「して見せて、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば、人は動かず」と言ったのは連合艦隊司令長官山本五十六ですが、部下の動かし方の基本として昔の管理職研修などでは必ず教わる言葉でした(今は分かりませんが)。
この山本五十六は長岡出身で山本勘助の家系に繋がる人だと言われた時代もあったそうですが、真偽のほどは????。
さて山本勘助といえば武田信玄。武田信玄といえば「風林火山」。風林火山といえば「武田信玄」というほど有名な風林火山の軍旗(というより本陣を示す旗だから陣旗というのかも知れませんが)は何も武田信玄の専売特許ではないのですね。それより200年前の南北朝時代に足利尊氏軍と戦い、何度も打ち破った名将「北畠顕家(きたばたけあきいえ)」が使用し、武田信玄はこれにあやかったとも言われています。
北畠顕家は学識も深く、孫子に傾倒していたのでしょうね。絶世の美男で21歳で討ち死にしましたが、1991年のNHKの大河ドラマ「太平記」では当時 美少女として人気があった後藤久美子(当時17歳)が演じ、時代劇大好きおじさん達はびっくりしましたね。
「其疾如風 其徐如林 侵掠如火 難知如陰 不動如山 動如雷テイ」(其の疾きこと風の如く、其のしずかなること林の如く、侵掠すること火の如く、知りがたきこと陰の如く、動かざること山の如く、動くこと雷てい(かみなり)のごとし)は孫子の軍争編の句で、軍隊の進退について書かれたものですが、「風林火山」はここから引用したものですね。
孫子の兵法は宮本武蔵の「五輪の書」とともにビジネスマン必読の本だった時がありましたが、モーレツサラリーマンを生きた団塊世代のリタイアにともなって、今はむしろ「上善は水の如し」(理想は大河の流れのように生きること)の「老子」のタオ思想が人気かな・・・。
「上善如水」という銘酒がありますが、其の名は老子から引用したものですね。
ところで北畠顕家の子の北畠顕成は後に村上師清と名のり、村上水軍の祖となったとされています。
武田信玄の死については様々な説があるようです。
織田信長にヒ素で毒殺された説、1573年の三河侵攻時の野田城攻城戦の時に城内から狙撃されたとする説(黒澤明の「影武者」ではこのシーンがあった)などですが、信玄は上洛を開始するかなり前から病気だったようで、持病の労咳(肺結核)、あるいは胃がんなどによる病死説が有力とされています。記録によれば、病で倒れた時に「四華の灸」をして持ち直したということがあるようで、そうだとすれば肺結核とか、肺がんとか、肺炎とかが死因なのではないかと思われます。
鍼灸治療では「奇穴」という施術点が使われる場合があります。ある疾患に対して著効があるとして歴史的に受け継がれてきた施術点のことですが、この中に呼吸器疾患や心臓疾患に効くとされる「張介賓の四華の穴(ちょうかいひんのしかのけつ)」があり、信玄はこのツボに灸治療を行ったのだと思われます。背部でだいたい胃の後ろ辺りでしょうか、実際には細紐をつかって、身体のある寸法を測って、それを基準に場所は割り出されるのですが、背骨を中心にひし形の角の4箇所が施術点となります。ここに灸をすえるのです。
ところで奇穴は二百数十穴あるとされますが、急性腰痛の「腰腿点」(ようたいてん;手の甲にあります)、寝違いに「落枕」(らくちん;手の甲にあります)、頭痛・めまいに「四神聡」(ししんそう;頭にあります)、中風・言語障害に「中風七穴」(ちゅうふうななけつ;全身に分布)、子供の疳の虫に「小児斜差の灸穴」(しょうにすじかいのきゅうけつ;背中にあります)、などが有名で、いまでも良く使われているのです。
<関東戸山流居合道会>
<鍼灸マッサージサロン・セラピット>
この山本五十六は長岡出身で山本勘助の家系に繋がる人だと言われた時代もあったそうですが、真偽のほどは????。
