みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

日露首脳会談と米朝会談

2018年05月26日 | 俳句日記


どうやらトランプ書簡に北は慌てた。
崔外務次官は更迭されるだろう。
書簡の次にはツイッターで返答する何処
にトランプ流のしたたかさを見る。

米国の意思は書簡にある。
ツイッターは単なる雑談だ。
北の正式な事前交渉の出方次第では、突
発的な事態に至るかもしれない。

そこでロシアの意思が問われる。
安倍首相の力量が試されているのだ。
首脳会談の結果が気になる。
プーチンは日本の経済援助が欲しい。



うまくすれば、トランプの了解の下で日
露とも六カ国協議に大手を振って参加が
出来るだろう。
近平さんは不承不承だろうけれど。



面白いもので、明日は海軍記念日。
露のバルチック艦隊に勝利した日だ。
日本の霊波動が最高潮だった日の前の日
に記者会見が行われる。



翌、5月27日は、1703年ピョートル大帝が聖ペテロに因みサンクトペテルブルク
と名けた日(市の誕生日)。
幸いに会場はモスクワである。

大体世界の大転換は五・六月に生じる。
天地にエネルギーが横溢しているから。

〈結構と 鳴けよ郭公 北の地で〉放浪子
季語・郭公(夏)

5月26日〔土〕雨のち晴れ
旅立ちの日が決まった。
6月3〜5日のたった3日間だが。仕事で
台湾に行くことになる。
体調管理を心掛けなければならない。
明日からは準備に忙しい。
声が掛かる間が花だ。


「ハルノート」と「トランプ書簡」

2018年05月25日 | 俳句日記


米朝首脳会談が中止された。
どうやら、北の外交筋が強硬な談話をニ
度も発表したり(バロン・レッセ=観測気球、外交的瀬踏み行為)。

6月12日へ向けての実務協議を度々スポイルした事などから〈非核化の意思なし〉
と判断したとみられる。
相手がそうなら原則に立ち返るだけだ。

そう、CVIDの原則を押し通すのみ。
米国はその姿勢を押し通す事で国際的な
評価を得るはずだ。
何故ならば核不拡散防止の大義がある。

これには、露中も内心賛成なのである。
考えてもみるがいい。
核保有数の1〜3位の国が、北とイランの
核保有を容認すれば、他国も右へ倣う事
で地球が破滅することを知っている。

どうやらトランプさんも、文の仲人口に
乗せられていた事から正気づいた。
後は近平さんが非情にも正恩の梯子を外
せば事は終わる。

北の外交筋の談話にしても、実務協議の
不調にしても、果たして正恩の指示なの
だろうか?
私は、体制内部の崩壊の兆しと見る。

不拡散の大義に立ち返れば、体制の保証
など米中露とも拘る必要はない。
ならば、金一族の生活保証だけで良い。
だから、近平氏の梯子外しがキーだ。

ただ、何処にでも教条主義者はいるもの
で、現実主義者との内乱に発展する可能
性は多いにある。その時は、ミサイルの
ボタンを確保しなければならない。

ポンペオ氏の訪朝はその為のものだ。
これが可能であれば、後の軍幹部と一部
の兵員は義和団より脆いはずだから、国
連軍の介入であっと思う間に終わる。

左すれば、国連監視の下で彼らの望み通
り、南北統一をさせればいい。
この水脈にあるプログラムがあるとする
ならば、書簡は「ハルノート」である。



コーデル・ハル、見るからに冷徹な顔。
トランプ氏とはまるで違う。
が、米国の国家意思は彼のようなスタッ
フが担う、侮れない。

トランプ書簡の末尾は、教条主義派の粛
生を示唆し、必要とあらば協力するよ!
と言っているようにも読める。
かくも厳しく非情な物が外交なのだ。

昭和14年(1939年)、わずか8ヶ月間で、
大命に背き「欧州情勢は複雑怪奇なり」
と投げ出した宰相がいた。
今日本を取り戻そうとする宰相がいる。

〈くにたみと 天命に在り 青田風〉放浪子
季語・青田風(夏)

