発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

自覚ということ

2014年09月29日 | 日記
 キンモクセイは、金曜日に咲き始めた。こうなると秋は後戻りしない。
 そのうちに九月が終る。あと何回秋が来るのか。

 井上陽水に、「人生が二度あれば」という歌があったな。
 そうは思わない。そう思わないでいられるのは幸いなことなのかなとも思うけど、二度ないものについて、あればと思っても仕方がない。
 人生の選択はいくつかあったけど、しなかった選択の向こう側に何があったかはわかるはずはない。そんなことより今日とあしたのことを考えないといけない。
 いえることは今とりあえず生きているということで、つまりこの年齢まで死なずに済む選択を続けているという点では大成功なのではないかと思う。

 全然関係ないが、やはり陽水に「感謝知らずの女」というのがあったなあ。変な歌だと思う。
 バブル期のはるか前に発表された、バブル期にさえ私には縁がなかった、プレゼント担当のボーイフレンド「ミツグくん」の歌だ(当時、運転担当のボーイフレンドは「アッシー」、お食事担当は「メッシー」と呼ばれていた)。どんなにがんばってプレゼントを贈ってもありがとうと言ってもらえないという歌詞。
 いやいやいや、感謝されていないというより、彼女の好みのタイプじゃないので冷たくされているだけだと思うのだが。
 ちゃんと感謝して、お礼を言ってくれる人はほかにいるだろうけど、そういう人じゃなくて、とても美しい「感謝知らずの女」の方が、おそらくは感謝知らずなところも含めて好きなんだから、そこんとこ自覚して、それでも続けるかあきらめるか決めればいいのにと思う。
 と、(そんな男女が近くにいたとして)周囲の人たちの多くは彼についてそう思っているに違いないが、その周囲の人たちも、自分自身については、似たようなことをしているかも知れない。
 ようするに、自覚がともなうかどうか。
 自分が何をしているか、それは自分のすべきことか、自分を行きたいところに連れて行くものかどうか、について、ちゃんとわかってるかどうかが大事なのだと近頃思うようになった。ぼやーっと無自覚に生きてるうちにも残り時間が減ってくることを、ちゃんと自覚していようと思う。

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