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ヘタレ創作ヤログ~人生これでいいのだ!!

原点に立ち返った、創作ヤロウのブログ!
「負け組プータログ!!」からタイトル再変更。でも、今まで通り幅広くいきます~

「家族会議」

2006年10月15日 20時49分50秒 | 俺的映画人生
自分が脚本を担当した、明治座アカデミーのショートドラマ(Webドラマ)「家族会議」が今日から配信されている。

自分が書いておきながら、「主人公が誰だかわからない」、「起承転結がない」、「ドラマになってない」など様々な問題があるし、色々ないきさつがあって自分でもホンにはまったく納得していないが、その点についてあえて弁解するつもりはない。

映画製作過程において、脚本というのは1つのプロセスだし、映画を一人で作るわけじゃないから、色々な方面から色々な指摘を受けて脚本を直していき、結果として出来た脚本を土台に監督が映像にしていくわけだから、「脚本家の思い通り」なんて映像が出来上がることはまずない。
脚本家を志す人は、まずこの辺は理解していないとならないと思うよ。

そういう意味では、今回は杉浦監督は非常に頑張られたと思うし、他のスタッフ&キャストの皆様にも感謝しています。

一脚本家として、胸をはって宣伝できる物ではないが(何を書いてもそうだけどね)、興味のある方はご視聴ください。

これからはWebisodeなんかをやるサイトも出てくるかもしれないね。
ショートの連ドラは是非やってみたいんだけどね。
ネタもあるし…。

Webisodeをお考えのプロデューサーの皆様、お声をかけていただければ幸いです

もう辛抱たらまん!

2006年09月27日 23時00分15秒 | 俺的映画人生
ということで、年内にインディ映画制作ユニットを発足させたい
やっぱ、インディならではの柔軟な発想で作って行きたいですね。
とりあえず企画から話し合えるメンバーが揃えばいいな~。

というわけなので、メンバー募集します
条件は、打ち合わせや撮影(すべて休日)に来られる方で、「何でもやれる」ヒト。
「自分は役者志望だから」、「自分はカメラしかやらない」という方は、ちょっと一緒にやっていくのは難しいです。

「一緒に自主制作映画を作ってみたい!参加したい!」という方、大歓迎です。

我こそは、と思った方はメールください

time_ruler@goo.jp

※迷惑メールフィルターをかけているので、ジャンクメールは読みませんよ。送っても無駄です。その労力と時間を別のことに割いてみては?

旧都立城南高校映画部のコミュニティ作っちゃった!

2006年08月06日 16時24分16秒 | 俺的映画人生
映画部のメンバーと限定でやりとりが出来たら…。
そんな思いから、城南高校映画部のSNSコミュニティーをとうとう作成!
今のところ参加メンバーは俺を含めて二人。
だって、あとの人連絡先わかんないんだもん

ということで、85年~89年くらいの間で都立城南高校映画部に関係していた方は、コンタクトミー

メール time_ruler@goo.jp

携帯からでも参加できるはず。

と言うことで宜しく~。

Webドラマ撮影終了

2006年07月20日 21時42分04秒 | 俺的映画人生
終わった。

楽しかったかって?

残念だが、とても「映画を撮ってます」って現場じゃなかった。
いや、あれが日本映画式映画の撮り方なんだな。
だから若手が育たない。

まず監督が、監督としての機能をほとんど果たしていなかった。
実際には撮影監督が演出をしていたよ
ピンク映画現場歴ウン十年といったところかな、あのカメラマンさんは。
あと、何のために来たのかわからないプロデューサー(職業は監督さんです)が撮影助手をしながら、まごつく俺になんどもどなってたな。ありゃあ、映画監督というよりは、大工の棟梁だよ
監督が、その力量を発揮できなかったのは、彼らがクチを出しすぎたせい。
つまり実際には現場に監督が3人いたことになる。
あれじゃ、監督の立場がない。
人のプライドや感情を全く考えない無神経なのは、ベテランだろうがなんだろうが尊敬するに値しない。
「いいか、助監督ってのはな…」と撮影監督のお説教を聞かされたが、元々助監督修行をしたくて現場にいるわけじゃない俺は、ただ苦笑するしかなかったよ。
6年前の俺なら、昨日傷害罪で逮捕されてたろうな
そう考えると、短気だった俺も少しはソフトになったもんだ

彼らが信じ、愛する現場理念を貫くのは結構だけど、肝心の作品が…。
・何を基準に選考したのかわからない、全く見所のない脚本。
・プロの機材を使いつつ、自主制作以下のレベルで行われた撮影。
大体、劇場公開するわけでもないし、Webドラマったって無料で見せるショートムービーなんだから、「古き良き現場」を持ち込んでみたところで何の意味もない。

