何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

666日目 輩・日付変更線ライブ

2006年01月21日 14時50分33秒 | Weblog
1月20日

 唄い始めたら、近くのお店の女性達が2人やって来てくれた。てっちゃん一人でいいやと思っていたのだが、6人の飲み客が、僕が唄い終わるまで帰らないで聞いてくれた。

 1時半に店を出て、勝坂に戻った。

 今夜も寒い。コタツで寝ると疲れが取れないので、冷え切った布団に潜り込んだ。


 昼前に目覚めたが、布団の中に居ても寒い。身体が冷え切っていた。起き出してすぐにストーブをつけて暖を取った。部屋が暖まったところで、食事をして、ギターを取り出した。録音を開始しようと思ってギターを弾きだしたのだが、「愛」のイントロが気に食わない。あれやこれやと試行錯誤しながら、イントロを考えているうちに、いいフレーズが出来た。そうなると、ギターを弾いている事が楽しくなって、「もっと元気に」のイントロ部分も出来ていなかったので、考え始めた。

 第一テレビの池田さんから、僕がそろそろ録音に入るという情報をホームページで確認したという電話が入った。前回の撮影に加えて、録音している状態と、ライブの雰囲気を撮影するには何時がいいかと相談した。ある程度の事が決まって、電話を切った。

 一日中、フレーズを考える事で日が暮れた。どころか、頭が冴え渡って、あさの6時までギターを弾き続けていた。

665日目 袋井西公民館

2006年01月21日 14時47分31秒 | Weblog
1月19日

 久しぶりにコタツではなく、布団に潜り込んで眠った。朝の6時に。

 電話が鳴った。起きた。この先のガラ空きのスケジュールを心配して、知り合いに掛け合ってくれて23日のスケジュールが何とかなりそうだと言う、相良の白鳥さんからだった。

 10時半だった。その後も、この日、何度も電話をくれた白鳥さん。なんと、24日のスケジュールも決めてくれた。

 人任せの、だらしない高橋忠史は、白鳥さんからの電話を待つ一日。精神的にも肉体的にも少々ダウン気味の僕は、夕方まで、それなりに色々考えながら、白鳥さんが決めてくれたその先のスケジュールのことを考えながら、録音の準備を続けていた。
 マイクのベストポジションを探ったり、録音したギターのエフェクトをどう使えばいいかと試行錯誤しているうちに、今夜のライブの出発時間がやってきた。

 袋井市の西公民館、先日、高柳君の家でホームコンサートをしたときに来てくれていた奈美ちゃんが、合唱の仲間達を集めてくれるということだ。8時前に公民館に着くと、高柳君が待っていてくれた。荷物を持って公民館に入ると、奈美ちゃんの仲間もやってきていた。奈美ちゃんがやってきて、8時前に、2階の会議室が空いたということでみんなで会場に入り、それぞれに会場作りをしていると、続々と仲間達が集まってきた。青年団の懐かしいメンバーの顔もたくさん見えた。20人ほど集まったところでライブ開始。

 知っている人達がたくさんいたので、どんどん生まれている新曲を中心に1時間と少しのライブを終了。奈美ちゃんが作ってきたという具だくさんの汁をみんないただきながら10時の閉館時間までそれぞれに交流した。

 ホームページを見て来てくれていた人が居た。何処かで見た顔なのだが思い出せない。天竜のバイク仲間が集まる喫茶店ウイッシュのライブで会ったと言われて思い出した。ギター談義をした石田さんという人だった。明日のスケジュールが決まっていないんだとライブで話していたのを気にしてくれて。この近所に、素敵なお店があって、そこではライブもやったりするから行ってみませんかと、誘われた。もちろん、大喜びで同行させてもらう事にした。
 石田さんに先導してもらって店に着いた。始めてきた店なのに、店の看板やたたずまいを見て、始めてきた感じがしない。思い出した、浜松のハンブルグでチラシをもらった店に違いない。と、思いながらも、半信半疑。石田さん達と共に店に入った。オーダーを取りに来た店長に石田さんは、僕を紹介した。店長とはハンブルグで会っているはずだが、イメージが同調しない。僕の名前を聞いたその時、店長の顔が急にほころんだ、そして「な~んだ、高橋さんじゃないですか」と満面の笑顔で喜んでくれていた。やっぱりそうだった。早速、ライブをさせてもらうことをお願いしたら、僕の都合のいいときで言いといってくれた。2月の1日にお願いする事にして、しばらくして店を出た。

