発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』

2015年12月08日 | 本について
◆いくさはどこから来るのでせう
 先日の藩校サミットで、金子堅太郎の太平洋開戦前夜の漢詩を紹介していたので、このブログにもちょっと書いた。
 そのあとにきた12月8日であるので、少し戦争について考えてみようと思った。
 さきの戦争について選択の余地はなかった。日本は戦争へと追い込まれた。そういう論調は多いというか最近多くなったと思う。同時に、あの戦争は男が起こした。選挙権を持っているのは男だったから。女はそんなことは許しはしない、という論調は減りつつあるような気がする。どうこう言及するには私は圧倒的に勉強不足であるが、どの程度勉強すれば言及できるのだろうか。とりあえず勉強途中であることを前置きして自分のブログに書くくらいは許されると思う。
 愛唱されている「さとうきび畑」の歌の中の、いくさが海の向こうからやってきた的なフレーズは、昔から不思議だと思っていた。沖縄に限定する話としてではなく、わが国全体として。選択の余地はどの程度あったのか、まったくなくて海の向こうからやってきたいくさなのか、と、ぼやーっとした違和感を感じていた。

◆「持久戦、経済戦には、絶対に勝てないから、日本には戦争をする資格はない」
 これは、海軍大佐から軍事評論家となった水野廣徳という人が1929年に言ったことばなのだ。昭和4年!! 
  このことばを紹介していたのは『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子著 朝日出版社)という本。おお、「さとうきび畑」の違和感を取り去ってくれそうなタイトルではないかと思わず手にした。大学の先生が中学高校の歴史好きの生徒の前で特別講義を行なった、という内容で、すべて話し言葉で書かれている。戦争といっても、太平洋戦争は、この本の末尾ページにして6分の1くらいで、つまり日清戦争から一次大戦などについてもページが割かれているのだが、すごく面白い。水野廣徳関連はもっと読みたい。なんとこの水野さん、東京大空襲を予言しているのです。1930年、昭和5年の段階で。

◆戦争ともなればそれはすなわち私たちの負けなのである
 「戦争をする資格はない」とはすなわち「戦争をすれば負けは見えている」ということである。水野の活動した二十世紀前半に比べて、さらに今の時代のわが国は脆弱であると、ひっきりなしに動いている埠頭のガントリークレーンを見るたびに思う。これがストップして何日持ちこたえられるのだろうか。さらに脆弱なことには、20年くらい前、米の収量が2割程度少なかったくらいで、店頭から米が消えた。もとより毎食米を食べていたわけでもあるまいに、2~3日に1食米食を減らせば全くそれまで通りに生活できるものを平静さを失って買い占めたりしてスーパーで国産米が簡単には買えなくなったのである。そんなやわな民族が戦争に持ちこたえられるのか。
 にもかかわらず戦争ともなれば、それは負けである。では「次に」「選択の余地はない」事態に追い込まれるようなことはあり得るのか。何か変わったことはあるのか。

◆「海の向こうから戦争がやってきた」と思ってしまう理由
 日本人が被害者の立場を取りがちなのには理由がある、と、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』で、加藤先生はちゃんと書いている。戦死者の戦死した場所を教えられないこと、政策により満洲に国民を送り込み結果として置き去りにして辛酸を味あわせたこと。
 だがしかし、この本では、戦争への選択をしていったプロセスを追っている。
 問題はこれからである。被害者の立場に立つ限り、戦争は、防げるものではなかろう。一人ひとりの真摯な選択しか、戦争を防げるものではない。戦争を防ぐことでしか、負けないで済む方法はないのである。どのような政策を支持し投票するにせよ。




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