みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

平成最後の楠公武者行列

2018年05月24日 | 俳句日記


今日が、神戸の風物詩である湊川神社の
楠公祭(楠木正成と一族を弔う祭)の初日
であることから、歳時記他を調べ始める
と大変な事が分かりました。

この祭りは三日間執り行われますが、戦
前は毎年行われていた武者行列が、戦後
GHQの弾圧で中止となり、その後復活は
遂げたものの縮小されていました。

それが平成14年の御鎮座130年祭を契機
として、戦前の姿を取り戻します。
ですが予算規模から五年置きになって、
そして今年が其の年に当たるのです。



上の画像をネットで調べて下さい。
武者行列のコースと予定時間も出て来ます、今年は大変な規模になるはずです。
私も一生一度の見物をしたいものです。

さて大楠公についてですが、私がよく書
く「士魂」の原点は。楠木正成にあると
思っています。
その生き様からそう思うのです。

山本常朝の「葉隠」や、新渡戸稲造先生
の「武士道」にある「魂」は管理された
武家社会の「武士道」であり、日本人の
心底にある「士魂」では無い。

新渡戸先生は、南部藩の二代に亘る勘定
奉行の家柄にお生まれになってます。
維新がなければ南部藩の大蔵大臣です。
藩主に次ぐ階層の教育を受けていた。

ですので、著書「武士道」の第1章から
武士道を、西洋の騎士道になぞらえて、
「ノブレス・オブリージュ」つまり「高
貴なる者の責務」の表象とします。

ここで私は、防人の和歌「海ゆかば…」
を思い出してしまいます。
大楠公も、後醍醐天皇の呼び掛けに応じ
河内の一族、土豪として駆けつけます。

何故ならば河内は畿内の一部ですから。
「普段からお世話になっている天子様の
思し召しだ。行かざぁなるまい」てな具
合いだったのでは無いでしょうか?

そして、激戦を最後まで「義」を貫き戦
った末、湊川で討ち死にする。
俗に言えば、損得勘定無しに「義理と人
情」の為に命を捨てたのです。

それが万葉の昔から大和民族に伝わって
きた「士魂」だと思えるのです。
「赤穂浪士」にも連なるこの「士魂」が
我々庶民にも受けて神社となりました。



そう言えば、先頃亡くなった河内出身の
先輩も、実に義理人情に厚い方でした。

〈七生を 捧げし楠の 祭り哉〉放浪子
季語・楠公祭(夏)

5月24日〔木〕晴れ
もう一人、子供の頃、湊川神社の境内を
遊び回っていた友がいる。
半島に近い福岡市に住んでいる私を、常
に気遣ってくれる。
彼も義理堅い。





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