秋田県横手市増田町 千葉建築のブログ

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天覧試合

2016-06-25 06:20:48 | スポーツ
6月25日(旧暦5月21日 干支=戊寅 九星=四緑 六曜=先勝)


おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。

昨日のイギリスのEU離脱は、衝撃的なニュースでした。

これについては後日、記事にまとめたいと思います。


プロ野球もセパ交流戦が終わり、再び両リーグの戦いが昨日から始まりました。

交流戦では、やはりパリーグの強さが際立ち、6位までにパリーグ5球団が入り、中でもホークスが好調を維持して勝率1位で終わりました。

セリーグでは、唯一カープが3位に入り、リーグ首位としてこれからの戦いが注目されます。


そうした盛り上がるニュースの中で、私の応援するチームは交流戦最下位、リーグ最下位を独走し、胃の痛みは増しています。

そういう時だからこそ、応援を送って、一つでも勝利を喜べるようにしたいと思います。


さて、プロ野球は数々のスターを生んできました。

王貞治のホームラン868本、金田正一の400勝など、超えるのがほぼ不可能な記録を持つ選手らもそうですが、あるいは北海道日本ハムファイターズの人気に火をつけた新庄剛志や、日本一阪神タイガースの助っ人ランディ・バースなど、記憶に深く残る選手らもそれに数えられるものといえます。

その中で、プロ野球のスターといえば、やはり長嶋茂雄の名前が多く上がるでしょう。


私はジャイアンツでの現役時代はもちろん、引退後すぐに監督となった第一次長嶋監督時代は知らず、1993年から2001年までの第二次長嶋監督時代はリアルタイムで見ていた世代ですので、東京六大学のスター時代やV9時代といってもピンと来ないところがあります。

しかし、当時はまだ野球といえば大学野球から、プロ野球に多くのファンを呼び込んだという功績を聞くと、やはり偉大であったかと思います。

日本シリーズV9は、ジャイアンツが1965年から1973年まで成し遂げた、今では想像を絶する記録ですが、この時代の4番打者として、3番の王との「ON砲」は強烈なインパクトとともに、日本の高度経済成長期時代の象徴とみなされる選手であったと思います。


チャンスに強い打撃だけでなく、守備や走塁で観客を喜ばせたり、三振ですら絵になるというプレースタイルは、ジャイアンツファンにとっては自慢のスターであり、アンチ巨人でも「読売は嫌いだが長嶋は別」という人すらいるほどです。

常に注目され続ける対象であり、長嶋もパフォーマンスや結果でそれに答え、伝説といわれる数多くのエピソードも生まれました。

長嶋が「ミスタープロ野球」と呼ばれるのも、今日あった試合の影響が大きいかと思います。


長嶋が立教大学からプロ入りして2年目の1959年6月25日、東京・後楽園球場では大阪タイガースとのナイトゲームが開催されました。

この試合は、開始前から異常な緊張感があったとされます。

なぜなら、プロ野球史上初めて、天皇・皇后両陛下が試合を直にご観覧になる「天覧試合」であったからです。


先発は、タイガースが「精密機械」小山正明、ジャイアンツは後に監督になる藤田元司とのエース対決で、試合は両チームが点を取り合う展開となりました。

7回にジャイアンツが王のホームランで4対4に追いつくと、タイガースはリリーフに新人の村山実を送ります。


同点のまま9回に入った時点で、時計は21時を指していました。

両陛下が試合をご覧になる時間は、21時15分まで。

延長に入ると、両陛下は帰られます。


9回裏、先頭打者は長嶋。

村山の全力投球は、カウント2-2まで長嶋を追い込みました。

村山の次の投球は、内角高めの直球。

その渾身のボールを、長嶋は打ち返します。


打球は高く上がり、そのままレフトスタンドのポール際へ。

長嶋はバッターボックスから少しだけ一塁方向へ進み、打球の行方を見ながら少し立ち止まり、やがて大歓声とともに再びダイヤモンドを駆け回りました。

対する村山は膝に手をあてて、がっくりしたように頭を下げました。


天皇陛下は、打者とスタンドの両方を繰り返し見ながら、試合が劇的な形で終わったことを知りました。

このとき、時計の針は21時12分。

天覧試合の幕引きは、長嶋のサヨナラホームランで飾られました。


試合後、村山は「あれはファウルだ」といい、生涯にわたってその主張を曲げませんでした。

一方の長嶋は、生涯にわたって印象的な試合に、この天覧試合を挙げたといいます。

両者はこの時より、ライバルとして数々の名勝負を繰り広げることとなりました。


余談ですが、この試合から30年後の1989年6月25日、甲子園球場でのジャイアンツ戦において、岡田彰布がビル・ガリクソンからレフトポール際へ逆転満塁本塁打を放ち、村山監督の30年越しのリベンジを果たしたという話もあります。

このときのジャイアンツの監督は藤田監督。

いろいろな因縁と共通項から、村山監督が解放された気がしたのかもしれません。


当時のプロ野球は、職業野球とよばれ、大学野球と比べて地位も人気も低かったといわれます。

しかし、天覧試合以降は、プロ野球の人気があがっていき、戦後の復興から高度経済成長という時代とともに、人々の熱狂を呼び込むものとなったといわれます。

この時代の野球をリアルタイムで見た世代の話を聞くと、うらやましい気持ちにもなります。


長嶋を直に見た世代は、あこがれの存在として彼を挙げ、それを追いかけてプロとして活躍する姿を見て、またあこがれる次の世代が出てくる。

長嶋ですら、彼のあこがれは初代ミスタータイガースの藤村富美男ですし、巨人・ヤンキースで活躍した松井秀喜は掛布雅之、バースにあこがれたといいます。


現在のプロ野球では、そのままMLBに行くことも珍しくなくなりましたし、なかなかスター選手がずっと日本にいることも少なくなったように思います。

ただ、今でも大谷翔平選手や山田哲人選手のような、見ていてワクワクする選手は数多くいます。

来週はこまちスタジアムで、ヤクルト対巨人戦もあります。

当然、チケットは手に入れていますので、楽しんできたいと思います。

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