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塩哲の色即是空

私の日常の活動状況を飾り気なく、素のままで表現する。

ミュージアム巡り GAS MUSEUM コークガイド

2010-12-22 06:25:12 | ミュージアム巡り
 ガス灯館とくらし館の間の野外に小山のような機械が展示されて
いた。これが石炭からガスを作る「コークガイド」と、その奥には
「乾式脱硫器」という機械である。
 ガスは始め、石炭を炉の中で約1,300度で一昼夜蒸し焼き(乾
留)にして製造されていた。炉の中にはコークスが残って製鉄など
に利用されたり、ガス精製の過程で硫黄分を取り除いてタールや硫
安なども作られていた。その石炭は1950年代半ばまで原料の中心
となっていた。
 また、時代と共に石炭から安価で入手しやすかった石油へと移り、
1970年代に入るとガスの原料はクリーンな天然ガスが使用される
ようになる。
 このコークガイドは、1930年から1971年まで鶴見の第1・第
2室炉用として活躍。また、乾式脱硫器は石炭ガスの精製工程のう
ちで、硫化水素等を除去する装置として活躍していた。
(小平市大沼町2-590)
乾式脱硫器

ミュージアム巡り GAS MUSEUM 点灯風景

2010-12-21 06:28:06 | ミュージアム巡り
 日本でのガスの点灯は、1872年10月31日、神奈川県庁前で
初めて灯った。それから、東京・銀座の煉瓦街建設とともにガス
灯が銀座の代名詞にもなったほど名所のひとつに数えられた。
 ところがガス灯も、1915年をピークに電灯の普及で姿を消す
こととなる。しかし、最近、郷愁を誘うガスの灯が見直され、全
国で約4000基ものガス灯が復活しているという。ガス灯の独特
の暖かみが心を癒すとともに、街中の景観を飾るポイントとなっ
ているようだ。
 館内には、当時のガス灯を灯す職人さんの絵と法被や点火道具
が展示されていた。
(小平市大沼町2-590)
法被と点灯道具

ミュージアム巡り GAS MUSEUM ガスマントルのAD

2010-12-20 06:28:36 | ミュージアム巡り
 世界で初めてガスを照明として使ったのは、イギリス人技師の
W・マードックという人で、1792年に石炭から得たガスの炎で
自宅の部屋を灯したという。その後、電灯が普及するまでの約
100年間、欧米の主要な都市はガス灯の時代が続いた。
 その中でガスマントルの発明も大きなポイントとなっている。
では、ガスマントルを説明すると、希土元素という物質は熱して
溶けると丸く塊になってしまう。明るくするために物質を繊維に
含ませ燃やして灰にする。その状態で熱すれば少ない量で光を得
られる。この物質を微妙に混ぜ合わせ熱を加えると明るく発光す
ることが判った。
 これがガスマントルの発明のきっかけとなり、1886年にオー
ストリアのウエルスバッハが開発した。当時はトリウム99%、セ
リウム1%を混ぜていたという。
(小平市大沼町2-590)
ガスマントル  ルーカス灯

ミュージアム巡り GAS MUSEUM ギャラリー

2010-12-19 03:39:13 | ミュージアム巡り
 カス灯館内の1階には明治時代に実際に使用されていたガス灯が
展示されていたり、モニターや人数が揃えば当時のガス灯の点灯実
演まで見学できる。世界最初のガスの発明や日本のガス灯の普及等
も学べる。
 鹿鳴館で壁掛けランプとして使用された「舶来上向腕ランプ」
(明治初期)、英国製の「分銅伸縮ランプ」(明治末期)、「スタ
ンドランプ」(昭和初期)等が重圧感を与えていた。
(小平市大沼町2-590)
点灯実演コーナー  ガス灯_2

ミュージアム巡り GAS MUSEUM ガスの歴史

2010-12-18 05:55:56 | ミュージアム巡り
 日本におけるガスの歴史を紐解くと、明治5年(1872)横浜で初
めてガス灯が灯る。東京ではその2年後に現在の港区海岸1丁目に
ガスの製造工場が建てられ、ガス灯が点火されている。
 1885年に東京瓦斯会社が設立され、1893年に東京瓦斯株式会
社となる。1902年には日本初のガス器具・ガスかまどが販売され、
2年後にはガスストーブも販売がスタートする。
 さらに時は過ぎ、大戦中はガスの消費制限が実施され、1949年
から10年ぶりにガスの24時間供給が再開される。1957年にガス
自動炊飯器が販売されると各家庭に急速に広まっていく。
(小平市大沼町2-590)
ガスの歴史  歴史_2

