そして今日は過ぎ行く

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ミキシングの解体作業

2007-01-20 02:37:39 | 似非小説家的之妄想思考
『音楽での曲のアレンジ方法論』と、『小説での物語の組み立て』なんてまったく系統の違う異質なものを一緒くたにして話をするのは、むちゃむちゃ乱暴な論法だとは解ってはいるのですが。

いま、一生懸命やっているのが、音楽を聴くことです。

って、そんなん別に一生懸命取り組まんでもできることやろ~
と、皆様心の中でいっせいにボソッとつっこまれたかと思います。

まあ、素直にそう思われても仕方ないんですけど、

マジックのタネを知ろうと思ったら、手品師の手元を何度もじっくりと注意深く見つめるしかない訳です。

ということで、ミキシングの手法が面白いと思える曲を、何度も何度も繰り返して聴いてます。

いちど録音したボーカルの声を、輪唱のようにちょっとずつ微妙にタイミングをずらして重ねたり、
左と右からいっせいにドガーンと同じ音を鳴らしたり、
そうすると、声にものすごく重層感や広がりが出たりするのです。
何度も何度も曲を聴いてるうちに、だんだんと音の重ね方の設計図みたいなものが見えてきた気がします


ところで、小説のストーリーというのは、音楽でいえば主旋律(=メロディ)にあたると思うのですが、
たとえば、CDや音源で曲を買うときに、「このミキシング渋っ!」とホレ込んで買う人って、たぶん相当マニアックですよね……。

もし『小説』を書きたいのなら、音楽家がたくさんの人が心地よくなるような旋律を生むように、人が楽しめるようなストーリーを作ることを考えにゃならんのですけどね

どうも私は、ミキシング職人みたいなことがやりたいようです。
同じ言葉でも、重ね方によって、何通りもの違う聴かせ方ができると思います。


しかし……旦那の弁当もろくに作らずに、毎日、耳にヘッドフォンつっこんでると、家事をサボりまくってボサーッと音楽聴いて遊んでるようにしか見えませんので、旦那に対しては↑上のような言い訳を重ねてごまかしております
旦那曰く、「言うてることが解る部分と解らん部分がある」そうです。
旦那にはたいへん申し訳ないのですが、しばらくはこういう風に意味のわからん方向へ全力疾走したいと思ってます。(←いちおう旦那の許可取得済み、というか半分あきらめてる?!)

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