みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

蜩(ひぐらし)の初音

2017年08月18日 | 俳句日記

ほんの15分位の事であった。
私の棲家の西側に、入会地である小山が
ある。
墓所や集会所があるからそう判断した。

なんと、そちらの方角から蜩の声が聞こ
えてきた。
常夜灯の光を透かして時計を見ると、3
時50分。

まだ、醒めやらぬ巷に、明烏も、メジロ
も、他の蝉も鳴いてはいない。
そのしじまの中かに、森の精霊が控えめ
に歌うような、あの鳴き声。

慌てて飛び起き、玄関ドアを開けると、
通路の手摺に両肘をついて、聴き入って
しまった。
そして、確信したのである。

《 閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声 》芭蕉

この蝉は、蜩をおいて他にないと。

だって、そうでしょう。
油蟬は「ジージー」と油照りの不快感を
思い出させる鳴き方だし、ミンミン蝉は
民権論者のように「民民民」と小煩い。

熊蝉は、本州中部以南にしか居ない。
法師蝉ときたら、樹液は「つくづく美味
しい、美味しい」と繰り返し、液が少な
くなると「(もっと)欲しいよ、欲しいよ」
と自己主張が強すぎる。

深山幽谷の鬱蒼とした林の梢から、しぐ
れ雨のように降り注ぐ蜩の声は、山の閑
かさをいや増し、雨の雫が岩にしみ入る
如く、声もしみ入るのである。

何と言っても、舞台がいい。
山形県の立石寺である。
蕉翁は、単に情景を詠った訳ではない。
苔むす山寺の末の世に、憂いを感じたの
であった。

鳴き声自体が「哉哉哉哉」なんだから、
俳句仲間でもあったのでしょう。
黎明に浮かびつつある森を見つめながら
そんな事を考えていた。

〈蜩や 鳴いて明け初む 巷哉〉放浪子
季語・蜩(秋)

8月18日〔金〕晴れ
生きてさえいれば、悟りの瞬間は次々と
訪れる。
蕉翁も、そこに気づかれた。
私のような凡夫は、気づくのに歳が掛る
が、気付かなかったより有難い。
そんな入り口を、示して下さった事が、
有難いのである。
郡山でも、苦慮深甚してい同志がいる。
互いに研鑽するしかない。