安政4年(1857)8月の改印がある「江戸百」34景
「真乳山山谷堀夜景」(まつちやまさんやぼりやけい)。
この絵は、隅田川の向島の川岸土手から対岸の山谷堀を
描いている。右側の灯りのついた建物は、安政の大地震で
料亭「金波楼」が崩壊し、その代替わりとして「有明楼」が
営業している。地震の復興から立ち直り、当時は大いに
繁盛した料亭だった。有明楼の左側に山谷堀がある。現在は
暗渠になり山谷堀公園が北に延びている。
料亭といえば、芸者。ここに描かれている提灯に先導
された芸者は、向島ではなく、堀の芸者であることが伺える。
真乳山(現在の待乳山)は、荒川の氾濫で日本堤の工事が
始まると、山を削り埋め土として利用されたという。よって、
当時の山はもっと高かったそうだ。山の上には聖天宮があり、
男女と女天の双身像・勧喜神(インド・ヒンズー教)が
祀られている。
(墨田区向島2丁目5番地辺り)
「真乳山山谷堀夜景」(まつちやまさんやぼりやけい)。
この絵は、隅田川の向島の川岸土手から対岸の山谷堀を
描いている。右側の灯りのついた建物は、安政の大地震で
料亭「金波楼」が崩壊し、その代替わりとして「有明楼」が
営業している。地震の復興から立ち直り、当時は大いに
繁盛した料亭だった。有明楼の左側に山谷堀がある。現在は
暗渠になり山谷堀公園が北に延びている。
料亭といえば、芸者。ここに描かれている提灯に先導
された芸者は、向島ではなく、堀の芸者であることが伺える。
真乳山(現在の待乳山)は、荒川の氾濫で日本堤の工事が
始まると、山を削り埋め土として利用されたという。よって、
当時の山はもっと高かったそうだ。山の上には聖天宮があり、
男女と女天の双身像・勧喜神(インド・ヒンズー教)が
祀られている。
(墨田区向島2丁目5番地辺り)