どこの自治体でも同じなのでしょうが・・太子町の名所旧跡を訪ねていると、様々な場所で観光マップを見かけます。そしていずれにも「聖徳太子」のイラストが書かれていて、ここが太子縁の地であることを強く感じさせられます。個人的には「近つ飛鳥の里・太子探訪」の観光マップに描かれている「馬上の太子」が一押し(笑)
観光マップ
気付かれた方もいると思いますが、マップの右下にも太子と二人の子供のイラストが有ります。「聖徳太子及び二王子像」とも称し、左が太子の弟『殖栗皇子(えくりのみこ)』。右は実子である『山背大兄王(やましろのおおえのおう』。イラストの元になったのは「唐本御影」で、これは聖徳太子を描いた最古の肖像画と伝えられています。ちなみに昭和32に発行された五千円札の肖像として、更に昭和33年に発行された日本初の一万円札の肖像にも採用されました。
エリア全体が遺跡博物館ともいわれる陵墓・古墳の宝庫「近つ飛鳥」。その中核的文化施設として1994年に開館した「近つ飛鳥博物館」。ひときわ高くそびえているのは『安藤忠雄』設計の「黄泉の搭」。
こちらは明日紹介する「科長神社」の近くに立てられていた「ふるさと太子・散歩道」の観光マップ。ここにも聖徳太子と二人の子供のイラストが漫画チックに書かれています。
科長神社から道の駅に向かう途次に見かけた、太子町山田の「観音堂」。太子を救世観音の生まれ変わりとする太子信仰からでしょうか?辻に見かける観音堂はいずれも手入れが行き届き香華が手向けられています。
「道の駅・近つ飛鳥の里・太子」、定番ともいえる顔出しも、「聖徳太子及び二王子像」
記念スタンプももしや!・・と思ったのですが・・。独特のポーズは一緒ですが、二上山と叡福寺を背にしたゆるキャラの『たいしくん』でした。
ちなみに「二上山」のモニュメントもあります。
歴史的な人物が悉く可愛いキャラに変身して・・可愛すぎないか?と思っていたら、何と初代の太子さんキャラを発見!!。
一般的に思い浮かべる聖徳太子の姿により近いデザインで、しっかりヒゲも蓄えています。しかも今でも現役で、町のそこかしこに・・何と「飛び出し聖徳太子」になって活躍していました。
どのような事情で二代目が誕生したのかわかりませんが、それにしてもゆるキャラの定義って? イラストであろうが着ぐるみだろうが(笑)、見つければせっせと画像に納めている私が言うのもどうかと思いますが、一体何なんでせうね(笑) そうそう、お花畑的雰囲気満載の聖徳太子さんもいます・・何というか実に多彩で面白い(笑)
ネタも尽きたので(笑)少し真面目モードで、聖徳太子に関わる方たちの御陵を紹介します。太子町春日にある「河内磯長陵(用命天皇陵)」。
『用命天皇』は第31代天皇で、和風諡号は『橘豊日天皇(たちばなのとよひのすめらみこと)』聖徳太子は用命天皇の第二皇子で、名は『厩戸皇子』。一般的に馴染みの深い『聖徳太子』は死後の諡です。
推古天皇の摂政であった『聖徳太子』は、十七条憲法や冠位十二階の制定をした事で知られ、また、遣隋使の派遣などで大陸の制度や文化を積極的に取り入れました。「和を以って貴しと為す」の言葉はあまりにも有名で、ご亭主殿はこれを座右の銘としています。
それはともかく、この言葉のイメージから、何故か左に傾ききった自称平和主義者からお仲間のように扱われる事もある(気のどくな)『聖徳太子』ですが、隋の皇帝に宛てて『小野妹子』に持たせた手紙の書き出し【日出処天子至書日没処天子無恙云々】(日出処の天子、書を没する処の天子に致す。つつがなきや…)は、私的にはまさに痛快(*^^*)。日本を「日の出る国」、隋を「日が落ちる国」と表現し、しかも「日出処の天子」としたのです。何と痛快な!!以来、私の中で聖徳太子は「日出処の天子」としてすっかり定着しました。
