何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

664日目 得さん宅もらい風呂ライブ

2006年01月19日 05時12分59秒 | Weblog
1月18日

 コタツで目を覚ましたのは12時。布団で寝よう寝ようと思いながら、毎日いつの間にかコタツで眠ってしまっている。コタツで迎える朝は、喉がカラカラに渇いて、身体も重いのだ。

 朝飯を食べて、今日こそレコーディングを始めようと思ったのだが、その前にやらなくてはいけないことがある。今日のライブスケジュールが決まっていないのだ。

 1時過ぎに、散歩に出かけた。得さんの家まで。

 ここ数日暖かかったのだが、今日は寒い。でも、お日様が出ていたので、いい散歩日和だ。散歩といってもほんの200mほどしかない距離なのだ。久しぶりに、杉の木が茶色くなっている(おー、花粉が)勝坂の山々を眺めながら得さんの家に着いたら、ドラム缶に火を起こして外で作業している得さんが居た。

 北海道から帰ってきて顔も出さずにいたことをわびて、今夜風呂に入れてもらう約束をして砦に戻った。

 録音機材をセットして、サー始めようとしたら、録音ソフトが機能しない。何じゃこりゃ。あれこれやっているうちに、録音機材とコンピューターをつなぐ為のソフトを、インターネットからダウンロードしなければ成らない事が判明。その作業を終えたら眠くなった。コタツの中で昼寝。夜になった。

 得さんの家に出かけ、もらい風呂。今夜は、奥さんの秀子さんが浜松の娘さんの家に出かけていて一人だという。風呂上りに酒を飲んでいろんな話をして8時ごろ、唄いだした。勝坂賛歌は得さんのお気に入りだ。僕が唄うと、さびの部分で一緒に歌いだす。今夜は、二人きりだから、何度も何度も勝坂参加を一緒に唄って過ごした。

 9時には、砦に戻ったが、眠くて又眠ってしまった。12時前に目が覚めたが、レコーディングをするような気分ではない。書いていなかった日記を書き始めた。

663日目 てまえみそランチタイムライブ

2006年01月19日 02時36分28秒 | Weblog
1月17日

 お昼までに「てまえみそ」に着かなくてはならない。なのに昨夜は、疲れと興奮で眠れなかった。結局眠ったのは朝の5時過ぎだった。10時に起き出してすぐに出発。

 「てまえみそ」には、12時過ぎに到着。でも、幸いにお客さんはまだ来ていなかった。ランチタイムは、カレーのやさかの、いなみさんがやってきて、やさかのカレーが振舞われていた。中野さんと磐田の古山さんがやってきてくれていた。そして昨日の年配の女性が友達を連れて。

 富田さんのご主人の仕事仲間達が来るというので、その人達が来て食事が終わるまで待った。その間に、僕も店からのおひねりのカレーを頂いた。やさかさんのカレーは美味いのだ。ん~ん、僕のお腹は大満足。

 そうそう、忘れていたが、此処のところ高橋忠史は腹が減るのだ。お腹がすいたという感覚は、たまにしかなかった僕だが、昨年の12月頃から、空腹を感じるようになってきた。だからといって規則正しい食生活は送っていないのだが、しっかり食べるようになったおかげで、高校生の頃からまったく変わらなく52kgだった体重が、今は54kgになった。
 皆さんには報告していないが、禁煙したのは15日間だけでした。でもその禁煙の後から、なんとなく食べる事に無関心だった僕が、食べたいと思い始めて体調が良くなってきたようだ。
 その後、滋賀県で、再び禁煙宣言をしたのだが、又吸ってしまっている。御免なさい。

 カレーを食べ終わって、珈琲を持って中野さんと古山さんと3人で外に出て(店内は禁煙なのだ)久しぶりに暖かい浜松の風を感じて吸う煙草は美味かった。

 ご主人の仕事仲間は、すぐに仕事に戻らなければならないという事で、食べ終わったのを見計らって、ライブ開始。一曲終わったところでご主人達は職場に帰っていった。残った人達と後片付けをする、いなみさん達に聞いてもらって、1時間と少しのライブを終えた。

