6月19日(旧暦5月15日 干支=壬申 九星=一白 六曜=先勝)
おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。
今朝は久し振りに晴れになっています。
気温もかなり上昇するので、水分補給はしっかりしましょう。
昨日の続きの前に、今日は記念日の話題にしたいと思います。
今日は、「ベースボール記念日」となっています。
1846年に、アメリカ・ニューヨークのニッカボッカ・ベースボールクラブが、現行のルールで試合を行った日となっています。
それまでのベースボール(以下野球)は、ルールが適当でした。
それを「攻守9人対9人」「4つのベース」「三振で1アウト」「3アウトで攻守交替」「ファウルの判定」のルールで行うことを決めると、意外に面白いことが分かりました。
異なる点は、21点先取したチームが勝利というところです。
これを機に、ニッカボッカ・ベースボールクラブが結成され、ニューヨーク・ナインというチームとの初めての試合が、ニュージャージ州ホーボーケンのエリシアン球場で行われました。
ちなみに、スコアは23対1で、ニッカボッカ側のボロ負けでした。
このニッカボッカ・ベースボールクラブの創設者は、アレクサンダー・カートライトといいます。
彼はニューヨーク・マンハッタンのボランティア消防団員であり、団員の結束と運動不足解消のためのレクリエーションで、このルールを用いました。
その結果は、170年にもわたるベースボールの歴史を作ることに貢献し、さらに後に海を越えて日本に野球文化を伝え、ひいきチームの勝敗に一喜一憂するという、いつもの光景をつくりました。
カートライトは1938年にアメリカ野球殿堂入りし、「現代野球の父」と称されるようになりました。
なぜ、こんな歴史を話したかというと、迎賓館から向かった次の目的地に深いかかわりがあるからです。
赤坂御用地にそって左手、東宮御所を過ぎると、道を挟んで神宮外苑に至ります。
東宮御所周辺
時間は17時を過ぎました。
だんだんと日が傾くこの時間、目的地の強い照明がだんだんと見えてきます。
目的地は、明治神宮野球場(神宮球場)でした。
神宮球場は、セリーグの東京ヤクルトスワローズの本拠地で、この日6月15日の18時からは、パリーグの福岡ソフトバンクホークスとの交流戦第2戦が行われる予定でした。
私にとっては、学生時代のアルバイトの場であり、非常に思い出深い地であったため、迎賓館で感じた興奮とはまた別の思いで、ここを訪れることとなりました。
神宮球場正面
ちょうど外野のセンター・バックスクリーン裏へと至り、チケット売り場へ行くと、当日券はまだ買えました。
神宮球場センター側
外野で野球を楽しむことは久しぶりでしたので、自由席を購入し、ライト側バックスクリーン横の通路の座席につきました。
試合開始前の上、まだ勤務時間の会社も多いため、あちこちに空席は見えますが、外野指定席券は両翼とも完売していましたので、やがて客席は埋まると思いました。
ライトスタンド
外野は応援席と考えられる場合が多いですが、やはり両翼ともそれぞれのファンが多くいて、ユニフォームを着用したりメガホンなどのグッズで応援歌を歌い、試合前から盛り上がっていました。
始球式が終わると、いよいよ試合開始です。
S古野対SB今宮
SB和田対S雄平
SB松田
若き4番、S山田。この試合、バックスクリーンにホームランを打ちました。
試合の詳細は乗せませんが、結果的に4時間を大きく超える熱のこもったゲームとなり、6対4でホークス側が勝利しました。
試合開始前
だんだんと日は落ち
ナイター時間には、客席も埋まる
私は特にスワローズファンではないですが、外野にいると周りが知らない方であっても、一緒に拍手や声援を送りながら、プレーを楽しむことができます。
スワローズの得点時のスタンド
夏時期のナイターはお酒もおいしく、これもまた観戦の醍醐味だと思いました。
試合が終わると、一気に帰宅客で沿道は混雑します。
試合後の正面側
アルバイト時には、こうした混雑の整理や案内、球場客席の掃除などの仕事があり、帰りはいつも終電近くか、あるいはそれを超える場合もありました。