誰が書いたのか忘れましたが、何かのコラムに、「この言葉は、ただ単に地理的、方向的な意味合いで、日本が上、中国が下などと言う他意は無く、互いに対等な関係でといった意味である」と、かなり強硬に解説されていました。それを読んだ時、ああ、【東が上】思想の中国にとってあの言葉は、相当以上に侮辱だったんだなと改めて痛快さを覚えたものです。
ともあれ、昨今、特定の二カ国に対し、謝罪だ土下座だと(鳩〇元総理はK国に出向いて土下座しましたね)日本人とは思えぬ醜態をさらす政治家達を見ると、外交においては毅然とした態度を貫き、誇りある日本人として振舞って欲しいと切に思うのです。
少なくとも、日本は世界のどの国とも対等に付き合っていける筈だと・・・私は思っています。
訪問日:2015年10月9日
私はとても素晴らしいと思っています。
生意気な言い方になるかもしれませんが、年長と言う事に免じて・・・
こういう方がいるなら、まだ日本と言う国が好きでいられると心からそう感じられました。
まかろんさんと知り合えた事で、他ではあまり口にしない本音の部分も聞いて頂ける。
それがどんなに嬉しい事か。
だから、コメント欄とは言えお話出来る事がとても楽しみで、
「そうそう、そうなんだよね。それからこういう事もあったよね」みたいな感じで・
コメントを頂いた日はテンション上がります(〃∇〃)
まかろんさんのお辛い経験・・たまたまですがキミーさんのコメント欄で知りました。
でも私なんかがやすやすとは触れていけない事と思って・・・
沢山の悲しさ、悔しさ、辛さを知っているからこそ
物語に登場する人物に対し、あれほどに愛情を注げるんだろうと思っています。
過去に書かれた物語も実はこっそり読ませて頂いてます。
自ら死を選んだ少女のお話は・・だから余計に気持ちを揺すぶられ、涙が止まりませんでした。
なんだかとりとめのない内容になってしまってごめんなさい
ちなみに今の私の気持ちは・・・
まかろんさんが目の前に居たら「大好きよ」って抱きつきたい。
あ・・・・・今、引きませんでした?(笑)
ご壮健そうで嬉しいです😄
追加で言い訳させてくださいね。
>戦後のGHQによる日本解体の意図が大きく作用したと思います。
もちろん、そうです!👏
敗戦のショックだけでこうなったとか
言いたかったわけではないのです。
GHQの影響はtibinekoさんなら当然詳しくご存知だと思って。
私が言いたかったのは、
その前提条件として国民的ショックが大きかっただろうなぁ、という「推測」です。
洗脳のね、基本なのですよ。
お前がいかにダメで無能で馬鹿か、って思わせて、
相手の自尊心を完全に壊す、というのは。
その後に、植え付けたいことを教えると
嬉々として洗脳者を崇めて、抜けられません。
この部分がGHQの統制だと思うんです。
ドイツが戦後、GHQの洗脳のような統制を受けたと聞いていないのですが(勉強不足ですみません)、
現首相が内外の反対を押し切ってまで、中国首脳との会談を押し進めたのは、
案外、日本のような敗戦ショックで
まともな自国防衛や対外警戒の意識がどこかで切れているのかも・・・
と思ったのです。
もちろん、GHQの洗脳が一番の問題なんですけど😅
GHQと敗戦ショックと、どちらが今の日本に残っているのでしょうね。
どちらもかもしれませんが、
非戦主義の人と話すたびに、根本的な対外的な警戒心のなさ、
自分の国を防衛する権利があるという意識のなさが
見えてきて、
あまりの土台のなさに、めまいがする思いがします。
GHQがやったことも周知させるべきですが、
敗戦ショックによる自国への自尊心の破壊、という目に見えない影響にも働きかけていきたいと常々思っていまして、
