車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

松陰神社と松下村塾 in 山口県萩市椿東

2024年04月11日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

萩市椿東に鎮座される「松陰神社」。御祭神は『吉田矩方命(よしだのりかたのみこと)』

由緒「明治23年(1890)、松下村塾出身者らにより松下村塾の改修が行われた際、実家:杉家の手で松陰神社の前身である土蔵造りの祠を建立。明治40年(1907)、伊藤博文や野村靖が中心となり、祠を公の神社として創建すべく、山口県に請願書を提出。同年10月、県社の社格をもって創建が許可、祠を松下村塾南隣に移して本殿とし、元萩城の鎮守「宮崎八幡宮」の拝殿を譲り受け移築。昭和17年(1942)には桧皮葺の社殿が竣功するが遷座されず終戦を迎え、昭和30年(1955)10月26日に新社殿に遷座。」公式HPより

「翌31年、旧社殿を新社殿北隣に移し、塾生、門下生42柱を祭神とする末社・松門神社を建立。2010年に10柱を追合祀。2015年、沼崎吉五郎命を合祀。」公式HPより

境内には、松陰先生が杉家の物置小屋を改築して安政4年(1857)年に主宰した、私塾「松下村塾」が往時のままに残されています。

「吉田松陰幽囚(ゆうしゅう)ノ旧宅」。天保年間築の杉家旧宅。

安政2年(1955)12月、萩城下の野山獄より出牢した松陰は、この邸内の3畳半の1室に幽囚。松陰はここで家族などに対して講義を行い、やがてその波は松下村塾の教育へと発展。明治維新を成し遂げた数多くの人材がこの塾より巣立っていきました。

萩市椿鹿背ケ坂にある「道の駅:萩往還」に設置された「松陰記念館」

館内には、松下村塾を再現したコーナーが展示されています。

「幽囚室」

「松下村塾の控えの間」

「吉田松陰幽囚ノ旧宅西面 式台玄関」 松下村塾は2015年7月5日、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。

「吉田松陰歌碑」:昭和37年(1962)建立。安政6年(1859)10月20日付けで家族に宛てた遺書の中で詠われた和歌が彫られています。

【親思ふ こころにまさる親ごごろ  けふの音づれ 何ときくらん】

「皇太子殿下行啓之所 大正十五年(1925)五月三十日」

「明治維新胎動之地」昭和43年(1968)、明治維新100年を記念して建立。揮毫は故佐藤栄作元総理。

松陰記念館の前に並ぶのは『伊藤博文・山県有朋・木戸孝允』『天野清三郎・野村和作』の銅像。

『品川弥二郎・山田顕義』とご亭主殿。私は当然😍『高杉晋作・吉田松陰・久坂玄瑞』。ちょっと偉そうにポーズをとってみました(笑)

参拝日:2012年11月12日

明日は松下村塾界隈に残る史跡などを紹介します🍀

コメント (4)
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