恥の多い生涯を送って来ました。
・・・人間失格を読んで最初に浮かぶ感想ってどんなんだろう?
あー、自分のことにあてはまる。なんか共感できる、自分もこんな感じだよ。
僕は何気に人間失格を読んだことがないw
もうこれ自体が人間失格なんじゃないかとさえ思われますね。はい。
なんとなく、人間失格という言葉に引っ張られた感想を持っちゃうようにも感じます。名著所以の素晴らしさかな・・・なんて思ったりもします。太宰は天才ですしね。
で、ですよ。
僕は長年このブログをやってきて(長年休んでもいたしほとんどうが非公開ですが)、ほぼ全てをパソコンで書いています。もちろん昔はパソコンしか書く術がなかったわけですが、今はスマホのアプリなんかもあるわけです。
昨夜書いたブログはスマホで書いています。
普段と雰囲気が違うのは思いを込めたからってのもありますが、スマホで書いたことが大きいでしょう。感覚が違いますよ。だからなのか、
「心の音が聞こえたから今夜はおやすみなさい」
なんて自分らしからぬ「良き」なタイトル!
福山雅治さんの曲名を合わせただけなんですけどねw
でも、スマホで書く感覚の違いは大きいと思ったのでした。
そして本日も少し実験。
今日のブログのタイトルは「報」です。
いつも・・・というか7割は文章を書いた後にタイトルを決めています。昨夜はタイトルからでしたが。
今日はタイトルから決めています。じゃ、この「報」はどんな意味でしょうか。答えは最後に。
ここまでの流れに関係のない話ですが、エンディングノートを少しずつ書いていこうって思っています。
エンディングノートの構想は数年前からあります。
具体的にいうと母が亡くなった後の8月です。おばさんとの話の中で、自分が死んだ時に遺書ほど強くはないけどある程度の方針を示すことができるからいいと思うよっていう僕の提案ですね。おばさんはまだまだ元気ですが80を過ぎています。そして、家族のことで少し悩みを持っていました。そもそもおばさんのとこは仲良し家族なので必要ないと思うのですが、悩みが全くないわけもなく、どうやって角が立たないように家族にそれを知らせるかを考えていたわけです。
自分が死んだ時に伝われば十分。
この言葉ですね。角は立たないはずです。
エンディングノートを少しずつでいいから書いていくと良いはずですよね。伝えたかったけどなかなか伝えられないこと。良いことならほんのりと素敵じゃないですか。良くないことでも工夫をすれば優しく伝わるかもしれない。
死者の特権。
そんなものがあればいいのかなと。
もちろんおばさんにはそこまでは伝えなかったですが。
僕バージョンのエンディングノートはどんなだろう?
2年くらいずっと考えましたが、実務的なことばかり出てきます。
自分が親父より早く死んだ場合
保険などの支払いをどの口座にいくら入れればいいか。
自分が兄より早く死んだ場合
支払いのあれこれ(保険はほとんどない)
共通
車の処分について。
荷物(遺品)の処分について。
デジタル荷物の処分について(パスワードなど)。
友人への連絡について。
葬儀の仕方について。
兄が1人でやるための家事について。
ざっとあげるとこんな感じかな。
母は突然に意識がなくなり突然に亡くなった。
なので大切なものを大切にしてあげられなかったかもしれないって思いが強かったから、自分は・・・って思うのだけど、なんとなくその大切なものってのがなんなのか思いつかなかったかな。
棺に一緒に入れるものを、
「あいつはこれが好きだったから」
と、えらい勘違いなものを入れられるのは困るなーとか考えると少しおかしくもなってくるw
うん。
大切なもの、それはなんだろう。
思い浮かぶのは大切な友人、大切な人。
でも僕はそういった大切に関わる思い出の品がなかったりもする。
大切なものは、必要以上に覚えてる僕の頭の中の記憶なのかも
そんな風に思い始めると、エンディングノートに何を残すべきなのかぼんやりと浮かんでくる。
小学校の時に楽しかったこと悔しかったこと
少し大人になってやりたかったこと、好きだったこと、好きになった人
自分の道が見えてきて、本当にやりたかったこと、行きたかった場所、一緒にいたかった人
挫折をしてぼーっと生きていた頃に、悔しかったこと、嬉しかったこと、泣きたかったこと・・・
ほんの少しでもいいから本当の自分を知って欲しかったのかなーと、まだ元気にピンピンしてる自分を俯瞰して見始めることができた。
恥の多い人生だったぜ!
これじゃしっくりこないよねw
恥の多い生涯を送ってきました・・・
この出だしって本当にしっくりくるんですよ。自分の人生・・・いや、多くの人が人生を振り返るときに。
自分の人生を振り返るとき、やり残したことの多さ、後悔の多さ、人に知られたくないことの多さ・・・
でも、そういうのも知ってもらえたら浮かばれるのかなーっても思うんですね。
僕は明るい人間だと思いますよ。
だから少し自分の失敗ばかりの恥の多い人生を見てもらって、笑ってもらえたら嬉しいんじゃないかなと思うのです。
高校と大学の受験失敗。
その後の2、3年のダラダラ生活。
僕の後悔の多くはここに凝縮されてます。
怠惰だったんです、単純に。この時間に怠惰だったからその後どんなに頑張ってもうまくいかないんだってずーっと思っているわけですね。
でも、その後は人並み以上に努力しました。
でも、実を結びませんでした。
そしてまた怠惰な時間が流れ、後悔を蓄積させていきます。母が亡くなり、家の問題が全て自分の元に。
でも、自分の能力以上に頑張ったよ!
でも、必死になんとかしようとしてきたよ!諦めなかったよ!
でも、怠惰な時間があったからそれが大きくのしかかってくるんですよ。他人からも自分自身からもお前はダメだって言われるしかないのですな。
こう終わってしまったら、エンディングノートで笑ってもらえないよねw
エンデイングを迎えるまでに時間はたくさんあるんです。だからこそ書くエンディングノートなわけですね。
僕は怠惰な時間を取り戻すくらいには頑張ったって思います。家のこともそうじゃないところでも。だから、
報われたい
そんな風に思います。もっと自分らしく生きたいですね。
なので、エンディングノートで笑ってもらえるようにこれからのテーマは「報われる」「報われたい」です。
エンディングノートの面白いところは完結させるのが難しいってことかもですね。
元気なうちにある程度を書く。若いうちから書いていくと、テーマが変わってくる。テーマが変わってくると結末が変わってくる、結末が変わってくると、また新しいテーマが思い浮かぶ・・・その繰り返しになるかなーって思います。40代には40代の時に伝えたいことがあって、60代には60代の、80代には80代の。そして死ぬ間際には死ぬ間際の。
だから完結させることができない。
エンディングノートは前向きでもあるんですね。
もちろん、僕の場合ですがw