みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

海軍記念日(日本とロシア)

2018年05月27日 | 俳句日記

日露戦争当時のニコライ2世

兎に角、長いお付き合いなのである。
米国より75年も前の安永7年(1778年)か
ら北海道をうかがっていた。
そのことが「赤蝦夷風説考」(工藤兵助)
を生み、林子平に「海国兵談」を書かせ
ることになる。

その頃、米国はまだ独立戦争を始めたば
かりで国では無い、一植民地であった。
欧州はというと、神聖ローマ帝国の残影
に辟易しながら、まだ大航海時代の夢(植民地主義)を追っていた。

そんな時ロシアでは、1682年ロマノフ朝
を立てたピョートル大帝が、英仏の先進
性を学び独自の帝国路線をひた走り、遂
に極東シベリアまで国域を広げた。
江戸、綱吉の時代である。

日本と接点を持ったのは約100年後、女帝エカテリーナ2世の頃であった。
この女帝の拡張主義も凄かった。
南へ南へ、最初にオスマントルコ帝国と
事を構えたのがこの人だ。


エカテリーナ2世

プーチンさんは、ピョートル大帝に憧れ
、この女帝をも尊敬している。
多くの白系ロシア人のDNAの中には如実
にこの血が流れている。



かくして、ロシアはナポレオンにも勝利
し大帝国となる。
以降、露国の存在は国際的な一極をなし
、今日に至っているのだ。
ソビエト時代も単に政権交替時代だ。

そのロシアが、この頃から目をつけたのが、極東の小国日本であった。
維新までに最も渡来しているのは、ロシ
アである、何としても北海道に不凍港が
欲しかった。

ロシアの極東に於ける動きに欧米は敏感
に反応して、日本に開国を迫った。
英はパークス、仏はロッシュ、米国はペ
リーを、のちにハリスを送り込む、米は
南北戦争の旧式銃を売込みたかった。

明治維新も事の起こりはロシアなのだ。
日清戦争の原因も、半島を狙うロシアの
策動があり清もその策動に乗ったが、そ
の実、日清の覇権争いではなく、北支の
軍閥李鴻章軍団と日本の戦いだった。


李鴻章

露は清の力で日本を潰したかった。
豈図らんや李鴻章軍閥が負けた。
そこで、独仏を誘い三国干渉を始める。
これも又裏目となる、まだ未熟な国民国
家日本のナショナリズムに火を付けた。

そして、その時を迎える。
明治37年(1904年)、日露開戦である。
旅順、奉天の激戦を制して、最後の一撃
明治38年5月27日、バルチック艦隊を日本海で全滅させる。

この戦いを戦った将兵、政治家、言論人
は皆、親子三代にわたりロシアを意識し
て戊辰、西南、日清、北京の55日を戦った人達であった。
1戦1戦が日本及び日本人を強くした。


柴五郎中佐

北京に於ける柴五郎中佐の功績無かりせ
ば、日英同盟も無かったであろう。
この人は、会津での親兄弟の遺訓に従い
士魂を発揮した。
それが世界の目に焼き付いた。


戦艦 三笠、戦艦 富士

日英同盟が無かったならばヤコブ・シフ
も日露戦争の戦費を出さなかった。
英国も世界的最新鋭艦三笠以下を売って
くれなかったであろう。
かくして日本は世界の列強に序列した。

そのことが僅か40年後、日本に悲劇をも
たらす。
秋山真之が起した「連合艦隊解散の辞」
を忘れたからである。
真実の歴史と謙虚さを忘れない事を。

ここに今を測るエピソードがある。
天明2年(1782年)、伊勢の商人、大黒屋
光太夫達がロシアに漂着してエカテリナ
に謁見した史実を井上靖氏が書いた
「おろしあ国粋夢譚」が映画化された。

ソビエト崩壊直後のサンクトペテロブル
クの協力で大規模なロケが行われたが、
その時の対外関係委員長がプーチンさん
であった事に機縁を感じてしまう。
5月27日に日露は今後の協定を結んだ。



さて、これをトランプ、近平さん、南北
は、どう受け止めたか?
明日からの展開を期待を持って見つめま
しょう。
子雀たちの未来の為に。




〈八紘を 宇と拓いて 豆ご飯〉放浪子
季語・豆ご飯(夏)

5月27日〔日〕晴れ
ここ3日間は世界中が極東に耳目を奪わ
れていただろう。
安倍内閣は兎に角、世界平和に全力を注
いで欲しい。

モリカケは守旧派の最後のあがきだ。
マハティールさんも、李登輝さんも、中
曽根さんも、最後のご奉公に動き出され
たようだ。さん付けで申し訳無し!

極東の安定が中東にも波及する。
それが、世界中の望みだ。