもらうのだから、営業なんだと割り切ってやれる。

 6時半になり、会場の外に出かけ待った。40分に大杉さんが僕の簡単な紹介をして呼び込んでくれた。時間は30分。会場はコンパニオンの元気な声が響き渡っていた。彼女達も営業、僕も営業。仕方がない。
それでも気を抜かず全力で30分のライブを突っ走った。「ランナー」がヤマハジュビロの応援歌になろうとしていると話したら、ライブ終了後、買いたいという人が出てきた。大杉さんが理事長に話して、組合で人数分を買ってくれることになった。17人分のCDが売れた。思わぬ収入だ。その後にも、友達にあげたいからと別個に5枚買ってくれたアポロ電気の社長の大田さんがいた。

 どんな場所でも、力を抜いたらいけないのだ。

 気持ちよく勝坂に車を走らせていたら、春野町に差し掛かる前に雨が降り出した。やったー。雪道を走ってきて、凍結防止用の塩が車全体に白くこびりついていたのだが、これで塩はきれいに落ちる。

 だが、今夜から始めようと思っていたレコーディングは見送りだ、雨音の入ったCDでは売り物にはならない。もう一日ゆっくりしろという事かな。

658日目 輩・日付変更線ライブ

2006年01月13日 12時46分04秒 | Weblog
1月12日

 酔っ払いライブだ、飲んでは休み又唄いだす。そんな風に12時を過ぎ、二人の話し続けているお客を無視しててっちゃんと坂下さんと音楽談義をしながら唄い続けた。
 店を出たのは1時半を回っていた。外は寒かったが心のホットな夜だった。

 昼頃目覚めたら、久しぶりの二日酔いだった。何にも出来ないまま、日記を書いたりしてゴロゴロの一日を過ごした。

657日目 輩

2006年01月13日 12時42分36秒 | Weblog
1月11日

 今夜は気楽な「輩」でのライブ。昨夜帰り際に寄ったら、寿司屋の次郎さん達が飲んでいて、山を大切にしなきゃと真剣に話し込んだ。そして、今日のことも伝えておいた。

 8時過ぎに輩の暖簾をくぐると、いつものようにてっちゃんが一人でテレビを見ていた。何気ない会話をしているうちに9時が過ぎ、坂下さんがやってきた。その後もお客さんはきそうになかったので、てっちゃんの言い出しで、ライブを開始。語り口調の曲ばかりを選んで渋く渋く唄っていたら、次郎さん達が3人でやってきた。一人は話したくて仕方がない様子で、喋りっぱなしだ。
 此処からは、渋くやっても仕方がないと、適当に飲みながら休みながら、その場その場の雰囲気で英語の曲を唄ったり元気な歌を唄ったり。勝坂賛歌は僕が最初に歌い、しばらくしててっちゃんが唄いだした。この、てっちゃんの勝坂賛歌は必聴ものだ。めっちゃくちゃ良くなっている。僕の雰囲気とはまったく違い、二ールヤング風の、ゆったりしたテンポで始まる、どちらかというとブルースだ。てっちゃんが僕のギターで歌っていたので、僕はてっちゃんのギターを取り出して、オブリガードでリードギターを弾いた。もちろんブルース風に。僕のギターを聞いたてっちゃんは間奏やエンディングを長めにとって、僕のリードギターを引き出してくれている。酔って弾く僕のリードギターは昔から定評がある、残念な事にしらふだといいフレーズが弾けないのだ。
 今夜は、この一曲だけでも価値あるライブだった。

 11時ごろまで、適とうライブは続いて、次郎さん夫婦はおひねりを置いて帰っていった。

 このままやっちゃうかと、引き続き、日付変更線に突入する事になった。

656日目 なんでモール

2006年01月13日 12時39分54秒 | Weblog
1月10日

 今日は、少し早めに勝坂を出て、浜松市内の楽器屋さんに出掛けた。ギブソンにはギブソンの弦が合うと思って買ったギブソンの弦はまだあるのだが、どうも僕には合わない。やっぱり、マーチンの弦だ、それもSPのミディアムゲージ。5セット買って、ピックもヤマハの30番の硬さのピックを5枚。これで当分もつはずだ。

 なんでモールには7時ごろ到着。さっそく弦を張り替えた。いい感じだ。でも、ギブソンは以外にテンションが柔らかく、強く弾くと弦がビビッてしまう、ひょっとしたら、僕にはミディアムゲージよりもハードゲージのほうがいいかもしれないと感じた。又今度試してみようと思う。