 石田さんに大感謝。思わぬ人に出会わせてくれた今夜。素敵な気持ちで車を走らせた。
10時半、春野町には11時半には着ける。明日のライブが決まってないので、「輩」に電話した。てっちゃんに日付変更線ライブをと言ったら、おいでおいでと気軽に引き受けてくれた。困ったときの「輩」だ。

 店に入ると、天野さん達が飲んでいた。坂下さんもやってきてくれて12時が過ぎた。出張から帰ってきたという青年が12時前に飲みに来た。

664日目 得さん宅もらい風呂ライブ

2006年01月19日 05時12分59秒 | Weblog
1月18日

 コタツで目を覚ましたのは12時。布団で寝よう寝ようと思いながら、毎日いつの間にかコタツで眠ってしまっている。コタツで迎える朝は、喉がカラカラに渇いて、身体も重いのだ。

 朝飯を食べて、今日こそレコーディングを始めようと思ったのだが、その前にやらなくてはいけないことがある。今日のライブスケジュールが決まっていないのだ。

 1時過ぎに、散歩に出かけた。得さんの家まで。

 ここ数日暖かかったのだが、今日は寒い。でも、お日様が出ていたので、いい散歩日和だ。散歩といってもほんの200mほどしかない距離なのだ。久しぶりに、杉の木が茶色くなっている(おー、花粉が)勝坂の山々を眺めながら得さんの家に着いたら、ドラム缶に火を起こして外で作業している得さんが居た。

 北海道から帰ってきて顔も出さずにいたことをわびて、今夜風呂に入れてもらう約束をして砦に戻った。

 録音機材をセットして、サー始めようとしたら、録音ソフトが機能しない。何じゃこりゃ。あれこれやっているうちに、録音機材とコンピューターをつなぐ為のソフトを、インターネットからダウンロードしなければ成らない事が判明。その作業を終えたら眠くなった。コタツの中で昼寝。夜になった。

 得さんの家に出かけ、もらい風呂。今夜は、奥さんの秀子さんが浜松の娘さんの家に出かけていて一人だという。風呂上りに酒を飲んでいろんな話をして8時ごろ、唄いだした。勝坂賛歌は得さんのお気に入りだ。僕が唄うと、さびの部分で一緒に歌いだす。今夜は、二人きりだから、何度も何度も勝坂参加を一緒に唄って過ごした。

 9時には、砦に戻ったが、眠くて又眠ってしまった。12時前に目が覚めたが、レコーディングをするような気分ではない。書いていなかった日記を書き始めた。

663日目 てまえみそランチタイムライブ

2006年01月19日 02時36分28秒 | Weblog
1月17日

 お昼までに「てまえみそ」に着かなくてはならない。なのに昨夜は、疲れと興奮で眠れなかった。結局眠ったのは朝の5時過ぎだった。10時に起き出してすぐに出発。

 「てまえみそ」には、12時過ぎに到着。でも、幸いにお客さんはまだ来ていなかった。ランチタイムは、カレーのやさかの、いなみさんがやってきて、やさかのカレーが振舞われていた。中野さんと磐田の古山さんがやってきてくれていた。そして昨日の年配の女性が友達を連れて。

 富田さんのご主人の仕事仲間達が来るというので、その人達が来て食事が終わるまで待った。その間に、僕も店からのおひねりのカレーを頂いた。やさかさんのカレーは美味いのだ。ん~ん、僕のお腹は大満足。

 そうそう、忘れていたが、此処のところ高橋忠史は腹が減るのだ。お腹がすいたという感覚は、たまにしかなかった僕だが、昨年の12月頃から、空腹を感じるようになってきた。だからといって規則正しい食生活は送っていないのだが、しっかり食べるようになったおかげで、高校生の頃からまったく変わらなく52kgだった体重が、今は54kgになった。
 皆さんには報告していないが、禁煙したのは15日間だけでした。でもその禁煙の後から、なんとなく食べる事に無関心だった僕が、食べたいと思い始めて体調が良くなってきたようだ。
 その後、滋賀県で、再び禁煙宣言をしたのだが、又吸ってしまっている。御免なさい。

