昨日に続いての水間寺紹介、まずはスタート地点に戻り「厄除橋」と名付けられた太鼓橋の画像から。
橋の手前には、寺名を刻んだ石柱。傍らの小さな祠にはお地蔵様が祀られています。
ご詠歌碑 【 みなかみは 清き流れの水間寺 願う心の 底はにごらじ 】
境内参道東側には、地蔵堂と並んで、享保12年(1727)建立とされる「千日隔夜宝篋印塔」。「隔夜参り」は、念仏を唱えながら二つの寺社を1夜交代で千日お参りをするという修業の事ですが、千日・・って三年間ですよ・・・(^^;)
塔身(とうしん)の側面には、念仏を唱えながら社寺に参詣する「隔夜僧」の姿が彫られています。水間寺から18キロ離れた阪南市の「大願寺」にも、同じ作善(さぜん)による宝篋印塔があるそうです。
「説法石」
水間寺の境内には、前述の「千日隔夜宝篋印塔」を始めとして、沢山の石仏や石灯篭、顕著碑の類が建立されています。
そんな中で、特に印象に残った一対の石灯籠。
四層の台座の上に置かれた石灯籠。これを支えているのは六体の石像。二基の灯篭を支える12体の姿はそれぞれ微妙に異なってはいますが、基本的には一対を成して同じ姿勢のようです。
力神なのか、修行僧なのか・・もしくは仏の教えによって改心した邪鬼なのか・・・
悟り切ったかのように膝に手を置く姿、やれやれと安堵の表情で頬杖を突く姿。
頬杖をつきながら膝に手を置く姿、悩みなどは笑い飛ばせとばかりの姿。
こちらはお名前がはっきりとわかる「布袋様」。この細い橋の先に満面の笑みで鎮座されています。
とかくお腹に問題を抱える御亭主殿。布袋様のお腹を撫でて健康祈願のつもりですが、どう見ても太鼓腹自慢(^^;)・・・食事制限させねば(笑)。
今更ではあるけれど、この当時からもう少し食事内容に気を付けていれば今のような障害は防げたかもしれない・・キーを打つ手が何度も止まってしまう取り戻せない後悔。それでも、仲良く病院通いをしながら共に生きて居られることを・・私たちは素直に神仏に感謝しよう。
明日は恋愛成就の伝説で知られる「水間寺:愛染堂」です。
参拝日:2015年10月9日