発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

西風吹かば 

2014年07月07日 | 日記
◆西風吹かば
 西日本新聞にこんな記事が載ってた先月下旬。
 民間調査会社の試算によれば、福島第一のような事故ともなれば、北風で佐賀県高線量。西風で福岡県筑前地方は高線量となるという。
 素人の私でも、自分の家と、もよりの原発の位置と、福島避難関連記事の地図を重ねてみて、あ、これはそのときの風向きや天候によっては……と思ったりしたもので、想定内といえば想定内の記事である。何を今さらパンツェッタジローラモと思いながら、ハッと気がつく。

◆金の切れ目が発生してる
 こんな記事が載るということは、電力会社の広告出稿が本当に減っているんだろうな、と。
 東日本大震災にともなう福島の原発事故から1年ほどで、地元電力提供のテレビ番組はすべて終了した。
 朝日毎日西日本は、系列ローカルテレビ局に電力会社は出資していないから、広告の切れ目が即縁の切れ目ということである。電力会社がイケイケどんどんだった時代には腰が引けて書けなかったことが今は書けるということなのだと思った。
 そして原発について、いまだに厳しくない記事を書く新聞については、系列の放送局の大株主が、電力会社だったりするのだ。この件に限らず、メディアは背景を考えながら見聞き読みしなければいけないなと思うのである。良い悪いの問題とはまた別の問題で、そういうものだということで。
 これまで駆使してきたお金を使っての圧力が、すくなくとも震災以前のようには使えなくなってきているということである。東京都下の市議会で、原発再稼働反対の決議が、自民党議員も含めた賛成多数で可決されているのも無関係なことでもあるまい。
 ひとは利害で動く。ひとにおける利害とは、お金の問題に限らず、気持ちの問題も大きい。だから、そのひとの価値観における利害をどのように誘導していくか、というのは、企業にせよ国家にせよ個人にせよ、戦略そのものである。誰が誰をどんな方向に連れて行こうとしているのか。それはどんなことを期待してのことなのか。それを考えると情報をコントロールするというのは恐ろしいことであるなと思う。
 企業も利害で動くが、企業における利害とは、短期長期でみたお金の要素がより大きい。取引先に支払い、従業員に給料を払い、事業を継続する責任があるわけである。投下した資本が回収できなければ潰れてしまう。
 企業倫理と呼ばれるものも、結局は、企業イメージが、長期的に収益と関わってくるから、そこから生まれるのである。

◆なぜそれでも原発なのか 
  電力会社が原子力発電所にこだわり続ける理由のはなぜだろう。
 これまで原発に莫大な投資をしてきた。投下した資本は回収しないといけない、それはわかる。
 しかし、目論みがはずれたのに底なしの投資を続けているような気もする。
 もし事故ともなれば、どういうことになるのか。東京電力にお勤めの人が、電力にお勤めが理由で会社から十分な事故賠償が受けられない事態という記事を読むにつけ、お勤めの人も、事故と、自分がどういう目に遭うかを考えると、再稼働に心から賛成できる人はどのくらいいるのだろうかと思う。
 新潟県知事は「原発敷地内に本社を」と言ってる。まず、よそのことと思わないこと。そう思っても再稼働できるのか。
 九州電力は、原発依存率が最大時4割だったと思う。やめればつぶれるということなのか。どうしても再稼働ありき、なのか。

◆銀行はどう思っているのか
 先月のおわりの電力会社各社の株主総会では、脱原発の株主提案が提出され、否決された。
 一説には、原発再稼働しないと、銀行から融資を受けられないから、続けざるを得ないからだと聞く。
 しかし、それは、銀行もまた電力会社と同じく事故が起きないことを前提にしているということではないか。今度事故が起きたら、銀行は、より大きな損害とならないか。
 事故が起きたとき電力会社が返済不能となるだけではない。原発事故や、使用済み核燃料の保管上の事故で土地が汚染された場合、汚染されて担保価値がなくなった不動産に設定した抵当権は意味がなくなるから、その土地を担保にお金を貸さなくなり、ということは、たとえば手形決済のために銀行が根抵当を設定していた一般の事業者は、売り上げの低迷と手形決済不能があいまって、あれこれ手を打つ時間がないままに倒産するような事態が生じ、貸し倒れ続出ということにはならないかと。で、貸し倒れして手にした不動産は、売るに売れない汚染土壌つき土地とその上の建物というわけである。国にはそれを買い取る資金などもはや尽きているということになれぱ、銀行は傾き、恐慌となる、という状況にならないかと素人は思うのだが。
 原発再稼働推進は、金融機関とは思えない楽観のように思えるのだが。

◆後戻りできるのかできないのか
 もちろん、原発を再稼働させず、廃炉するにあたって、社会全体で少なからぬ負担があることは覚悟しないといけないだろう。人類滅亡よりはましだと思うが、どの程度堪え忍ばないといけないのか、それとも大丈夫な方に賭けるのか。勝率はどのくらいだろう。
 それとも、すべての原発を廃炉する場合の少なからぬ負担というのが、それはそれで日本経済を壊滅させるほどのものであり、私たちはもう、あともどりできないところまで来てしまっているのか? そこのところが知りたい。原発への投資が底なしの投資となるのか、廃炉への投資が底なしなのか。どうせ底なしであれば、電力がつくれた方がいいということなのか。どちらも底なしであれば、放射性廃棄物が出ないほうがいいと思うんだけど。

 放射能汚染は、不変の価値をひっくり返す威力がある。昔、『ゴルゴ13』に、こんな話があった。国家レベルで穀物を購入する資金のもととなる大量のゴールドを積んだ列車が通るところで核爆発を偽装し(これがゴルゴさんのお仕事)、何も知らないカメラマンは、特ダネ写真を撮って大喜びで世界中に配信、放射能汚染されたゴールドを買う人などいないから穀物を買う原資が消滅したということで穀物相場は大暴落、仕掛人は穀物を買い叩く。その後、核爆発はフェイクでありゴールドは汚染されていないということがわかり、穀物相場は急騰。仕掛人は売りに転じて利鞘を稼いで大儲け(「汚れた金」)……という話だ。
 ゴールドはもちろん、不動産も台無しにするのが放射能汚染だ。原発再稼働は、賛成も反対もない、無理なのだというのが私の結論だ。

 ここにきて、中東情勢が不安定で石油が高騰している。
 70年代オイルショックの悪い記憶がよみがえる。オイルショックがあったから、日本の原発建設の進行が早まったのだ。
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