きらく堂日記

鍼灸師の喜楽堂が日々の出来事、過去の思い出、趣味にまつわる話などを綴った日記帳(=雑記帳)です

京急沿線散歩 称名寺

2013年09月05日 | 三浦半島ぶらり散歩
京浜急行金沢文庫駅で下車し、16号線をチョッと下り、自転車屋さんを過ぎてすぐ左にあるダラダラ坂に引かれた緑色の歩道帯に沿って歩いて、「まだかなあ?!」と少し不安になる頃に左手のわき道に「称名寺入り口」の看板を見つける。

住宅地のわき道を入って行くと色あせた赤門があり、それを潜ると目の前に浄土式庭園が広がり、岸辺にキショウブが咲き乱れた大きな池と、その中央にある太鼓橋と平橋の向こうに金堂が見張らせる。

称名寺は全国各地にあるが、ここは真言律宗別格本山「金沢山称名寺(きんたくさんしょうみょうじ)」で、北条氏の一族である金沢(かねさわ)流北条氏の祖、北条実時が開基した寺で、隣接して金沢文庫(かねさわぶんこ)があったが、現在は神奈川県立金沢文庫となっている。


平成22年5月19日撮影



そう言えば大分前のNHK大河ドラマの「北条時宗」では、北条実時役はピーターがやっていて、しかも髭をつけていて、ありゃりゃあ・・・と思ったのを思い出すが、この庭園内にはその北条時宗の銅像があり、なかなかの美男子である。最近作られたもののようだが。



鎌倉幕府の滅亡とともに金沢流北条氏も滅び、その後寺運も衰退したようだが、江戸時代に入り大幅に復興され、現在見られる建物は江戸時代のものらしい。それにしてもあまり保存状態は良くない。文化財保護にもっとお金を掛けましょうよ、国も県も市も!

また鎌倉幕府滅亡後、称名寺が管理していた金沢文庫所蔵の膨大な書籍は、鎌倉幕府の滅亡、関東へ侵攻してきた長尾景虎(上杉謙信)軍の掠奪、徳川家康や前田綱紀の持ち出しなどで散逸していったらしくて、「金沢文庫」の蔵書印が捺された古写本が現在も日本各地で見られるということである。



池の水面が静かに波立って、あやめの黄色が美しい。境内には水彩画を描いている中年の女性と、高齢者のカップル?が一組と、私だけ。静か・・・・。



境内のはずれには鎌倉幕府15代執権となった貞顕とその子貞将(鎌倉幕府滅亡の時、北条高時らと一緒に自害?)墓所があるが。ここは囲いはあるもののあまり手を加えずそのまま残されているようで、崖下の日陰にあって、樹が覆いかぶさるように生えていて、湿気た冷たい空気がただよっていて、そこに佇んでいるとなにか背中がぞくぞくするほどの霊気を感じて・・・あまり長居をしたくない場所である。早々にその場を離れる。



境内からこの新しい隧道をぬけると「神奈川県立金沢文庫」があります。昔の隧道はこの右手に2本ありますが、通行禁止になっています。
今企画展として「武家の都 鎌倉の茶」という展示をしています、6月27日まで。

称名寺は普通の住宅地の中にある異空間というべき場所で、非常に落ち着ける場所でした。
そうそう、池には亀が沢山いて、カモも人に慣れているようで、癒されます。

おまけで、金沢文庫駅の隣りが金沢八景駅ですが、この「金沢八景」は中国の僧、心越という人が名つけたそうで、洲崎晴嵐(すさきのせいらん)、瀬戸秋月(せとのしゅうげつ)、小泉夜雨(こいずみのやう)、乙艫帰帆(おっとものきはん)、平潟落雁(ひらかたのらくがん)、野島夕照(のじまのせきしょう)、内川暮雪(うちかわのぼせつ)、称名晩鐘(しょうみょうのばんしょう)ということで、称名寺の鐘つき堂を一枚、パチリ。

ここはその昔、六浦荘金沢郷(むつらのしょうかねさわごう)と言われたところで、小泉夜雨の小泉郷は元総理の小泉さんの地元だったと記憶しているが定かではない。



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