みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

地蔵菩薩

2017年08月24日 | 俳句日記

とにかく有難い菩薩様である。
「菩薩」とは、人々への慈愛の為に道を
求める人、つまり「求道者」の事だと言
われているが僧である必要はない。

松原泰道先生は、「菩」は小さな敷物、
「薩」は努力をする人のことだ、と言っ
ていらした。
要は、一事に専心する人のことらしい。

その一事に「世の為人の為」の心が有れ
ばアスリートでも、研究者でも、ミュー
ジシャンでも、すでに「菩薩様」であっ
て宗教者もその一人なのだ。

泰道先生はさらに「たゆみなく、黙々と
努力する姿が菩薩の姿である」と仰る。
してみると、私達の日常は菩薩の生み出
した結果に支えられていると気づく。

実は、毎晩黙々とカンナを研いでいた爺
ちゃん、美味しい漬物を漬けていたお婆
ちゃん、出荷のために作物を育てていた
家族、皆んな菩薩様だったのである。

今日は地蔵会、地蔵盆とも言う。
縁日のことである。
朝からロウソクと線香を持って、ご真言
と光明真言を唱えてお参りをした。

笹丘の「六地蔵尊」は、享保年間に鎮座
ましまし、ご当地の方に守られて来た。
三百年前は、まだこの辺りまで荒津の浜
と海岸でつながつていたらしい。

その当時にお世話をなさっていたご先祖
様は「まあ!こんなに発展して⁉︎」と、
目を細めておいでだろう。
だから、毎日お花が新しいのだ。

先日、小学生の男の子が手を合わせて、
近くのコンビニへ入っていった。
登校中の子らもペコリと頭を下げる。
こうなれば立派な霊域である。

取り分け、地蔵菩薩は地付の菩薩様だけ
に、土が全てを育むように、子供を愛し
て見守っておられる。
この地にご縁が出来た事が有難い。

〈縁日に 清がしき雲や 六地蔵〉放浪子
季語・地蔵会(秋)

8月24日〔木〕晴れ
少し身体が軽くなった。
それでも日中は負担がかかる。
日盛りは、横になって本を読んだ。
夕方から母のもとに、野菜炒めを作りに
いった。
帰ってから、ラジオのベト7を聴きながら
これを書いている。
ベト7、大好き。