さて山本勘助といえば武田信玄。武田信玄といえば「風林火山」。風林火山といえば「武田信玄」というほど有名な風林火山の軍旗(というより本陣を示す旗だから陣旗というのかも知れませんが)は何も武田信玄の専売特許ではないのですね。それより200年前の南北朝時代に足利尊氏軍と戦い、何度も打ち破った名将「北畠顕家(きたばたけあきいえ)」が使用し、武田信玄はこれにあやかったとも言われています。
北畠顕家は学識も深く、孫子に傾倒していたのでしょうね。絶世の美男で21歳で討ち死にしましたが、1991年のNHKの大河ドラマ「太平記」では当時 美少女として人気があった後藤久美子(当時17歳)が演じ、時代劇大好きおじさん達はびっくりしましたね。
「其疾如風 其徐如林 侵掠如火 難知如陰 不動如山 動如雷テイ」(其の疾きこと風の如く、其のしずかなること林の如く、侵掠すること火の如く、知りがたきこと陰の如く、動かざること山の如く、動くこと雷てい(かみなり)のごとし)は孫子の軍争編の句で、軍隊の進退について書かれたものですが、「風林火山」はここから引用したものですね。
孫子の兵法は宮本武蔵の「五輪の書」とともにビジネスマン必読の本だった時がありましたが、モーレツサラリーマンを生きた団塊世代のリタイアにともなって、今はむしろ「上善は水の如し」(理想は大河の流れのように生きること)の「老子」のタオ思想が人気かな・・・。
「上善如水」という銘酒がありますが、其の名は老子から引用したものですね。
ところで北畠顕家の子の北畠顕成は後に村上師清と名のり、村上水軍の祖となったとされています。
武田信玄の死については様々な説があるようです。
織田信長にヒ素で毒殺された説、1573年の三河侵攻時の野田城攻城戦の時に城内から狙撃されたとする説(黒澤明の「影武者」ではこのシーンがあった)などですが、信玄は上洛を開始するかなり前から病気だったようで、持病の労咳(肺結核)、あるいは胃がんなどによる病死説が有力とされています。記録によれば、病で倒れた時に「四華の灸」をして持ち直したということがあるようで、そうだとすれば肺結核とか、肺がんとか、肺炎とかが死因なのではないかと思われます。
鍼灸治療では「奇穴」という施術点が使われる場合があります。ある疾患に対して著効があるとして歴史的に受け継がれてきた施術点のことですが、この中に呼吸器疾患や心臓疾患に効くとされる「張介賓の四華の穴(ちょうかいひんのしかのけつ)」があり、信玄はこのツボに灸治療を行ったのだと思われます。背部でだいたい胃の後ろ辺りでしょうか、実際には細紐をつかって、身体のある寸法を測って、それを基準に場所は割り出されるのですが、背骨を中心にひし形の角の4箇所が施術点となります。ここに灸をすえるのです。
ところで奇穴は二百数十穴あるとされますが、急性腰痛の「腰腿点」(ようたいてん;手の甲にあります)、寝違いに「落枕」(らくちん;手の甲にあります)、頭痛・めまいに「四神聡」(ししんそう;頭にあります)、中風・言語障害に「中風七穴」(ちゅうふうななけつ;全身に分布)、子供の疳の虫に「小児斜差の灸穴」(しょうにすじかいのきゅうけつ;背中にあります)、などが有名で、いまでも良く使われているのです。
<関東戸山流居合道会>
<鍼灸マッサージサロン・セラピット>
その御子孫は、新潟県内に御健存です。
山本五十六は旧姓・高野で、山本家を継ぐ為に養子に行ったのです。
山本家の墓石所には、山本勘助のお墓もありますよ。
武田家滅亡後、何割かの武田家家臣が越後に来て上杉家に仕えました。勘助氏のお墓は改めて建て直したのではないでしょうか。
ちなみに、山本勘助の存在がよりはっきりと分かったのは、武田家から上杉家の家臣になった人の御子孫の持っていた書状が公開されたからです。
豆知識でした。