今ではパソコンが手放せない中、ボールペンは毎日使っている。
学生時代のペンだこが出来るまでとはいわないが、日頃、何気なく
使用している文具類。そんなステーショナリーのミュージアムが都
内にある。「日本文具資料館」(JAPAN STATIONERY MUSEUM)だ。
台東区柳橋の東京文具販売健保会館の1階にあった。年季の入っ
た資料館で、ディスプレイ等の見た目は宜しくないが、チープな展
示がノスタルジーを感じて、隠れ家的なこんな資料館が好きだ。
入口の内側には撮影禁止と出ていたが、係の方に伺うと写真を撮
っても良いとの返事で、気になった文具をデジタルデータに残して
みた。
まず手始めに、「澄泥硯」が目に入った。端渓、歙州、トウ河緑
とともに“四大名硯”のひとつで、晋・唐時代に瓦の溝にヒントを
得て泥を材料にして製造が始まる。
その製造方法は秘密にされ、宋代の後期から製造がプツリと断た
れてしまう。1970年代に山西省で宋代の製造を科学的に解き明か
し、製品として復活している。
(台東区柳橋1-1-15)
学生時代のペンだこが出来るまでとはいわないが、日頃、何気なく
使用している文具類。そんなステーショナリーのミュージアムが都
内にある。「日本文具資料館」(JAPAN STATIONERY MUSEUM)だ。
台東区柳橋の東京文具販売健保会館の1階にあった。年季の入っ
た資料館で、ディスプレイ等の見た目は宜しくないが、チープな展
示がノスタルジーを感じて、隠れ家的なこんな資料館が好きだ。
入口の内側には撮影禁止と出ていたが、係の方に伺うと写真を撮
っても良いとの返事で、気になった文具をデジタルデータに残して
みた。
まず手始めに、「澄泥硯」が目に入った。端渓、歙州、トウ河緑
とともに“四大名硯”のひとつで、晋・唐時代に瓦の溝にヒントを
得て泥を材料にして製造が始まる。
その製造方法は秘密にされ、宋代の後期から製造がプツリと断た
れてしまう。1970年代に山西省で宋代の製造を科学的に解き明か
し、製品として復活している。
(台東区柳橋1-1-15)