昨日は夫の代休を利用して、映画『Ray』を観てきました

今や音楽の一大ジャンル、ソウルの草分けとして活躍し、昨年6月に亡くなったアーティスト、レイ・チャールズの伝記映画でしたよ
レイ氏のくわしい経歴は、あらすじのネタバレになっちゃうのでここには書けませんが、一番ビックリしたのは、家庭の内やら外やら、とりまぜて12人の子どもの父親だったという事実!
享年73歳という年齢を考えると、なんと6年にひとりの子作りペース

そりゃなんともご苦労さまっす

映画にも、レイ氏の正妻さんの他に、何人かの女性が登場するのですが、thlaspiの頭の中では、映画のストーリーそっちのけで、ひとつ素朴な疑問が湧きました 浮気する男の人の頭の中で、まずは正妻さん


、それに、あっちのおネエちゃんに


、それから、こっちのおネエちゃん



どこでどういう風に交通整理されているんでしょう?
映画を見終わっても、気になって気になって仕方がないので、わが夫に聞いてみると、
「それは・・・・・・その場の

空気を読んで、頭のスイッチ切り替えるんとちゃうかー

」とのお答え
なぬゥー


それは経験談かーッ、アタシに黙って、どのへんのスイッチ切り替えとんねん~

)))
と、バクハツする怒りはさておいて、浮気男の心の矢印は、どういう風に蠢いているんでしょうか

こういう感じで、同じ瞬間に、違う方向を向いているのか
それとも、
浮気がバレて


正妻に愛想をつかされ、





これ幸いと逃げこんだ女のアパートで、別の女と鉢合わせ! 女がふたり、ホットなバトルを繰り広げる その横で、のほほんと、『やっぱり俺は妻を愛しているんだなあ

』と、手前勝手な感慨にひたる・・・・・・なんて風に、永遠に回り続ける逃避願望でしかないのか?
thlaspiは、前者の見方を支持したいですね
カラダがひとつしかないから、心も、じっとひとつの方向を向いてなきゃダメなのでしょうか?
ちょっと複雑なことを言いますが、前者も後者も、じつは中身は同じで、ものさしを変えて計っているだけにしか思えないのです
何で真夜中に、いきなりこんなマニアックな哲学の話始めたかというと、趣味で書いている小説が、完全に行き詰ったからで~す(笑) ウェブログばっかり書いてサボってるから、当然といえば当然ですが

まあ誰も期待してないし、誰も待ってるわけじゃないから、いいや~ん
そろそろ、『タイの旅行記が中断してるけど、どないやねん

』という声が、身内から聞こえてきておりますので、さっそく次回から再開します
すっかり忘れ去ったころに更新されるゲリラ的な旅行記ですが、どうか気長にお付き合いくださいませ

旅行記も、このウェブログに書きこむ日々の徒然も、趣味の小説も、パート勤めも、主婦業も(ちょっと苦手

だけど)、みんな同時に愛して頑張りますよ