@PAYASO

少しだけ更新再開してます(愚痴オンリー)

何にもないところは去るだけで何も来ない

2021年03月27日 | Life

自分の人生を語るなんて情けなくて恥ずかしくて、とてもじゃないけど無理です。

でも、顔が見えない此処ならって思うし、これまで隠すことはあっても嘘や事実と全く異なることを書くことはせずにきた此処なので少しだけいいかなーっても思うのです。

 

僕の人生でキラキラとしていた時期は3年だけだったと思う。

1年は小学校6年生の時に地区のソフトボールをやってた頃。

2年は写真学校の時。

人付き合いが苦手だった僕は4年生から入れる地区のソフトボールチームに入れずにいた。運動神経も鈍かったしね。でも6年の時だけちょっとやってみようってなって、これが恐ろしく楽しかったんだよなー。Aチーム(地区優勝するようなチーム)に入ることできなかったが、Bチームで楽しませてもらった。試合ってなるとガチガチに緊張してミスばかりしたけどね。

写真学校はたくさん語ってるから(非公開にしてるけど)、母の言葉を借りて。

「あなたがね、専門学校に行ってる時、いつも楽しそうに話をしてたし目が輝いてたのがよくわかった。それが家に戻ってからは嫌な思いばかりさせてしまってごめんね」

写真学校は大変だったし、いつも産みの苦しみと作業に終われててんてこまいだったのであっという間に過ぎ去ってしまったし、余裕もなかった。だから自分でも楽しかったとは思っていても、母からこんな風に言われるのはびっくりでもあった。

 

親父が倒れて実家に戻ることになったのだけど、あれから18年。

あと数年経てば自分の人生の半分は親父に捧げたことになる。

 

うーん。

 

空いた時間に何もしてこなかった自分も悪いのだけど、わりと多彩だった自分、面白いアイディアがいくらでも出ていた自分ってのはもうすでにいなくて、残ったのは空っぽの自分だけっていう。

 

親父の今回の入院で親父の介護について改めて考えなければならない時がきたみたいなんです。

 

一緒に住んでる兄貴がほんの少し協力的にはなったものの、親父の介護は僕1人でやっている。
頼れる人はいなくて(兄貴が金銭的に少し助けてくれている)、ケアマネージャーさんや滅多に行かない美容室の美容師さんなんかが僕に優しくて愚痴を聞いてくれるくらい。


今回の親父の入院すでに1ヶ月半を過ぎていて、すぐに退院・転院(リハビリ専用病院)できる可能性もあるけど、まだまだ先になる可能性もある感じで、先が読めない。読めていることは、自宅に戻った親父の介護はこれまでより過酷になるってことだけ。24時間監視体制を取らないとならないし、食事や水分摂取の管理もこれまでより厳しくしなくちゃならないし、他にも色々あるんです。

そんなもんだから入院中に気が休まることがなく、ストレスは半端ないし、気がつけば先々のことを考えてどうにもならなくなったり、過去のことが走馬灯のように頭の中でフラッシュバックしまくったり。

で、昨日、ケアマネさんに親父の病状の事と、少し先のショートステイの予約について電話をしたのだけど、これが止めになった。
少し先にお出かけしたい用事ができたのですね。そういう時は親父をショートステイに預けることにしてるんだけど、施設の予約が取れない可能性が高いってなったんです。体調が芳しくなく、まだ先のことがわからない場合は施設で予約を受け付けてくれないそうで・・・そりゃそうですよね。こちらでも親父の退院は見通しがついてないのですから。

コロナ禍もあってもうまるまる2年もどこにも出かけてなくて、今年も難しいだろうな〜って思っている最中にふっと急浮上した楽しみですよ。多分、大丈夫っては思っていても、それすらぽしゃってしまうってなって、なんか途方に暮れてしまったんです、昨日の午後の話ですが。

 

お出かけができなくなるかもしれないって事はもちろんだけど、それ以上にこれから親父のことをどうすればいいかわからないし、自分がどんな風に生きていけばいいかもわからなくなったし、そうなってくるとこれまでの時間についても考えてしまって。

 

夜になって、父方の従姉妹の顔がふと思い浮かんだんです。

電話をしました。

従姉妹は医療従事者であり介護関係にも明るい人で具体的な相談にも乗ってくれたし、なんと言っても、

「あなたはこれまでずっと頑張ってきたでしょ?しっかりやってきたでしょ。仕事ができなかったものやむを得ないこと出し。堂々と兄貴達に相談しなさい。そしておじちゃん(俺の親父)のことを施設に入れる準備をしなさい。それが正しい行動だし、自分自身のことを考えたら最善でしょ。潰れちゃうよ」