 カレーを食べ終わって、珈琲を持って中野さんと古山さんと3人で外に出て(店内は禁煙なのだ)久しぶりに暖かい浜松の風を感じて吸う煙草は美味かった。

 ご主人の仕事仲間は、すぐに仕事に戻らなければならないという事で、食べ終わったのを見計らって、ライブ開始。一曲終わったところでご主人達は職場に帰っていった。残った人達と後片付けをする、いなみさん達に聞いてもらって、1時間と少しのライブを終えた。

 なんだか、ものすごく眠かった。

 北海道から勝坂にかえって以来、コタツの中ばかりで眠っているせいもあるのだろう。途中でスーパーによって数日分の食材を買って勝坂に一目散で帰った。

 明日のスケジュールは決まっていない。

662日目 晩酌倶楽部日付変更線

2006年01月19日 02時33分28秒 | Weblog
1月16日

 12時を過ぎて、1時間と少し唄い続けた酔っ払いライブを終了した。デキさんもすっかり喜んでくれていた。いい仲間達と、いい時間を過ごさせてもらった。

 しばらく飲んでから、「むぎわらぼうし」に戻った。2時近かった。鍵はもらっていたので、そのまま部屋に入って、ベッドに潜り込んだ。

 11時過ぎに目を覚ました。僕が遅くなるのをわかっていてくれて、こんな時間までほうっておいてくれる「むぎわらぼうし」がありがたい。離れに泊めてもらっていたので、本館のロビーに出かけたが、西谷さんもちかさんも居ないらしく、息子さんが出てきた。息子さんにお礼を言って出かけようとすると、お昼ご飯にと、サンドイッチとコーヒーを袋に入れて差し出してくれた。民宿なのに無料で泊めていただいて、おまけに弁当まで、貧乏な歌手としては本当にありがたい。このお返しは、きっと何時か…と、心で手を合わせて「むぎわらぼうし」を出た。

 この先のスケジュールがほとんど決まっていない。このまま勝坂に帰っても、スケジュールを埋める事は出来ない、道を走りながら考えた。そうだ、まずは「ぷらっとほーむ」に出かけて、中野さんに助けてもらおう。電話をかけたら、つながらなかった。それならば、エンボスにと思いながら浜松に向かって車を走らせた。菊川のあたりを走っていたら中野さんから電話があった。今日は「ぷらっとほーむ」に居るとの事だ。
 12時半ごろ、プラットホームに到着。ここで、アクションシニアタンクの富田さんが店を出したという情報を得た。まずはたずねて見たらと言われ。そうする事にした。しばらく話して、富田さんの店「てまえみそ」に出かけた。国道152号線から少し入った住宅街に。とっても素敵な雰囲気の建物、それが「てまえみそ」だ。ドアを開けると、富田さんが、年配の女性と話していた。このお店は、みんなが持ち寄ったものを展示販売して、その空間で飲んだり食べたりして、人と人のコミュニケーションをはかりたいという目的で作ったそうだ。
 年配の女性が手にしていたのは、ゲンチャンが作った「つなぎちゃん」。僕も、ポシェットにつけている。以前、ライブに困って、中野さんのIMI事務所で緊急ライブをしたとき、富田さんからおひねりとして頂いたものだ。
 初めてであったその女性に、僕も持ってますよと声をかけてしまった。それが始まりで、お話している間に、明日のランチタイムにお客さんが集まるから、と、空いていた明日のライブが決定した。せっかくだからと、年配の女性に2曲ほど唄ったら、明日来てくれるということになった。まさしく「つなぎちゃん」がつないでくれた。おまけに、その女性はおひねりだといって僕に珈琲をご馳走してくれた。明日のスケジュールが決まってほっとした。

 そして、エンボスに出かけた。事務所に入ったら、入り口に「えんぼす亭」という暖簾が掛かっていた。エンボスと押切さんの会社・西部広告の間の畳スペースが出来たのだが、その名を「えんぼす亭」と言うのだそうだ。その「えんぼす亭」に小山さんが居た。誰かと打ち合わせをしていたので、待とうとしたら、いい所に来た、紹介するよと言って。「えんぼす亭」に招き入れてくれた。打ち合わせをしていたのは、愛知県東栄町の学校の廃校を拠点にして活動している「志多ら」という名の邦楽集団の田吾作さん(本名は長谷川さん)という人だった。お互いの紹介をしていると田吾作さんは僕の事をテレビで見たことがあると言い出した。なんだかいい雰囲気になってきて、いつの間にか、「志多ら」のメンバーを前にライブをする事が決まっていた。思わぬ所でライブが出来るようになってびっくりだ。そして海外遠征までしている太鼓集団との出会いは楽しみだ。そのついでといったら小山さんに失礼だが、27日に、この「えんぼす亭」でライブをさせてもらうことを決めて、エンボスを出た。