5月25日〔金〕晴れ
この稿を書いて、成る程と思い至った。
半島、中東情勢に大きな変化がある時に
限ってモリカケが浮上する。
もはや一年もこんな事が続けば、明確に
国民の目を逸らす所業としか思えない。

朝・毎・東京の新聞とNHKのマスコミ、
そして一部野党は、最早世界の情報機関
から正確な情報を取る事も出来ず、第三
国からの指示が無ければ、外交論争を世
に問うことが出来なくなっていたのかも
知れない。

蕎麦談義は紙面を埋める為の、質問をす
る為だけの苦肉の話題だったのか⁈
国民の情報リテラシーと信頼のおける情
報原の模索が試されている。

平成最後の楠公武者行列

2018年05月24日 | 俳句日記


今日が、神戸の風物詩である湊川神社の
楠公祭(楠木正成と一族を弔う祭)の初日
であることから、歳時記他を調べ始める
と大変な事が分かりました。

この祭りは三日間執り行われますが、戦
前は毎年行われていた武者行列が、戦後
GHQの弾圧で中止となり、その後復活は
遂げたものの縮小されていました。

それが平成14年の御鎮座130年祭を契機
として、戦前の姿を取り戻します。
ですが予算規模から五年置きになって、
そして今年が其の年に当たるのです。



上の画像をネットで調べて下さい。
武者行列のコースと予定時間も出て来ます、今年は大変な規模になるはずです。
私も一生一度の見物をしたいものです。

さて大楠公についてですが、私がよく書
く「士魂」の原点は。楠木正成にあると
思っています。
その生き様からそう思うのです。

山本常朝の「葉隠」や、新渡戸稲造先生
の「武士道」にある「魂」は管理された
武家社会の「武士道」であり、日本人の
心底にある「士魂」では無い。

新渡戸先生は、南部藩の二代に亘る勘定
奉行の家柄にお生まれになってます。
維新がなければ南部藩の大蔵大臣です。
藩主に次ぐ階層の教育を受けていた。

ですので、著書「武士道」の第1章から
武士道を、西洋の騎士道になぞらえて、
「ノブレス・オブリージュ」つまり「高
貴なる者の責務」の表象とします。

ここで私は、防人の和歌「海ゆかば…」
を思い出してしまいます。
大楠公も、後醍醐天皇の呼び掛けに応じ
河内の一族、土豪として駆けつけます。

何故ならば河内は畿内の一部ですから。
「普段からお世話になっている天子様の
思し召しだ。行かざぁなるまい」てな具
合いだったのでは無いでしょうか?

そして、激戦を最後まで「義」を貫き戦
った末、湊川で討ち死にする。
俗に言えば、損得勘定無しに「義理と人
情」の為に命を捨てたのです。

それが万葉の昔から大和民族に伝わって
きた「士魂」だと思えるのです。
「赤穂浪士」にも連なるこの「士魂」が
我々庶民にも受けて神社となりました。



そう言えば、先頃亡くなった河内出身の
先輩も、実に義理人情に厚い方でした。

〈七生を 捧げし楠の 祭り哉〉放浪子
季語・楠公祭(夏)