 なんだか、ものすごく眠かった。

 北海道から勝坂にかえって以来、コタツの中ばかりで眠っているせいもあるのだろう。途中でスーパーによって数日分の食材を買って勝坂に一目散で帰った。

 明日のスケジュールは決まっていない。

662日目 晩酌倶楽部日付変更線

2006年01月19日 02時33分28秒 | Weblog
1月16日

 12時を過ぎて、1時間と少し唄い続けた酔っ払いライブを終了した。デキさんもすっかり喜んでくれていた。いい仲間達と、いい時間を過ごさせてもらった。

 しばらく飲んでから、「むぎわらぼうし」に戻った。2時近かった。鍵はもらっていたので、そのまま部屋に入って、ベッドに潜り込んだ。

 11時過ぎに目を覚ました。僕が遅くなるのをわかっていてくれて、こんな時間までほうっておいてくれる「むぎわらぼうし」がありがたい。離れに泊めてもらっていたので、本館のロビーに出かけたが、西谷さんもちかさんも居ないらしく、息子さんが出てきた。息子さんにお礼を言って出かけようとすると、お昼ご飯にと、サンドイッチとコーヒーを袋に入れて差し出してくれた。民宿なのに無料で泊めていただいて、おまけに弁当まで、貧乏な歌手としては本当にありがたい。このお返しは、きっと何時か…と、心で手を合わせて「むぎわらぼうし」を出た。

 この先のスケジュールがほとんど決まっていない。このまま勝坂に帰っても、スケジュールを埋める事は出来ない、道を走りながら考えた。そうだ、まずは「ぷらっとほーむ」に出かけて、中野さんに助けてもらおう。電話をかけたら、つながらなかった。それならば、エンボスにと思いながら浜松に向かって車を走らせた。菊川のあたりを走っていたら中野さんから電話があった。今日は「ぷらっとほーむ」に居るとの事だ。
 12時半ごろ、プラットホームに到着。ここで、アクションシニアタンクの富田さんが店を出したという情報を得た。まずはたずねて見たらと言われ。そうする事にした。しばらく話して、富田さんの店「てまえみそ」に出かけた。国道152号線から少し入った住宅街に。とっても素敵な雰囲気の建物、それが「てまえみそ」だ。ドアを開けると、富田さんが、年配の女性と話していた。このお店は、みんなが持ち寄ったものを展示販売して、その空間で飲んだり食べたりして、人と人のコミュニケーションをはかりたいという目的で作ったそうだ。
 年配の女性が手にしていたのは、ゲンチャンが作った「つなぎちゃん」。僕も、ポシェットにつけている。以前、ライブに困って、中野さんのIMI事務所で緊急ライブをしたとき、富田さんからおひねりとして頂いたものだ。
 初めてであったその女性に、僕も持ってますよと声をかけてしまった。それが始まりで、お話している間に、明日のランチタイムにお客さんが集まるから、と、空いていた明日のライブが決定した。せっかくだからと、年配の女性に2曲ほど唄ったら、明日来てくれるということになった。まさしく「つなぎちゃん」がつないでくれた。おまけに、その女性はおひねりだといって僕に珈琲をご馳走してくれた。明日のスケジュールが決まってほっとした。

 そして、エンボスに出かけた。事務所に入ったら、入り口に「えんぼす亭」という暖簾が掛かっていた。エンボスと押切さんの会社・西部広告の間の畳スペースが出来たのだが、その名を「えんぼす亭」と言うのだそうだ。その「えんぼす亭」に小山さんが居た。誰かと打ち合わせをしていたので、待とうとしたら、いい所に来た、紹介するよと言って。「えんぼす亭」に招き入れてくれた。打ち合わせをしていたのは、愛知県東栄町の学校の廃校を拠点にして活動している「志多ら」という名の邦楽集団の田吾作さん(本名は長谷川さん)という人だった。お互いの紹介をしていると田吾作さんは僕の事をテレビで見たことがあると言い出した。なんだかいい雰囲気になってきて、いつの間にか、「志多ら」のメンバーを前にライブをする事が決まっていた。思わぬ所でライブが出来るようになってびっくりだ。そして海外遠征までしている太鼓集団との出会いは楽しみだ。そのついでといったら小山さんに失礼だが、27日に、この「えんぼす亭」でライブをさせてもらうことを決めて、エンボスを出た。

 なんでもーるの花村さんが、さだまさしさんのコンサートに出かけるのが今日だったとは知らずに「なんでもーる」に出かけた。ギタリストの石川鷹彦さんに僕の事を話すといっていたので、石川さんのアレンジでメジャーレーベルから出した「東京」のコピーを届けると約束していたのだ。
 当然の事だが、店は休みだった。電話をし、今日がその日だと始めて知った。コンサートに行く前に店によると言うので、ポストにコピーのCDを入れて…途方にくれた。