正直、あのWebドラマの助監督をある程度やり続けて、隙あらば一本監督させてもらえたら、と思っていたけど、あんな現場じゃこっちの方が願い下げ。
監督にとって、勝手に演出されることくらい失礼な話はないからね。

カメラの向こうにあるはずの非日常は、えらく日常的でした。
低予算の日本映画やテレビじゃ、あんなもんかもね。
つくづく、海外映画のメイキング見てうらやましくなるわ。

とはいえ、高校時代を振り返ると、映画部のラストの方は俺以外のメンバーにとっては、今の俺の心境と同じだったのかもしれない。
それは悔やまれるね。
低予算映画や自主映画は、何よりもまず楽しんで作られるべきだ。
だってお金がないんだから、せめて現場が楽しくなかったら救いがないでしょうが。

で、話は急転直下変わるが、NBC向けは諸々の都合でやめました。
現在、プロジェクトを調整中で、企画が決まり次第、今度は余裕をもって募集を再開します。
キャスト何人とかまったく読めないけど、興味のある方はメール下さるか、Independent Film Theatre からフォーム送信お願いします

来週は

2006年07月14日 21時32分36秒 | 俺的映画人生
Webドラマの助監督をします。
現場は久しぶりなので、楽しみ。

シナリオは、確かにストーリーを組み立てていく面白さがある。
それも魅力のひとつだけど、自分はそれだけじゃなくて、実際に物を作り上げていく現場も好きだ。

元々自主映画始めた頃(高校生)は、脚本なんて書かなかったし、処女作に関してはレポート用紙に画像の順番を走り書きした程度。その後も自作に関してはほとんど絵コンテしかきらなかった。
脚本を書くようになったのは、にっかつ時代に俳優科と一緒にやる上で台本が必要だったから。

絵コンテできった通りには、現場は中々いかないんだけど、やっぱキャメラの向こう側が「よ~いスタート」とともに別世界に変容し、「カット」の掛け声とともに現実に戻る、あの緊張感と快感は体験したものにしかわからない良さがある。

現実と非現実が交互に入り混じるのが映画の撮影現場。

俺を映像世界に釘付けにしているのも、その面白さがあるからなんだ。

1日で短編を2本撮るから、スケジュールはタイトなものだけど、せいぜい楽しんでくるつもり。
もちろん仕事だから、「楽しんで」=「遊んで」じゃないよ

というわけで、自主の方は今のところ22、23日撮りを予定しているけど、別にNBCのコンペに間に合わなきゃならない理由はないし、他のコンペならコメディじゃなくてもいいわけだから、気長に構えてます。

ま、自主映画でもいいから出たい、世界に自分の演技を配信したい、という方は

Independet Film Theatre Online

からフォームを送信いただくか、直にメールください。

唐突ですが!

2006年07月10日 00時48分41秒 | 俺的映画人生
インディーズ映画プロジェクト始動します。

5分程度のショートコメディを撮影して、アメリカNBCのコンペに送る事情で、7/22にはクランクアップしないと間に合わないので、急遽ページ作って、俳優さんを募集します。

詳細は「Independent Film Theatre」をどうぞ。

東京近郊の方限定ですので、ご了承ください

ということで、宜しくお願いします

ショートムービー作るぞ

2006年07月02日 23時22分52秒 | 俺的映画人生
久々の更新。

で、宣言。
インディショートムービー作ります!

というのも、夏にアメリカNBCのショートコメディコンペがあったり、アメリカで色々フィルムフェスタがあるので、2本くらい撮って送ってみたい。

大学時代に講師陣に好評を得た演出力はまだ健在かどうかも試してみたいし。
シナリオなど細かいことが決まったら、Webサイト作って主にキャストを公募するので、奮って参加してね。
ギャラは…一応わずかだけど出す予定です。

今年下半期も、ガンガンいきますえ

自主だ、映画だ、Web配信だ!!

2006年05月13日 23時44分45秒 | 俺的映画人生
久しく映画を撮ってない。
脚本家も映画監督へのワンステップだと思ったんだけど、押井作品で苦悩した伊藤和典さんじゃないけど、「絵でしか表現できないものをどうやって文字にするんだ?」って思った。
特に映画を見てると、お話も重要だけど、やっぱ芸術はセンスよね。
いい悪いはともかくとしてセンスで作るもんだと思うのよ。

で、商業は無理だから、とりあえず自主やりたいね~。
もうDVとかフィルムじゃなくたっていいじゃない~?
デジカメのムービーモードで撮ってさ、音なんて音楽かぶせちゃえばいいし、上映はWeb上でやれば、かなり制作費節約できる。
ってかほとんどかかんないんじゃないか。

よし、やろう!
ってスタッフはどこだ?
キャストは?

