長崎・オランダ商館の医師であり、長崎郊外の鳴滝に塾を開き西
洋医学を伝授したシーボルトの「カラフト島図」が展示されていた。
この地図は、文政12年(1829)に研究資料として自国に持ち帰
ろうとしたところ、それがばれて国外追放となったシーボルト事件
の、まさにその地図。当時の幕府は海外持ち出しを禁止していた。
事件発覚後、シーボルトの住まいから押収された地図で、大きさ
は左右57cm、天地1m31cmで、地図の中に“シーボルト所持品之内
より取上候“と記されている。
(国立公文書館:千代田区北の丸公園3-2)
洋医学を伝授したシーボルトの「カラフト島図」が展示されていた。
この地図は、文政12年(1829)に研究資料として自国に持ち帰
ろうとしたところ、それがばれて国外追放となったシーボルト事件
の、まさにその地図。当時の幕府は海外持ち出しを禁止していた。
事件発覚後、シーボルトの住まいから押収された地図で、大きさ
は左右57cm、天地1m31cmで、地図の中に“シーボルト所持品之内
より取上候“と記されている。
(国立公文書館:千代田区北の丸公園3-2)