 夜に、IMIが主催している「英語村」に来たらと、中野さんに誘われていたのだ。まだ3時過ぎ。8時までにはかなり時間がある。レコーディングの為に、長時間装着の楽なヘッドホーンが欲しいと思っていたので、大型電気店に出かけた。イヤーホーン式の優れものが出ていることは知っていたので、それを買って、駐車場で、メールを書いたり日記を書いたりして過ごした。

 そして、肴町にある店に出かけた。そこで「英語村」が主催されている。3階にある会場に着くと、須部さんが受付をしていた。ここで2回ほどライブをさせてもらったことがある、が、今日はきんちゃんと会うためにやってきた。ライブをお願いする為だった。残念ながら、きんちゃんはもう少し早く言ってくれたら機会があったのにという事でライブを作ってもらう事が出来なかったのだが、以前ライブをしてくれた、「アクトボックス」の佐野公任子ちゃんがやってきた。いやー、いい所でであったと、すかさず、ライブのお願いをしたら、やってくれるという、夜まで浜松市内で粘ったかいがあった。

 長い永い一日だった。勝坂に戻ったときにはくたくたに疲れていた。

661日目 晩酌倶楽部

2006年01月19日 02時30分30秒 | Weblog
1月15日

 元相良町、今は牧之原市の三浦さんからライブ依頼あったのは、書家たちの新年会だった。でも、飲みながら食べながらの雰囲気という事で、なんとか歌うときだけでも集中してもらえるようにお願いした。
 新年会では、それは不可能かもしれないという事で、急遽、違う場所でライブを作ってくれることになった。それが、今夜唄う「晩酌倶楽部」。
 三浦さんは、泊まりのことまで心配してくれて、「むぎわらぼうし」に話してくれて、泊りまで確保してくれた。
 まずは、「むぎわらぼうし」に。ちかさんから、今夜泊まる部屋の鍵を預かって、「晩酌倶楽部」にでかけた。相良のメイン通りにあると聞いていたので、メイン通りを行ったり来たりしながら「晩酌倶楽部」の看板を探すが、見つからない。酒屋さんの前に車を止めて、三浦さんに電話したら、なんと、その酒屋さんから三浦さんが出てきた。

 晩酌倶楽部は、酒屋さんの奥にある呑みどころだった。三浦さんと店に入ると、柔らかな顔で迎えてくれたのはオーナーのデキさん(鈴木英樹さん)。店の中には、ギターや楽器類が飾られていて、ライブハウスではないかと思わせる雰囲気だった。音楽好きな人が集まる場所らしい。
 飲み屋さんだと思っていたので、少し不安な気持ちでやってきたのだが、これなら大丈夫だと思った。

 音響機材をセットして、お客さんの来るのを待った。ライブ時間になると続々とお客さんが集まって来てくれた。それぞれに、音楽好きな人達ばかり。坂口良子さんや水野祥子さんもやって来てくれた。白鳥さん夫婦もやって来てくれたのだが、ライブが終わったあとだった。

 こんな事を書いては失礼だが、いい意味で、うらぶれた感じの昔のライブハウスを思わせる雰囲気。お客さんの年齢層も、僕と近い人達ばかりだったので、20人ほど集まってくれた中で、気持ちよく唄えた。

 ライブの最中に、お客さんとデキさんに、明日のスケジュールが決まっていないので、12時過ぎまで付き合ってもらって日付変更線ライブをやりたいと訴えたら、デキさんはニコニコしながら僕を見てくれている。三浦さんたちの仲間たちも、明日は仕事があるだろうに、付き合ってくれる雰囲気だった。よっしゃー。これで、明日がつながった。そう思うと、唄う気持ちもバリバリ盛り上がった。今夜のライブの締めくくりは「ほたら ぼちぼち いこか」で、お客さんと思いっきり掛け合いで楽しんで終わった。

 ライブ終了後、すぐに音響機材を片付けて、飲み会に備えた。日付変更線ライブに残れる人は少ないだろうから、12時過ぎまでのライブは、生でやることにした。
 飲み続けているうちに、それぞれに帰る人が居て人は少なくなっていったが、それでも10人弱の人が飲み続けて日付変更線ライブに付き合ってくれたのは嬉しかった。

 11時過ぎに、ギターを取り出して、酔っ払いライブの始まりだ。リラックスした僕は、ブルージーな歌を中心に、好き勝手に唄い続けた。それが許されるような素敵な仲間達が残ってくれていたのだ。