 なんでもーるの花村さんが、さだまさしさんのコンサートに出かけるのが今日だったとは知らずに「なんでもーる」に出かけた。ギタリストの石川鷹彦さんに僕の事を話すといっていたので、石川さんのアレンジでメジャーレーベルから出した「東京」のコピーを届けると約束していたのだ。
 当然の事だが、店は休みだった。電話をし、今日がその日だと始めて知った。コンサートに行く前に店によると言うので、ポストにコピーのCDを入れて…途方にくれた。

 夜に、IMIが主催している「英語村」に来たらと、中野さんに誘われていたのだ。まだ3時過ぎ。8時までにはかなり時間がある。レコーディングの為に、長時間装着の楽なヘッドホーンが欲しいと思っていたので、大型電気店に出かけた。イヤーホーン式の優れものが出ていることは知っていたので、それを買って、駐車場で、メールを書いたり日記を書いたりして過ごした。

 そして、肴町にある店に出かけた。そこで「英語村」が主催されている。3階にある会場に着くと、須部さんが受付をしていた。ここで2回ほどライブをさせてもらったことがある、が、今日はきんちゃんと会うためにやってきた。ライブをお願いする為だった。残念ながら、きんちゃんはもう少し早く言ってくれたら機会があったのにという事でライブを作ってもらう事が出来なかったのだが、以前ライブをしてくれた、「アクトボックス」の佐野公任子ちゃんがやってきた。いやー、いい所でであったと、すかさず、ライブのお願いをしたら、やってくれるという、夜まで浜松市内で粘ったかいがあった。

 長い永い一日だった。勝坂に戻ったときにはくたくたに疲れていた。

661日目 晩酌倶楽部

2006年01月19日 02時30分30秒 | Weblog
1月15日

 元相良町、今は牧之原市の三浦さんからライブ依頼あったのは、書家たちの新年会だった。でも、飲みながら食べながらの雰囲気という事で、なんとか歌うときだけでも集中してもらえるようにお願いした。
 新年会では、それは不可能かもしれないという事で、急遽、違う場所でライブを作ってくれることになった。それが、今夜唄う「晩酌倶楽部」。
 三浦さんは、泊まりのことまで心配してくれて、「むぎわらぼうし」に話してくれて、泊りまで確保してくれた。
 まずは、「むぎわらぼうし」に。ちかさんから、今夜泊まる部屋の鍵を預かって、「晩酌倶楽部」にでかけた。相良のメイン通りにあると聞いていたので、メイン通りを行ったり来たりしながら「晩酌倶楽部」の看板を探すが、見つからない。酒屋さんの前に車を止めて、三浦さんに電話したら、なんと、その酒屋さんから三浦さんが出てきた。

 晩酌倶楽部は、酒屋さんの奥にある呑みどころだった。三浦さんと店に入ると、柔らかな顔で迎えてくれたのはオーナーのデキさん(鈴木英樹さん)。店の中には、ギターや楽器類が飾られていて、ライブハウスではないかと思わせる雰囲気だった。音楽好きな人が集まる場所らしい。
 飲み屋さんだと思っていたので、少し不安な気持ちでやってきたのだが、これなら大丈夫だと思った。

 音響機材をセットして、お客さんの来るのを待った。ライブ時間になると続々とお客さんが集まって来てくれた。それぞれに、音楽好きな人達ばかり。坂口良子さんや水野祥子さんもやって来てくれた。白鳥さん夫婦もやって来てくれたのだが、ライブが終わったあとだった。

 こんな事を書いては失礼だが、いい意味で、うらぶれた感じの昔のライブハウスを思わせる雰囲気。お客さんの年齢層も、僕と近い人達ばかりだったので、20人ほど集まってくれた中で、気持ちよく唄えた。

 ライブの最中に、お客さんとデキさんに、明日のスケジュールが決まっていないので、12時過ぎまで付き合ってもらって日付変更線ライブをやりたいと訴えたら、デキさんはニコニコしながら僕を見てくれている。三浦さんたちの仲間たちも、明日は仕事があるだろうに、付き合ってくれる雰囲気だった。よっしゃー。これで、明日がつながった。そう思うと、唄う気持ちもバリバリ盛り上がった。今夜のライブの締めくくりは「ほたら ぼちぼち いこか」で、お客さんと思いっきり掛け合いで楽しんで終わった。

