発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

女の子の気持ちのわからない○○には未来はないのよ

2014年05月01日 | 日記
◆その○○に言葉を入れなさい。
 ○○にはあらゆるものが入ると思う。女の子を対象にしないものさえほとんどあてはまる。ましてや女の子をターゲットとしたものはなおさらである。

◆老舗情報誌の破綻
 そんなことを考えていたら入ってきたのは『ガリヤ』破産のニュース。

 福岡の主にお勤めで働く女性を対象にしたフリー情報誌。○○したがり屋さんの『ガリヤ』。女の子の欲望をわずかカタカナ三文字であらわした絶妙なネーミングだと感心したものだった。
 女の子の気持ちや生活からどう離れてしまったのだろうか。
 たぶんバブルの頃に掘り当てた鉱脈が尽きたというとこだろうなと。
 この本は、おもに宴会グルメと美容外科とエステの広告で構成されていた。女の子がギラギラだった時代っぽいよね。あと、エッセイがいくつかと、歴史のページと。でも、有名な歴史研究家の連載ページの向かいになんでまた豊胸手術の写真つき広告があるのだ。豊胸手術は歴女がターゲットというわけでもあるまい。それに、この記事を材料に会社の男性同僚や上司と歴史を語ろうとするとセクハラになってしまうではないか、と、起きてもいないことにハラハラさせられる本だったなあ。印刷媒体のいいところは、情報をその場にリアルにいる人と共有しやすいところだ。そのための仕掛けは必要だろう。同僚男性を追い出してどうする。あまり男性に見せたくないページは、クリップで止めるなりする、なんてことができないのは困る。というところまで考えが及ばなかった、フツーの女の子感覚が薄れてたというのが敗因のひとつかもと思うのだ。

◆ゲージツとわたくし
 と書いたところでよみがえる思い出。私の仕事場が出版社として動き出したころ、とある鉄道系記事を、あるムック本から依頼された。そのムック本には、九州の代表的な写真家やライターがページを飾っていて、つまりその本に載るのは当時ステイタスだった。まあ、もっと昔の『太陽』とか『芸術新潮』に載るみたいな感じ。はりきって取材し、写真も撮り、記事も書いた。 
 そして無事掲載。    
 ところが掲載された数ページの続きには、すぐ、なんと芸術的な数ページのネイキッド男女の写真が。白黒ですが、もろネイキッド。私の覚えている限り、そのムック本にネイキッドが載ったのはそれっきりだったが、それがなんと私のページの次。うわあっ。本が出たら母校に寄贈したかったのに。高校生に、もろネイキッド男女写真をゲージツだからと言っても許してはもらえまい。中学はもっと無理だ。見せるにも相手を選ばなきゃならない。載せてくれてありがとうございます。過分なギャラもありがとうございます。でも……だった。ちなみにその本はいまだに書店で売られている。

◆バブルの頃とは違う鉱脈を探した例としては
 で、情報誌の話に戻るけど、同じような対象で、『ガリヤ』の副編集長だった人が独立してはじめたフリー情報誌は、いまだ健在で、こちらもグルメやエステもあるが、スクールやカルチャーの広告が多い。女の子の「自分探し」、言い換えれば「これからどうしたらいいの私?」的な市場に着目しているように思える。価値観は多様化し、平均的なところに乗っかろうにも、もうそんなものはない。こんなことしてる場合じゃないということだけはわかるが焦る。母親とは時代が違うので手本にはならない。そんな女の子たちに自分を変えましょう、と誘いかける。
 これはいい所に目をつけたと思う。自分探しのロングアンドワインディングロードに一度はまるとなかなか出られない。かなり持続性のあるマーケットたりうる。
 だが、答えはある日、目からウロコが落ちるように授けられるのだ。今ここにいる自分以外には自分はない。それに気がついて目的を果たしていちぬけるのか、気がつかないまま疲れていちぬけて、また戻ってくるのか。それも神のみぞ知ることである。
コメント
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