 新しく張り替えた弦で、ギターの響きが気持ちいい。早速、今日朝から作っていた新曲の練習を始めた。なんでモールのライブでは、毎回新曲を披露しようと頑張っている。今日は無理かもしれないと思っていたが、朝起きだしてから、頑張って作り上げる事が出来た。曲調は明るい感じのミディアムテンポで、こんな詩です。

     もっと元気に

  一人ぼっちの夜に泣いて
   泣いて泣いて泣きくずれ
   涙で心を濡らせたら
   希望の花を咲かせましょう
   ほんの少しでいいんです
   僕に勇気をくださいな
   背中を押してもらえたら
   歩き出せる気がします

 * ら~んら~ららんらら~ 大きく腕振って
   ら~んら~ららんらら~ らら胸張って
   明日は元気に 行きましょう
   もっと元気に 生きましょう
   とにかく元気に 行きましょう
   誰より元気に 生きましょう


   くじけてしまっていいんです
   悩んでばかりでいいんです
   めそめそしたっていいんです
   そうして今日を生きたなら
   ほんの少しでいいんです
   僕に勇気をくださいな
   あなたに背中を押されたら
   歩き出せる気がします

 * (繰り返し)

   あなたに逢いに出掛けます
   朝一番に出掛けます
   雨が降っても 出掛けます
   傘を開いて出掛けます
   ら~んら~ららんらら~ 大きく足上げて
   ら~んら~ららんらら~ らら胸張って
   ら~んら~ららんらら~ ららららら~
   ら~んら~ららんらら~ ららららら~

 そして8時がやってきた。お客さんはその時点で3人だったが最終的には4人と少なかった。が、僕にとって新しい歌を唄うという目的があるので関係ないのだ。
 一曲目は、前回のライブで作りかけのまま発表した「愛」からのスタート。「愛」の詩はこんな風になりました。

    愛

 貴方のそばで 貴方を見つめ
 貴方と共に 生きてきた
 夢見るように 恋するように
 重ねた日々を 綴れ織る
  涙に霞んだ 思い出も
  しあわせ 紡ぐ 糸にして
 夢見るように 恋するように
 貴方と共に 生きてきた


 貴方のそばで 貴方を見つめ
 貴方と共に 生きてゆく
  たとえ命は 枯れ果てて
  時が二人を 別つとも
 夢見るように 恋するように
 重ねた日々を 忘れない

「愛」をテーマにした曲つなぎでたっぷり唄った1時間半でした。

655日目 高柳宅ホームコンサート

2006年01月13日 12時37分04秒 | Weblog
1月 9日

 今日のライブは、高柳君の家でのホームコンサートだ。年末、長万部で出会った時に、お願いしていたホームコンサートが今日になった。

 浜松市内に出掛けてギターの弦やピックを買いに行こうと思いながら、うだうだしている間に夕方になってしまい、そのまま高柳君の家に出掛ける事になってしまった。

 6時ごろ家について、家族の人達と一緒に夕食を頂いている間に、高柳君と一緒に青年の船に乗った仲間達がやって来てくれた。高柳家でのこの時期のライブは3年目。恒例化し始めている。
 なぜか静かなライブが1時間半。ライブ終了後、みんなでお茶を飲んでいる時、この先のライブが決まっていないことを訴えて、1時間ほど過ごして勝坂に戻った。

 小石間トンネルを抜けたら、突然うっすらと積もった雪があった。今夜も寒い。空には煌々と輝く月が出ていた。

654日目 にこにこ青年講座

2006年01月13日 12時32分15秒 | Weblog
1月 8日

 ニコニコ青年講座の仲間達の成人式はハートフルで催される。11時開始という事だったので、ホテルを10時にチェックアウト、すぐに会場に向かった。10時半前に着いたので、車中で朝食を食べていたら、芝さんがやってきた。控え室を用意してある事を僕に伝え、どこかに出掛けてしまった。

 会場に向かうときに音響機材を運んだ。一人で運ぶには3回掛かるところ、青年達のお母さんが手伝ってくれて2回ですんだ。音響機材をセットした頃には、成人式が始まった。

 成人式のお祝いを受けるのはたった一人。祝いに駆けつけたのはほとんどがニコニコ青年講座の仲間達とお母さん達、そしてボランティアの人達と高校生。少ない人数の成人式だが、日本中で行われるだろうどんな立派な成人式よりも、心暖かな式典だと僕は思う。