その気持ちがあのようなことを書かせました。
tibinekoさんが仰るように、GHQの解体工作が、直接の問題であることに異論はないです。🙏
いただいた返信はさすがのtibinekoさんで、
このまま教科書にしたいくらいです。
日本人としての自尊心を、みなに取り戻してもらいたいです。
そう思うのはたぶん、私が虐待経験者であると同時に、
物語を作る、つまり感情を相手にする人間だからだと思います。
まあこんなことを長々説明する必要もないのですけど、
tibinekoさんに、この人なんでこんな見方するんだろ?と思われたら残念なので
(目指すことは同じだと思うので)
自己紹介してみました🌸
長々書いてすみません。
いただいた返信、詳細で本当に素晴らしいです。
マンホールの記事、またあとで読ませていただきますね😊🙏
長々と書き連ねた今回のブログ
多分、最後の一文の為の前置きだったかもしれません(^^;)
>敗戦のショック・・
もちろんそれも大いにあったとは思いますが
戦後のGHQによる日本解体の意図が大きく作用したと思います。
共産主義の推奨もしかり、
天皇制(連合国は単なる制度と捉えていました)の廃止を目論んだのもしかり、
その為に、新たに「平和への罪」という名目でA級という罪状を新設し
時の首相を始めとして、幾人もの方が絞首刑に処されました。
彼らは昭和天皇も処刑すべきと考えていました。
昭和天皇もまた、それを潔く身に受ける覚悟であったと言います。
このあたりの事は、何十冊もの書物から得た知識として主人が教えてくれました。
単なるランク分けでしかなかったAを、最も重いと意味づけたのは、敗戦によって立場を強くした共産主義者たちです。
>日本社会がまともに自国を大切に守ろうと思う社会
安倍元総理は専守防衛について「相手からの第一撃を事実上甘受し、国土が戦場になりかねないもの」
また「攻撃を受ければ回避するのは難しく、先に攻撃した方が圧倒的に有利になっているのが現実」と述べています。
その上で相手の射程外から発射できる長射程の巡航ミサイルの導入について「自衛隊員の安全を確保するためには必要不可欠」と強調し、敵基地攻撃を目的としていないと何度も何度も説明しています。
この言葉のどこが「軍事大国を目指している」になるのでしょうか?
この言葉のどこを切り取れば「戦争が出来る国になる」という解釈になるのでしょうか?
こんなスローガンを大仰に書きたてたポスターを見るたびに「獅子身中の虫」という言葉が頭に浮かびます。
まかろんさんの言葉、とても頼もしいです!!
tibinekoさん、そう、そうですよね。
我々日本人が望んでいるのはそれだけのこと。
なにも帝国主義になりたいわけじゃない。
まともな国に戻したいだけなのに、それを軍国化かとか言うようになったのは、
敗戦のショックが日本社会にとって、大きかったのだろうなぁ、と思います。
ドイツがいま、中国にすりよって仏国に非難されていますが、もしかしてドイツも敗戦の影響が残っているのかも、と思います。
…すみません、たくさん聖徳太子のこと書かれてるのに、最後のところだけ熱弁してしまって😅
おひげキャラも可愛いですよね。
…安倍さんが居ないことが改めて寂しいです。
tibinekoさんだから正直に書いちゃいますが、
安倍さんは平成の聖徳太子だったかもしれないですね。
(生まれ変わりとかそういう意味ではなくて💦)
真価が日本の人たちに伝わる日が来ることを願います。
それはきっと、日本社会がまともに自国を大切に守ろうと思う社会になった日だと思うので。
(でも、ウクライナのようになって目覚めるのはごめんですけどね!その前に目覚めてほしいです)
またの記事を楽しみにしていますね。😊(まかろん)