今、アルバイトを行っている若い人たちを見ると、やっていることは変わらないなあと、少しほっとした気分と、大変だなあという同情心を感じました。
私がアルバイトをしていた15年前と比べると、球場のところどころはきれいになり、バックスクリーンなども変わっていました。
そうした中、2020年の東京五輪の後に、神宮球場と秩父宮ラグビー場が入れ替わる形で建て替えられるそうです。
東京六大学野球をはじめ、東都大学リーグや高校野球など、アマチュア野球の聖地でもある球場は、長い歴史とともにやはり老朽化しているため、建て替えは致し方ないことかと思います。
スタジアムは安全性や収容力が求められることはもちろんですし、遺構として保存するには東京に土地の余裕がない現実もあります。
しかし、個人的な思い入れも含めて、神宮球場が取り壊されることにはやはり非常に寂しさを感じます。
すでに国立競技場のあったところは大きな空き地となっており、工事用の仮囲いフェンスに覆われ、工事が進んでいるようです。
今回の野球観戦は、もしかすると今の神宮で最後の観戦となるかもしれません。
新しくできる神宮球場も、おそらく多くのドラマの舞台になるでしょう。
古くからあるものと、新しくできるもの。
建物は必ず劣化し、時に災害や戦乱で破壊されて失われることもあります。
一方で奇跡的に残ったり、あるいは改修を繰り返して保存されるものもあります。
新しくできるもので生まれる新たな都市の景観と、古いものを残して保たれる都市の景観。
そこに優劣はなく、都市はそこに住み働く人々によって生み出されるものだと思います。
翌日、それをより考えさせられる東京の街を訪れました。
その話題も、次回としたいと思います。
おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。
今朝は久し振りに晴れになっています。
気温もかなり上昇するので、水分補給はしっかりしましょう。
昨日の続きの前に、今日は記念日の話題にしたいと思います。
今日は、「ベースボール記念日」となっています。
1846年に、アメリカ・ニューヨークのニッカボッカ・ベースボールクラブが、現行のルールで試合を行った日となっています。
それまでのベースボール(以下野球)は、ルールが適当でした。
それを「攻守9人対9人」「4つのベース」「三振で1アウト」「3アウトで攻守交替」「ファウルの判定」のルールで行うことを決めると、意外に面白いことが分かりました。
異なる点は、21点先取したチームが勝利というところです。
これを機に、ニッカボッカ・ベースボールクラブが結成され、ニューヨーク・ナインというチームとの初めての試合が、ニュージャージ州ホーボーケンのエリシアン球場で行われました。
ちなみに、スコアは23対1で、ニッカボッカ側のボロ負けでした。
このニッカボッカ・ベースボールクラブの創設者は、アレクサンダー・カートライトといいます。
彼はニューヨーク・マンハッタンのボランティア消防団員であり、団員の結束と運動不足解消のためのレクリエーションで、このルールを用いました。
その結果は、170年にもわたるベースボールの歴史を作ることに貢献し、さらに後に海を越えて日本に野球文化を伝え、ひいきチームの勝敗に一喜一憂するという、いつもの光景をつくりました。
カートライトは1938年にアメリカ野球殿堂入りし、「現代野球の父」と称されるようになりました。
なぜ、こんな歴史を話したかというと、迎賓館から向かった次の目的地に深いかかわりがあるからです。
赤坂御用地にそって左手、東宮御所を過ぎると、道を挟んで神宮外苑に至ります。
東宮御所周辺
時間は17時を過ぎました。
だんだんと日が傾くこの時間、目的地の強い照明がだんだんと見えてきます。
目的地は、明治神宮野球場(神宮球場)でした。
神宮球場は、セリーグの東京ヤクルトスワローズの本拠地で、この日6月15日の18時からは、パリーグの福岡ソフトバンクホークスとの交流戦第2戦が行われる予定でした。