ミュージアム巡り GAS MUSEUM

2010-12-17 06:26:42 | ミュージアム巡り
 11月28日、東京都小平市にある「ガスミュージアム」を訪れた。
気温も徐々に上昇し、雑木林が残る武蔵野の台地を歩いていると懐
かしい子供の頃を思い出す。
 そうこうしていると、新青梅街道に出て目指すミュージアムの建
物が目の前に現れた。明治時代のモダンな建物が二棟あり、「ガス
灯館」は明治42年に建てられた東京ガス・本郷出張所を移設復元さ
れたもの。また、「くらし館」は明治45年に建てられた千住工場計
量器室を同じく移設復元されている。
 文明開化のシンボルであったガス灯の誕生やその普及事業などが
紹介されており、中でも120年にわたる暮らしの中でガスの関わり
が垣間見られた一時だった。
(小平市大沼町2-590)
計量器室の飾り(旧千住工場)  社章

ミュージアム巡り 旧新橋停車場 キハ55型

2010-12-16 06:23:40 | ミュージアム巡り
 昭和30年代に入るとディーゼル列車の運転が始まり、1956年
には新鋭の「キハ55型」が投入される。1958年には電化となり
スピードアップが図られる。
 東武鉄道は1960年からデラックスロマンスカーの運転がスター
ト、ビュッフェ、ジュークボックスを設置したサロンカーも登場。
その後、スチュワーデスが乗務するようになる。
 2006年にはJR東日本と東武の特急が新宿~東武日光・鬼怒川
温泉間で直通運転となる。また今年、JR日光線はレトロ調にリニ
ューアルされ107系車両が導入されている。
(港区東新橋1-5-3)
リニューアル日光線107系

ミュージアム巡り 旧新橋停車場 観光ポスター

2010-12-15 06:34:29 | ミュージアム巡り
 1929年に東武鉄道日光線が全線開通し、浅草から東武日光まで
直通電車が運行。その年、豪華な展望車「トク1形500号」を導入。
6年後には座席がクロスシート、車内に売店が設けられた「デハ10
系」はもろ観光用の車両を導入。
 国鉄も東武に対抗するためサービスの改善に努力する。1931年
に上野~日光間に機関車牽引きの季節準急行(急行料金不要)で食
堂車を連結した列車を運行。
 1934年の夏には臨時快速「日光」が運行、また同年に日光が国
立公園に指定されると大観光地化してくる。
 その当時のポスターが時代を反映している。
(港区東新橋1-5-3)

ミュージアム巡り 旧新橋停車場 日光駅

2010-12-14 06:29:36 | ミュージアム巡り
 旧新橋停車場の2階には「日光街道・江戸の旅・近代の旅」と題
した企画展が行われていた(現在は既に終了)。
 日光に徳川家康の霊廟が造られると、歴代の将軍や大名、庶民の
日光参詣が始まる。日本橋から日光までの日光道中は約150kmあ
り、江戸時代は徒歩、駕籠、馬での旅だった。
 明治に入り1872年に新橋横浜に鉄道が開通し、日本を訪れてい
た外国人も国内旅行が徐々に許されてくる。この頃から日光は避暑
地として脚光を浴びる。
 現在のJR日光線(宇都宮~日光)は、日光鉄道が計画し日本鉄
道により1890年に開通。1906年に国有化され、1987年には国
鉄の分割民営化によりJR日光線となる。その日光は、東武鉄道の
開通により、さらに大観光地に発展していく。
 写真の大きいものは明治の頃の日光駅舎、もう1点は大正時代の
日光駅舎。
(港区東新橋1-5-3)
大正時代の日光駅

ミュージアム巡り 旧新橋停車場 西洋皿やラムネ瓶

2010-12-13 05:12:30 | ミュージアム巡り
 新橋停車場で雇われていた外国人が使用していた発掘品も展示さ
れていた。
 割れているが西洋陶磁器皿などは、ロイヤルコペンハーゲンでは
ないだろうか。また中央の緑色の変形した瓶は「ラムネ瓶」。当時
の発泡飲料はシャンパンと同じようにコルクと針金を使用して栓を
していた。コルクが乾くと炭酸ガスが抜けてしまうため、常に寝か
された状態で常備されていたという。明治20年代にビー玉で栓を
するタイプになるまでは、これがラムネ瓶だったとか。
 左下には陶器製の「クレイパイプ」があり、やはり外国人が使用
していたのがうかがえる。
(港区東新橋1-5-3)