 30分ほどで式は終わり、参加者みんなそろって輪になって昼食の弁当を食べ、午後のアトラクションに備えた。

 1時から始まったアトラクションはコンサート。まずは、地元女子高校生二人のグループ、「ばななちっぷす」が、素敵な歌声でオープニングアクトを飾った。そして僕の出番。1時間半を唄って、皆さんの喝采を浴びた。
 青年達とのライブはもう何度も繰り返していたのだが、今回は、青年講座の太鼓のメンバーと「勝坂賛歌」を一緒に演奏できた事が嬉しかった。

 ライブ終了後後片付けを終えて、今年初めての勝坂に戻った。北海道の寒さとは違う、特別な寒さの中。コタツに潜り込んだまま眠ってしまった。

653日目 ホテルの部屋で

2006年01月13日 12時28分43秒 | Weblog
1月 7日

 朝8時ごろには目が覚めた。腹ごしらえをしている間に、駐車している車が多くなってきた。今日は晴天。疲れた身体に鞭打って、走り続ける一日だった。東北自動車道から、首都高速、そして東名高速道路に乗り換えて吉田町に到着したのは4時過ぎだった。

 芝さんと喫茶店で待ち合わせ、ホテルに向かった。

 今夜のライブは、ホテルの部屋。8時ごろに仲間を連れてやってくるといって、芝さんは一旦出て行った。
 その間に、風呂に入った。普段ホテルではシャワーだけで済ませてしまうのだが、すっかり疲れきっている身体をほぐす為に湯を張って、ゆっくりと身体を温めた。そして、少し仮眠。

 8時に、芝さんは2人の仲間を連れてやってきてくれた。ホテルの部屋なので、大声は出せない。声を抑えて静かな曲を選んでそれでも1時間弱のライブ。
 ライブの後食事に誘われたが、疲れていたので、眠らせてもらう事にした。

652日目 紫苑

2006年01月13日 09時45分08秒 | Weblog
1月 6日

 酒でも飲んで眠ろうかと思ったが、酒を飲む気力もないほど疲れきっていた。そのままシートを倒して眠ってしまった。

 10時ごろ目覚めた。腰から肩にかけて鈍痛が走っている。ストレッチをしてもなかなか痛みは治まりそうにない。パーキングの売店に出掛け朝食をとり、少し楽になった身体を引きずって、車を走らせた。雪は降っていない。時間もたっぷりあるので、盛岡の手前で高速道路を降りた。

 周りに雪は高く積もっているが、道路に雪はなかった。

 夕方、花泉町の元役場に到着。少しして、ライブ会場になるスナック・紫苑へ。スタッフと共に夕食をとって、紫苑の2階大広間でライブ。7時から始まったライブは、徐々に20人以上の人達が寒い中集まってくれた。年齢層が幅広かったので、「さとうきび畑」など、皆さんの知っている歌も織り交ぜてのライブは1時間半を超えた。
 そして僕は、明日、静岡県吉田町に到着できるように、その場を後にして、いよいよ冷え込んできた花泉町を出発した。

 高速道路に乗ろうとしたのだが、何処かで道を間違えてしまって、うろうろと南下、やっと高速道路に乗れたのは古川のインターからだった。高速道路に乗ったとたん疲れが襲ってきた。出来れば福島県まで走ろうと思っていたのだが仙台近くまで来て意識が朦朧としてきていた。無理することなく、そのあたりのパーキングエリヤに車を止めて、今夜も僕の車が宿になる。

651日目 古壷 日付変更線ライブ

2006年01月13日 09時41分56秒 | Weblog
1月 5日

 午前零時を過ぎ、最後の歌を唄った。お客さんは少なかったが大満足な夜だ。

 真剣に聞いてくれる人なら、一人のお客さんでも僕は気持ちよく唄えるのだ。
 音楽事務所に居た頃、お客さんが少ないというだけで唄う気力を失って、マネージャーに文句を言っていた。あの頃の僕は、本当に唄う事が好きだったんだろうかと、自分自身を疑ってしまう。

 音響機材を片付けて、あと少しお酒を頂いて、なべちゃんの運転で蘭越に戻ったのは午前2時を回っていた。

 お昼頃起き出してみると、今日も雪がかなり降っていた。車の雪を降ろす作業は20分以上かかった。そして2時前、明日の岩手県一関市花泉町のライブのために車を出発させた。