やっぱ人集めを地道にやろう。

自主制作映画監督復帰や~

もうこうなったらマジメにブログのタイトルを「売れたいヤロウのブログ」に変更することを検討します

俺映画最終回

2005年05月27日 18時04分22秒 | 俺的映画人生
8回続いた「俺映画」もいよいよ最終回。
今に至る俺をとくと御覧あれ!


「Web業界との決別~劇的な再会」

去年、俺はとある企業にWebディレクターとして就職した。
この会社は、中小企業のわりにはしっかりしたクライアントを持った会社だったが、問題もあった。
社長に、ちゃんとした企業たろうとする姿勢が強すぎたため、会社が学校のようになってしまっていたのと、経費削減で若い経験不足な人材ばかり採用していたため、社内コミュニケーションがまったく子供っぽいのだ。まさに学校だったな。
給料も安かった。
それまで俺が勤めた会社の中では最低で、普通に生活していくのも困難なほどだった。
この会社はエロゲーも作っていたのだったが、そのスタッフが若さゆえの天狗さまばかりで本当にそのゲームのWebを担当したときは大変だった。
大先生扱いされてるシナリオライターにへーコラしながらのWeb製作は、屈辱ですらあったね。
で、いきなり人が辞めたからって、入ったばかりの俺がWebからモバイルチームに異動させられてからは大変だった。
こちとらモバイルのことなんて何も知らないのに、いきなり大コンテンツのディレクター。引継ぎもなし。
自分で研究しろ、ってね。
ひどい会社だった。
ま、みんな若すぎて、それをまとめる人間がいないのだから仕方ないといえば仕方なかったのかもしれない。
が、とにかくこの部署ではやってられないので、部署異動願いをしたのだったが、中々受け付けてもらえず、そんな折にマイクロソフトからいいお話しがあったので、辞めちゃった。
ま、この会社では、短編小説とか、コンテンツのライティングとか好きなこともやらせてもらったからいいけどね。

で、マイクロソフトに移ってからは「ゲームテストエンジニア」として働き始めた。
つまり、Webディレクター引退ですな。
このテストエンジニアってのは、要するに重箱の隅をつついてバグというバグをすべて見つけ出し、報告する業務なんだけど、最初は何をやっていいかわからず大変だった。
ここも引継ぎとかOJTとかなかったんでね。
なんで最近の会社には、「人に仕事を教える」という余裕がないのかね?
習うより慣れろ、では仕事としては効率悪いだろうに。

で、この仕事をしている間に、たまたまWebで検索してて発見したのが、元カノのATが某バンドのギタリストとして活躍してるらしいこと。
これには元彼として、刺激を受けたね。
俺もこんなことやってちゃいかん、と。

そしてもうひとつ転機があった。
DRAMA FACTORYの創作回顧録に「魔胎伝」の記事を載せたんだけど、しばらくして思いもよらぬ人からメールが届いた。
それが小松公典氏=こまっちゃん。
データ収集目的で自分の名前で検索したら、たまたま俺のページがヒットしたらしい。
それで、こまっちゃんに電話して、早速会うことに。
調布で13年ぶりに再会。
懐かしかったなァ。
調布のドトールで2時間くらい話したかな。
何よりも、彼の「シナリオを書く」というエネルギッシュな意欲に刺激を受けたね。
それで、俺もシナリオ書かなきゃと思って、ネットで仕事探したら、たまたまエロゲーのシナリオライター募集があって、応募したら電話かかってきて、「是非やってくれ」と。その仕事やりだしたら、当然マイクロソフトの仕事なんてもうどうでもよくなっちゃってね。
で、今年の1月に少々もめた挙句に、辞めた。
俺のゲームテストエンジニア歴はたったの4ヶ月で終わった。

で、俺はエロゲーのシナリオを書きながら、かつて紹介された西条道彦先生もネットで検索。
先生は、ネットでシナリオ教室をやっておられて、そこにアクセス。
まあ、一応シナリオ歴ではコンクールで2次選考までは通過した経験もあるし、ゲームシナリオもやってるし、ということでセミプロコースを選んでメールしたところ、即先生からお返事があって、「今日教室があるから来なさい」と言われたので、脚本家連盟のライターズスクールの研修科にお邪魔して、13年ぶりに西条先生と再会。
そのまま飲み会にまで連れて行っていただいて、受講生と話ししたりして面白かったな。
それ以来、俺はメイン仕事をシナリオもしくはドラマを書くことに絞り、西条先生やこまっちゃんとの再会も大切にしながら、現在に至っている。
これからどうなるか、期待感もあるし、不安感もあるが、色々プロジェクトがあるし、何かがどうかなるだろう、と思っている。