 ライブ終了後、すぐに音響機材を片付けて、飲み会に備えた。日付変更線ライブに残れる人は少ないだろうから、12時過ぎまでのライブは、生でやることにした。
 飲み続けているうちに、それぞれに帰る人が居て人は少なくなっていったが、それでも10人弱の人が飲み続けて日付変更線ライブに付き合ってくれたのは嬉しかった。

 11時過ぎに、ギターを取り出して、酔っ払いライブの始まりだ。リラックスした僕は、ブルージーな歌を中心に、好き勝手に唄い続けた。それが許されるような素敵な仲間達が残ってくれていたのだ。

660日目 大石さん退院祝いライブ

2006年01月15日 00時25分44秒 | Weblog
1月14日

 目覚めたら、雨音が激しい。何時に起きたかは覚えていない。今日もコタツで眠っている。また眠った。

 電話が鳴った。目を覚ますと同時に受話器を取った。大阪でライブハウスをやっている静岡出身の西尾君からだった。3月の後半にライブをという話だった。OKした。一箇所だけだと大変だろうからと他にも声をかけてくれるという。あり難い。12時を過ぎていた。

 雨音は激しく、録音は無理な状態が夜まで続いた。

 夕方、大石さんから電話。何時に来るのかの確認だった。6時過ぎに行きますといって電話を切った
。しばらくして、勝坂砦から、ギターを車に積み込んで橋向こうの伊出野バンガローへ。

 今夜のライブは、大石さんの退院祝いライブだ。なんで入院していたかというと、山仕事(きこり)で、昨年11月に、木の下敷きになって足の骨を折ってしまったのだ。僕が北海道に発つ頃に退院して来たらしいが、僕は知らなかった。足の骨を折って入院している事は、近所の得さんから聞いていた。

 昨日、磐田に向かうとき、伊出野バンガローの前を通り過ぎようとしたとき、大石さんの姿を見つけ、驚いて車を止めて話した。
 今日のスケジュールが決まっていなかったので、退院祝いに唄いに来ますと伝えていた。高橋忠史は、人の不幸を獲物にするハイエナのような奴だ。

 雨の中、大石さんの家に到着。すぐに風呂に入れてもらって、大石さん得意の料理をいただきながら酒を頂く。今夜は、弟さんと妹さん夫婦がやってくるということで、それを待って唄う事にして、風呂に入っている間にやって来た、弟さんのやすさんが作る料理を頂き続けた。

 酔ってきて、妹さんが来る前に唄い始めてしまった。「勝坂賛歌」からだ、飲みながら喋りながら、ポツリポツリと唄う。その歌を、大石さんは評論する。それだけ、真剣に聞いていてくれるのだ。
 妹さん夫婦もやってきて、何気なく唄う僕。その頃やすさんはもう眠っていた。そして僕も結構酔っ払って、9時前にギターを仕舞って勝坂砦に帰った。雨はやんでいた。夜空に雲はなく。月がまぶしいほど明るく輝いていた。

659日目 磐田さぎさか工業団地協同組合・新年会

2006年01月13日 22時42分36秒 | Weblog
 1月13日

 たまっていた日記を書くのにここ数日そして今日のライブに出掛けるまで掛かってしまった。でもこれで、やっと新しいCDのレコーディングに入れる。スケジュールを埋めるのも大変なのだが、ホームページとブログの更新も大変だ。そして、常に次の曲を考え続けている。こんなに頑張っても、稼ぎは同年代の人並み以下だ。大好きな事だけやり続けて飯を食っていこうとしているのだから、愚痴ってもしゃーない事だ。ん。

今日のライブは。
 静岡県に戻り、勝坂から、静岡県の人達にメールでライブのお願いを出した中で、3人の人達が協力のメールを返してくれた。その中の一人、磐田の丸真電子の社長の相曽さんが、自分の所属している磐田さぎさか工業団地協同組合の新年会に掛け合ってくれてギャラ設定のライブを企画してくれて実現した。

 場所は、磐田市の湯川荘という料理旅館。組合の大杉さんと連絡を取り合って現地に5時30分過ぎに到着。事前に、泊まりはどうするかととも聞かれたが、やらなければ成らない事が山済みしているので、出来れば唄うだけで帰りたいというわがままを受け入れてもらった。