5月24日〔木〕晴れ
もう一人、子供の頃、湊川神社の境内を
遊び回っていた友がいる。
半島に近い福岡市に住んでいる私を、常
に気遣ってくれる。
彼も義理堅い。





夏の雨

2018年05月23日 | 俳句日記


こないだから、三晴二雨の調子で天候が
変わる。
大陸の気団が、千切れ雲のように次々と
流れ来て、まぁ、有難い雨を降らす。



傘を差す子雀たちの姿は何とも健気で、
連れ立ち登校する風情がまた良い。
緑の叔父さん、叔母さん達守り人の心根
も情に沁みて、雨の景色を丸くする。



あらら⁈ 誰を待つのか、高学年の女子が
傘も差さずに辻角に立っていた。
ずぶ濡れで柳の根元に泣いている訳では
ないが、気にはなる。

童謡の「雨ふり」では、お母さんが蛇の
目傘で迎えに来てくれた男の子が、自分
の傘を差し出し、窮地の児童を救う段取
りとなる。

北原白秋、中山晋平のゴールデンコンビ
が大正14年に作ったこの歌は、子供の情
操教育の模範として歌われていた。
戦後は、日教組が歌詞が古いと捨てた。

其のせいかあらぬか、団塊以降の大人は
卑しさが目立つ。
しかし、スポーツの世界には、まだ士魂
が残っていると思っていた。

だが今回の日大アメフト事件は、高級官
僚と同様、指導的立場の者ほど士魂が欠
除していることに気付かされた。
もう肩書きに惑わされる時代では無い。

角に立っていた女の子を、やや暫く見て
いたがお目当の仲間達が現れた。
小躍りしながらキャアキャアと声を掛け
合い、校門への坂を登って行った。

雨は昼過ぎまで降り続いた。
そのうち学校から、祭り太鼓の稽古の音
が聞こえ始めた。
伝統文化に学ぶことは尊いことだ。

〈夏の雨 祭り太鼓に 揺れて降り〉放浪子
季語・祭り太鼓(夏)

5月23日〔水〕雨 のち 曇り
九州7県に沖縄、山口の2県を加えた
九州知事会は、災害時の自衛隊派遣
活動の円滑化を目的として、陸上自
衛隊西部方面隊と協定を交わした。

全国に7つある地域毎の知事会で初め
ての事と言う。
これ迄の県境を跨いでの自衛隊の移
動には各県知事の許可が必要だった
がこれで事務方の処理が早くなる。

有事を想定した場合の運用にも資す
る体制作りだと歓迎したい。
まだまだ自治体間のこの種の協定が
推進されることを望む。


橘月と半島情勢

2018年05月22日 | 俳句日記


今日も皐月の空が美しい。
気温は梅雨明けを思わせる程高くなる。
洗濯物が良く乾くであろう陽気だ。
五月も余すところ、あと十日となった。

俳句では、五月を「皐月」「早苗月」、
もう一つ「橘月」を季語として使う。
ミカン科の開花時期から、「橘の花」に
季節を託して詠むことが多い。



なんとなれば、橘は古事記にも登場する
日本の原産種の柑橘類であるからだ。
従って、京都御所紫宸殿の前には、左近
の桜と共に右近の橘が植えられている。



以前バラ科の繁殖力について書いた。
このミカン科にも棘のある物が多い。
自己防衛の能力を有していたから、草食
動物の餌食とならずに同属が増えた。

閑話休題、蕉翁の句に、

《駿河路や 花橘も 茶の匂ひ》芭蕉

がある。

茶は、空海が支那から伝えたものだが、
既に江戸中期には駿河茶は名物だった。
江戸後期になるとこれに次郎長が加わる
のである、浪曲の世界ではあるが。

橘と茶、奇しくも双方とも薬草である。
神代の時代、第11代の垂仁天皇が国民の
健康を願い常世の国からもたらされた。
つまり、桜は陽、橘は陰の表象なのだ。

そう言う意味で、昭和12年、我が郷土の
廣田弘毅総理が、文化勲章の創設を発案
した際、昭和天皇は「橘はどうか」と陰
の象徴する普遍性を踏まえ提案された。

故に文化勲章は橘花となったのである。


陰と陽のバランスを欠くと、人も国も、
長続きしない。
まして即物的思考は左脳が麻痺してIYIに
陥り、過ちを犯すのである。

〈橘の 花に文化の 救い哉〉放浪子
季語・橘の花(夏)

5月22日〔火〕晴れ
歴史の大転換点まで20日余りとなった。
虚々実々の駆け引きが展開されている。
どうやら蚊帳の中とか外とかばかり論う
IYI集団のマスコミは、外交の何たるかを
ご存知ないらしい。

考えてもみなされ、試合の最中に手の内
を漏らす選手が何処に居ると言うのか?
だから虚々実々なのであって、今日入手
した情報でも、明日は反故かもしれない
のである。

我々一般国民は、その時点毎の事実だけ
知らされれば、後は独自に判断する。
為にする解説も評論もいりはしない。
事実を掴みきれないのならば推して知る
べし、マスメディアを語る資格は無い。

世紀の情報戦が、独裁者達によって展開
されているのである。
傍らでは、君ら以上に優れた頭脳が、夜
も日も明けず闘っている。
色仕掛けでしか情報を取れない連中に、
何が解ると言うのか?