車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホールとマンホールカード in 山口県萩市&旧萩市

2024年04月10日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

萩市(はぎし)は中国地方西部、山口県の北部に位置し日本海に面した市です。2005年3月6日、阿武郡川上村・田万川町・むつみ村・須佐町・旭村・福栄村と合併、改めて萩市が発足しました。北部は日本海に面し、東部は阿武町と県を跨いで島根県益田市、津和野町。南東部は山口市、阿東町、西部は長門市、美祢市に隣接。日本海の沖あいには、大島、相島、櫃島、羽島、肥島、尾島の六つの平らな火山島が浮かび、はるか40km先には見島があり、そのうち見島、大島、相島、櫃島は有人島です。「市の木:ヒノキ・松」「市の花:椿・萩」「市の果樹:夏ミカン」を制定。

市内は旧城下町特有である碁盤目状の道路が多く、日本で唯一「江戸時代の地図がそのまま使えるまち」といわれるほど、毛利藩政期に形成された城下町のたたずまいが都市遺産として今なお現存しています。

キャッチフレーズは「誇るべき歴史と美しい自然が織りなすふるさとを愛し、心のよりどころとなる、あたたかいまち」

マンホールには城下町の随所で見られる「白壁からのぞく夏みかん」がデザインされています。

2005年11月12日制定の市章は「萩市のシンボルでもある城下町の土塀の文様をモチーフに、全国の中にあっても一見で「城下町・萩」と認識できるように記号化しました。」公式HPより

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旧萩市(はぎし)は、阿武川の三角州に建設された城下町から発展した市です。阿武町、川上村、旭村、福栄村、三隅町、美東町に隣接。市域は東部の中国山地から北西部の日本海に向かう傾斜地で、南部市境界付近に標高700mを超える山々が連なり、低地は少なく、大半を山地が占めています。関ヶ原の戦いの後の慶長13年(1608)、毛利輝元が日本海に張り出した指月山の麓に萩城を築城。以後山口の政事堂に藩庁が移されるまでの約260年間、長州藩36万石の城下町として栄えてきました。

幕末には、吉田松陰が私塾の松下村塾で多くの人材を育成。そこから、吉田稔麿、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文らを出し、又彼らと友好があった井上聞太(井上馨)ら、明治維新の指導者を輩出しました。地名は「市の花:ツバキ」の「ツ」の字が省かれ「バキ→ハギ」になった・・などの説もあります。「市の木:クロマツ」「市の花:萩・ツバキ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により阿武郡萩町・椿東村・椿村・山田村・三見村・大井村・六島村・見島村が発足。

1923年、阿武郡椿東村・椿村・山田村と新設合併、改めて萩町が発足。

1932年、萩町が山口県内で四番目の市制を施行、萩市となる。

1955年、阿武郡三見村・大井村・六島村・見島村を編入。

マンホールには上部に「越ヶ浜」の文字。「明神池と石灯籠」「市の花:ツバキ」がデザインされています。

国指定天然記念物の海跡湖「明神池」

昭和9年(1934)3月13日制定制定の市章は二代目で「「ハギ」を図案化したもの」。

撮影日:2012年11月12日~13日

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マンホールカード頂きました。

2019年12月14日、第11弾として全国63自治体で66種類(累計502自治体605種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「萩市A」のマンホールカードは、「萩・明倫学舎」でいただけます。

1992年に設置開始されたマンホールには「白壁からのぞく夏みかん」デザインされています。

「萩市を象徴する風景「白壁と夏みかん」をモチーフに平成4年4月にデザインしたマンホール蓋です。 萩市は古地図がそのまま使える街並みで、城下町を散策すると現在でもデザインの風景である「白壁からのぞく夏みかん」をご覧いただくことができます。 夏みかんは市の果樹に指定されています。 明治維新後、生活の術を失った士族たちの生計を立てるため武家屋敷の空き地を利用して栽培を始めました。 古い実が落ちる前に新しい実が生きるため、その様子から「代々続いていく縁起物」として取引されていました。 萩市の美しい水環境も下水道の普及によって代々続けていかなければなりません。」

コメント (4)
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