と。

なんか、泣きそうになりました。つか泣きました。

これまで親父のあれこれが悪化したり、僕自身が介護について限界を感じてしまっても、身近にいる人は、

「しょうがないんだよ、頑張りなさい。」
「あれこれ考えずにやるしかないんだよ、頑張りなさい。」

こんなことしか言ってくれなかったし、何も手伝ってくれなかった。
なんか報われた感じがしたんだよね。

ほんの少し遠くに住んでるのでなかなか会えないし、連絡も取れないけど、すぐに現状を把握してくれて、過去の母から聞いた話、僕から聞いた話をしっかりと覚えてくれていて、状況を理解してアドバイスしてくれた上に僕を肯定してくれたことがありがたかったです。

 

親父を施設に入れる。

そんなに簡単なことじゃないです。入所条件はもちろん金銭的なこと。

そして何よりも気持ちの問題です。
従姉妹の言葉ですっとした思いはあっても、親父を施設に入所させてしまうって考えるとこれまた自分に大きくのしかかるものがあるように感じました。

親父は僕のことは好きではないんですよ実は。

嫌いでもないだろうけど、上の2人の兄貴と比較すると僕のことは好きではないというか興味がなかった。成長するに連れて、生意気になるし、兄貴達と違って優秀ではなかったのでますますその傾向は強くなっていったでしょう。面倒もかけたしね。
でも、僕は兄弟の中では一番親父のことを考えてる人間だったりもするんですね。チグハグなことに。

 

「もしお母さんとお父さんが離婚したら、あなたはお父さんについていくだろうね。お兄ちゃん達はわたしに着いてくるけど」

 

これはある時母が僕に言った言葉です。
間違い無いでしょうね。兄貴達は親父に着いていくっていう選択は絶対にしないし、僕は親父を選んだと思います。母のことが大好きでも。両親には本格的な離婚危機はなかったけど、親父のお酒のことで母がそんなことを考えていても不思議ではなかったし、そんなことを考えた時に僕に伝えた言葉なのでしょう。

 

そんな親父と僕の関係であっても、母が亡くなってからの6年はより濃いものになっていました。

たくさん喧嘩もしたし、嫌な思いもしましたし、辛いことも、体力的に大変なこともたくさんありました。
でも、昨年の9月に退院して、それから1、2ヶ月過ごして体調が落ち着いた頃には、これまでで一番良い関係も築くことができていました。

僕の人生を見事に潰してくれた親父に対する恨み、小さい時から兄貴達に対するような愛情を求めていたこと、この6年の関係の色々・・・

多少なりには親父に対する愛着も強くなっていたのでしょう。

 

施設に入れなければ僕が限界に達する、でも、親父を失うことも寂しい。

 

頭の中でぐるぐる回り回って訳がわからなくなりましたw

 

改めて言いますが、今の僕は空っぽです。何もありません。

親父の介護から解放されたらこんなことをやろう、これを行動に移そう、そんなことでありふれていました。でも月日は残酷で僕も歳をとりましたし、できることできないことで言えばできないことが増えたし、失ったこともたくさんあるし。

情けないことばかりであれですが、生きる自信が無いのですよ。

でも長生きしたいし死にたくはないし。

 

こんな状態の僕なので、親父を失った先のことが全く見えなくなりました。

 

人生がうまくいく人いってる人って、自信に溢れてるからどこにいてもキラキラしてるし、人も寄ってくるし、手に入れられるものも多くなると思います。

そうじゃないと、人は寄ってきません。去っていきます。何も無いから何もかも手に入れるのが難しくなります。

 

気がつけば40数年の人生のうち18年は泥沼の底にいて、キラキラしてたのたった3年だけ。

 

僕はそんな風になってしまっていました。
少し前に書いたエンディングノートの記事では「誰かに誇れる自分になりたい」と書きましたが、これは心の底からの希望です。こんな僕にでも優しくしてくれる人はいて、その人が優しくしたことを後悔しないようにはなりたいって思うのです。でも、それすら自信を無くしてしまうくらいに押し潰されそうです。

 

生きることは難しい。
人生イージーモードも強くてニューゲームもない。

これは真理だと思います。
じゃ、自分はハードモードだったかというとそれも違う。自分が怠惰だった部分、割り切れなかった部分、無能だった部分が今の空っぽの自分を作り出しているのは間違いないのですから。

 

親父を施設に入れる。自由になる。自由になった自分にできること・・・

 

少し考えなくちゃならないですね。ただ生きるだけでは満足できないし、でもできることも限られてきているのですから。

 

頑張ります。
頑張ります。
頑張ります。。。