「俺的映画人生」完

俺映画第8回

2005年05月21日 21時48分24秒 | 俺的映画人生
この時期は、映画やシナリオから離れた時期だ。
でも、俺の中では離れたつもりじゃなかった。
Webで同じことができれば、って思ってたんだな。


「日本での野望~父の死を乗り越えて」

な~んてカッコイイタイトルをつけてみたが、実際あの時は洒落にならなかった。
当時はICSのバイトだけじゃなく、Webデザイナー&プランナー&ライターとして小さい広告代理店に在宅社員として勤めていたんだが、この会社の倒産と同時期に親父が他界。
タダでさえ苦しい家計が一気に危機に瀕した。
幸い、会社倒産ということですぐに失業保険がおりたから、しばらくは問題なかったが、その分ICSでも頑張って、翌年には派遣に登録した。

Webデザインをやっていたことが幸いして、仕事はすぐに見つかった。
当時ソフトバンクが躍起になって金融業界に殴りこんでいた時期で、アメリカの証券会社E*TRADEの日本進出にSBが力を貸して、イー・トレード株式会社を設立、俺はそこのオンライントレードサイトの立ち上げに参加することになった。
派遣期間後は、社員としてイー・トレード証券株式会社(イー・トレードとイー・トレード証券は、法人上別会社)に入社し、引き続きサイトの立ち上げと、立ち上げ後の運用に専念した。
この頃は仕事したなー
女関係はほとんどなし!
総務に「池ちゃん」と呼ばれる可愛い子はいたけど、それよりなにより仕事、そしてこの頃からカンフー修行に力を入れ始めたこともあって、Webと武術に専念してた。
正直、映画やシナリオは、見るのはともかく自分で作る、書くなんてことはまったくしなかったね。
それにはわけがあった。
もう助監督とかシナリオ書いて映画監督になる、という王道は考えられなかったから、俺は「内からではなく外から映画業界を変革する!」と勝手に思い込み、映像を配信し始めるようになったWebで、それまでとは違う新しい映画コンテンツを製作することで映画監督デビューしよう、という野望にかられていたんだ。
ただ、やはり「今何か創りたい」という思いは抑え切れなかった。
正月(ミレニアム)にドリキャスで「シェンムー」ってゲームやって、まゲームの内容はともかく、「やっぱ俺はエンタメじゃないとダメ」と思って、イー・トレード証券を辞めた。

その後、フリーランスという立場でクリーク&リバー社という自称クリエーターエージェンシーと契約して、Webの仕事をバリバリこなした。
企画してもいい、という環境だったから、エンタメの企画書を何部か書いたけど、結局実現までにはいたらなかったな。
仕事は相変わらずお堅い系(そういうのが全盛だった)が多かったが、女には恋をしたな~。
いい子だった。
美人でね、ちょっと大人っぽくって。
よく深夜残業一緒にしたっけな。
青木さん、好きやったでー!

で、その青木さんが辞めるのとほぼ同時に俺もクリークを辞めた。
理由は、映像コンテンツ関連のWeb製作をやってる会社に誘われたから。
給料もふくめて、魅力的に感じたんだね。
だから、その会社に入社したんだけど、やらされたことはコテコテのWeb。しかも企業コンサルみたいなことまでやるSIPSというのが当時流行っていて、この会社も映像コンテンツでは金にならないから、そっちに力を入れ始めていた。
俺はその事業の中心人物に、ってことだったが、冗談じゃない。
俺はエンタメがやりたいんだ~!
と、そこも辞めた。

で、その次に行ったのはぷららというNTTの傘下のプロバイダ。
ここは映画情報コンテンツやオンラインゲームのプロデュース&ディレクションだったので、俺にとっては初のエンタメ系の仕事だった。
この仕事では映画見まくったね。
ただ券は入るし、試写は見放題だったから。
あと、タレントの記者会見なんかにも行ったな。
木村佳乃の写真を密かに撮ったりしてた。
公開しなきゃいいってことだったからさ。
もう持ってないよ。
会社にデータは置きっぱなし。
でも、ここも続かなかったな。
ようは俺って飽き性だったからさ。
大体にっかつだってそうよ。
要は飽きたから次行こうって、そんな単純な発想だった。
でも、俺の立場上フラフラはしてられない。
だから、次の会社を探した。

次の会社は、集英社にぶら下がりの小さな会社だった。
Webディレクターということで入ったが、社長から何も指示が出ず、俺は何をやっていいのか終始わからなかった。
だから、勝手に企画書書いたり、集英社と打ち合わせしてたんだけど、それが社長は気に入らなかったらしい。
グジャグジャといじめられたよ。
だから、ここも辞めた。
将来性感じられなかったし。

書くってことからは遠ざかった数年を過ごして、俺が最後にWebの仕事をしたのが去年だった。

その話は、また次回ということで。


青春が懐かしいな…