 蘭越から黒松内にはいる頃から雪の降る量が増えた。大量の粉雪が空から落ちている。10メートル先も見えないほどだ。
 北海道では、雪のために道の両脇にポールが立っていてそのポールの上から道の端っこを示す矢印が下に向けて降りている。大雪のために、道の端っこに高く積み上げられた雪の壁はまったく確認できない。ひたすら、矢印を意識しながら壁にぶつからないように走るのだが、真っ白な世界の中で夢遊病者になってしまったような感覚が襲ってくる。
 真っ白な世界が恐ろしくて眠くはならないのだが、意識が錯乱してしまうような錯覚に襲われる。気がつくと、道のど真ん中を走っている事もたびたびで、前に突然現れる対向車のヘッドライトであわてて本来の走行車線に戻るという事を繰り返していた。。
 そして交差点を曲がろうとしたとき、ドンという軽い衝撃を感じた瞬間、フロントガラスが雪で覆われた。雪だまりにぶつかったようだ。次の瞬間、フロントガラスの雪は後ろに飛び去ったが、車のフロントで押し出した雪の上に乗り上げてしまった。
 一旦止まって、ギヤをローに入れて発進しようとするが、前輪駆動の車の前輪が空回りし始めて進まない。ギヤをセカンドに入れなおして再度発進しようとするが、雪にはまり込んでいくだけで進まない。交差点だから車がやってきたらヤバイ。あせったが、気を取り直して、こういうときはバックするしかないと、ギヤをバックに入れたら、少し後ろに動いた。が、すぐに空回りし始める、ハンドルを切ってタイヤの位置を変え、又バック、少し動く。そんな事を4度5度と繰り返していたら、グゥーンとバックしてくれた。抜けたー。すかさずギヤをセカンドに入れて前進、やったー、抜け出したー。幸いにも、その間車は一台もやってこなかった。

 そんな事は、もう一度あった。前からトラックが来たので、少しでも側道に寄ろうと思ってハンドルを左に切ったら、又、軽い衝撃の後、フロントガラスに雪が押し寄せてきた。雪だまりにぶつかってしまった。が、幸いにも、このときは、そのまま走り抜ける事が出来た。
 とにかく、真っ白で何も見えない。恐怖を感じながら黒松内を走り抜け、長万部町の町境まで来たとき、雪が舞い散る中に太陽の光を見た。やっと、視界が開けてきて、白い恐怖から抜け出す事が出来た僕は、精神的にへとへとに疲れていた。

 が、まだ走り出したばかり、花泉町まではまだまだこれからなのである。

 長万部町からはすいすい走れ、函館のフェリー埠頭には6時前に到着。ちょうど、6時10分発のフェリーがあって、ぎりぎり乗り込む事が出来た。そして青森には10時前に到着。
 青森も、雪が降っていたが、黒松内の恐怖はない。東北自動車道に乗って、盛岡の手前のパーキングエリアについた時には雪はやんでいた。

650日目 古壷

2006年01月13日 09時36分18秒 | Weblog
1月 4日

 今夜は、日付変更線を含む2度のライブを、ニセコ町のニセコ駅近くのラーメン屋さんの古壷(こちゅう)で開催する。

 昼近くまで眠っていて、夕方までごろごろさせてもらった。
 
 夕食を食べてから、なべちゃんの車に音響機材を乗せて、奥さんの美代ちゃんも一緒に3人で古壷に出掛けた。スキー場で有名なニセコ町、さすがに雪は深かった。店の入り口には落雪注意の立て札が。上を見上げると、屋根から高くせり出して今にも落ちそうな雪の断層が見えた。落ちてきたら、僕なんか完全に雪の中に埋まってしまうんだろうな。おーぉ、恐ろしい。大げさかもしれないけど、雪国の生活は、命がけだ。

 店に入ったら、まだお客さんが居た。そして店のオーナーのマックさんも。ラーメンを食べ終わって帰ろうとするお客さんに、奥さんが、ライブがあるからと誘ってくれたが、8時にマッサージを呼んでいると言って帰っていった。今夜も深い雪、お客さんは望めない、残念。と思って、音響機材を運び込み、セッティングをしていたら、一組のご夫婦がラーメンを食べに入ってきた。食べ終わったお客さんに、ここでも奥さんがライブのお誘いを、近くの温泉に入りに着てたまたま古壷に寄ったらしいお客さんは、札幌の方の人達だった。でも、興味を持ってくれたらしくライブに残ってくれた、そればかりか、何と12時過ぎまでの日付変更線ライブまでも残ってくれた。

 ごろうちゃんも来てくれて、お客さんの数は少なかったが、雪深いニセコの夜は熱く燃えた。1時間半のライブが終わって、日付変更線ライブに移るまで、気楽に行こうと、僕も酒を飲んでみんなと語った。

 日付変更線ライブは、ラーメンを食べに来たご夫婦も含めて、ほぼ同じメンバー。先ほどのライブとはまったく違う歌を選んでブルージーなライブが続いた。