 さぎさか工業団地の社長さんたちばかりが17人集まる新年会。僕は、ロビーで出番を待った。6時半から新年会が始まるから、それまで待った。6時半前に、フロントに派手な薄着のお姉ちゃん達が4人やってきた、新年会にやってきたコンパニオン達だった。うっ…ヤバイ。これは覚悟しなきゃ。コンパニオンがはしゃぐ中でのライブだ、割りきりが必要なのは最初から思っていたがコンパニオンが入るとは思っていなかったので、ちょっとビビッタ。
 でも、今夜のライブは、おひねりライブではない、ギャラをもらうのだから、営業なんだと割り切ってやれる。

 6時半になり、会場の外に出かけ待った。40分に大杉さんが僕の簡単な紹介をして呼び込んでくれた。時間は30分。会場はコンパニオンの元気な声が響き渡っていた。彼女達も営業、僕も営業。仕方がない。
それでも気を抜かず全力で30分のライブを突っ走った。「ランナー」がヤマハジュビロの応援歌になろうとしていると話したら、ライブ終了後、買いたいという人が出てきた。大杉さんが理事長に話して、組合で人数分を買ってくれることになった。17人分のCDが売れた。思わぬ収入だ。その後にも、友達にあげたいからと別個に5枚買ってくれたアポロ電気の社長の大田さんがいた。

 どんな場所でも、力を抜いたらいけないのだ。

 気持ちよく勝坂に車を走らせていたら、春野町に差し掛かる前に雨が降り出した。やったー。雪道を走ってきて、凍結防止用の塩が車全体に白くこびりついていたのだが、これで塩はきれいに落ちる。

 だが、今夜から始めようと思っていたレコーディングは見送りだ、雨音の入ったCDでは売り物にはならない。もう一日ゆっくりしろという事かな。

658日目 輩・日付変更線ライブ

2006年01月13日 12時46分04秒 | Weblog
1月12日

 酔っ払いライブだ、飲んでは休み又唄いだす。そんな風に12時を過ぎ、二人の話し続けているお客を無視しててっちゃんと坂下さんと音楽談義をしながら唄い続けた。
 店を出たのは1時半を回っていた。外は寒かったが心のホットな夜だった。

 昼頃目覚めたら、久しぶりの二日酔いだった。何にも出来ないまま、日記を書いたりしてゴロゴロの一日を過ごした。

657日目 輩

2006年01月13日 12時42分36秒 | Weblog
1月11日

 今夜は気楽な「輩」でのライブ。昨夜帰り際に寄ったら、寿司屋の次郎さん達が飲んでいて、山を大切にしなきゃと真剣に話し込んだ。そして、今日のことも伝えておいた。

 8時過ぎに輩の暖簾をくぐると、いつものようにてっちゃんが一人でテレビを見ていた。何気ない会話をしているうちに9時が過ぎ、坂下さんがやってきた。その後もお客さんはきそうになかったので、てっちゃんの言い出しで、ライブを開始。語り口調の曲ばかりを選んで渋く渋く唄っていたら、次郎さん達が3人でやってきた。一人は話したくて仕方がない様子で、喋りっぱなしだ。
 此処からは、渋くやっても仕方がないと、適当に飲みながら休みながら、その場その場の雰囲気で英語の曲を唄ったり元気な歌を唄ったり。勝坂賛歌は僕が最初に歌い、しばらくしててっちゃんが唄いだした。この、てっちゃんの勝坂賛歌は必聴ものだ。めっちゃくちゃ良くなっている。僕の雰囲気とはまったく違い、二ールヤング風の、ゆったりしたテンポで始まる、どちらかというとブルースだ。てっちゃんが僕のギターで歌っていたので、僕はてっちゃんのギターを取り出して、オブリガードでリードギターを弾いた。もちろんブルース風に。僕のギターを聞いたてっちゃんは間奏やエンディングを長めにとって、僕のリードギターを引き出してくれている。酔って弾く僕のリードギターは昔から定評がある、残念な事にしらふだといいフレーズが弾けないのだ。
 今夜は、この一曲だけでも価値あるライブだった。

 11時ごろまで、適とうライブは続いて、次郎さん夫婦はおひねりを置いて帰っていった。

 このままやっちゃうかと、引き続き、日付変更線に突入する事になった。