私にとっては、学生時代のアルバイトの場であり、非常に思い出深い地であったため、迎賓館で感じた興奮とはまた別の思いで、ここを訪れることとなりました。
神宮球場正面
ちょうど外野のセンター・バックスクリーン裏へと至り、チケット売り場へ行くと、当日券はまだ買えました。
神宮球場センター側
外野で野球を楽しむことは久しぶりでしたので、自由席を購入し、ライト側バックスクリーン横の通路の座席につきました。
試合開始前の上、まだ勤務時間の会社も多いため、あちこちに空席は見えますが、外野指定席券は両翼とも完売していましたので、やがて客席は埋まると思いました。
ライトスタンド
外野は応援席と考えられる場合が多いですが、やはり両翼ともそれぞれのファンが多くいて、ユニフォームを着用したりメガホンなどのグッズで応援歌を歌い、試合前から盛り上がっていました。
始球式が終わると、いよいよ試合開始です。
S古野対SB今宮
SB和田対S雄平
SB松田
若き4番、S山田。この試合、バックスクリーンにホームランを打ちました。
試合の詳細は乗せませんが、結果的に4時間を大きく超える熱のこもったゲームとなり、6対4でホークス側が勝利しました。
試合開始前
だんだんと日は落ち
ナイター時間には、客席も埋まる
私は特にスワローズファンではないですが、外野にいると周りが知らない方であっても、一緒に拍手や声援を送りながら、プレーを楽しむことができます。
スワローズの得点時のスタンド
夏時期のナイターはお酒もおいしく、これもまた観戦の醍醐味だと思いました。
試合が終わると、一気に帰宅客で沿道は混雑します。
試合後の正面側
アルバイト時には、こうした混雑の整理や案内、球場客席の掃除などの仕事があり、帰りはいつも終電近くか、あるいはそれを超える場合もありました。
今、アルバイトを行っている若い人たちを見ると、やっていることは変わらないなあと、少しほっとした気分と、大変だなあという同情心を感じました。
私がアルバイトをしていた15年前と比べると、球場のところどころはきれいになり、バックスクリーンなども変わっていました。
そうした中、2020年の東京五輪の後に、神宮球場と秩父宮ラグビー場が入れ替わる形で建て替えられるそうです。
東京六大学野球をはじめ、東都大学リーグや高校野球など、アマチュア野球の聖地でもある球場は、長い歴史とともにやはり老朽化しているため、建て替えは致し方ないことかと思います。
スタジアムは安全性や収容力が求められることはもちろんですし、遺構として保存するには東京に土地の余裕がない現実もあります。
しかし、個人的な思い入れも含めて、神宮球場が取り壊されることにはやはり非常に寂しさを感じます。
すでに国立競技場のあったところは大きな空き地となっており、工事用の仮囲いフェンスに覆われ、工事が進んでいるようです。
今回の野球観戦は、もしかすると今の神宮で最後の観戦となるかもしれません。
新しくできる神宮球場も、おそらく多くのドラマの舞台になるでしょう。
古くからあるものと、新しくできるもの。
建物は必ず劣化し、時に災害や戦乱で破壊されて失われることもあります。
一方で奇跡的に残ったり、あるいは改修を繰り返して保存されるものもあります。
新しくできるもので生まれる新たな都市の景観と、古いものを残して保たれる都市の景観。
そこに優劣はなく、都市はそこに住み働く人々によって生み出されるものだと思います。
翌日、それをより考えさせられる東京の街を訪れました。
その話題も、次回としたいと思います。
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有限会社 千葉建築
〒019-0701 秋田県横手市増田町増田字伊勢堂南6-4
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携帯 080-1837-5342
mail kchiba@poem.ocn.ne.jp
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理歩誕生日おめでとう(^^)