プロフィールの欄にも、これまでのブログ記事の中にもありますが、
僕にとって最初(にして最大)の憧れのミュージシャンは、
田辺昭知とザ・スパイダーズ。
1967年、テレビでは黄色い歓声の飛び交う「グループサウンズ」がブームでした。
その中でも、バツグンの音楽性と演奏力を持ち、
またバツグンに芸達者で楽しいエンターテイナー軍団として
他のグループとは別格の魅力を放っていたのが、スパイダーズ。
当時小学生だった僕は、毎日学校から帰ると、新聞のテレビ欄を見て
スパイダーズの出ている番組をまずチェックする、そんな毎日でした。
彼らのレギュラー番組「歌うバラエティー」「ゴー!ゴー!ゴー!」「トップバラエティ」や
「ザ・ヒットパレード」「天使と野郎ども」はもちろんしっかり見ていましたし、
ゲスト出演する「若さで歌おうヤァ!ヤァ!ヤング」「ジャポップス・トップ10」
「エキサイトショー」「九ちゃん!!」「歌謡曲ベストテン」などの番組も
テレビにかじりついて見ていました。
当時まだ小学生だったので、コンサートやライブ(ジャズ喫茶)でナマでは
見ていないのが悔しいですが、テレビ・ラジオそしてレコードは
出来る限りチェックしていました。
当時月500円の小遣いで必死に集めたスパイダーズのシングル盤やLP。
何枚か紛失してしまいましたが、今でも僕の宝物です。
もちろん、のちにCDになって世に出たものも、内容の重複しない限り全部持っています。
スパイダーズのメンバーは、皆さんご存知と思いますが、一応書いておきます。
一番上の写真の左から、
加藤充さん/ベース
大野克夫さん/オルガン、スチールギター、エレクトリックピアノ、グロッケンなどなど
かまやつひろしさん(ムッシュ)/ギター、ボーカル
田辺昭知さん/ドラム、バンドリーダー
堺正章さん/ボーカル、メインMC
井上孝之さん(のちに堯之と改名)/リードギター、ボーカル
井上順さん/ボーカル、MC
ちなみに、正式には「スパイダース」を名乗った彼らをなぜ「スパイダーズ」と標記するのかと言うと、
Spidersをちゃんと英語として発音するとスパイダーズであり、
英語に堪能なメンバーが多かった彼らは、現役中から自分達のことを
「スパイダーズ」と呼んでいました。
特にグループのスポークスマンである堺正章さんと大野克夫さんは
必ずそう言っていたので、僕もそれにならってスパイダーズとしています。
スパイダーズで最初に僕を魅了したのはリーダー田辺さんのドラム。
カッコよくてドライブのかかった、男らしいドラムに魅了されましたが、
そのうち僕の興味はグループの音楽を組み立てている3人、
すなわち、ムッシュと大野さんと孝之さん、にシフトしていきました。
まず、ムッシュはスパイダーズのオリジナル曲の大半を作曲しているクリエイター。
「フリフリ」「なんとなくなんとなく」「バンバンバン」「あの時君は若かった」「真珠の涙」
名曲、いっぱい作っています。
のみならず、グループのファッションリーダー、振付師としても重要な貢献をし、
歌を歌わせれば、流暢な英語の発音と日本人離れしたフィーリングで
洋楽曲、特にR&B系の曲をカッコよく歌いまくり、
ギター弾かせりゃ、普段はリズムギター弾いているけど
時々破壊的でパンキッシュなギターソロで圧倒してくれました。
大野さんは、オルガンやスチールギターで目にも止まらぬすごい速弾き、
それもいたずらに速い訳でなく、ブルージーで思いきりロックした
カッコいいフレーズを速弾きしてくれる。
当時GS界だけでなくジャズプレイヤーも含めて、
あんなにカッコいいオルガンを弾いていた人はいないと思います。
ジャズ誌「スイングジャーナル」の人気投票でも1位か2位に入っていたほど。
大野さんのすごい所は、スパイダーズのコンサートマスターとして
グループのアンサンブル、アレンジを担当しており、
他のグループとは明らかに一線を画する、練りこまれたアンサンブルは
大野さんの力による所が大きかったのですね。
その鉄壁のアンサンブルの間をぬって、大野さんや孝之さんのアドリブプレイが炸裂し、
時にはムッシュも加わって、実にスリリングで、
ある意味ジャズ的とも言える高度なアンサンブルを実現していました。
大野さんはスパイダーズ以降、井上堯之バンドのキーボードとして、
また作編曲家として一連の沢田研二さんのヒット曲や「居酒屋」などの作編曲、
「太陽にほえろ!!」をはじめとするサウンドトラックの世界でも
大活躍されているのは言うまでもありません。
孝之さんは、僕にとってギターヒーローです。
解散後PYGそして井上堯之バンドでもブルージーなギターを聴かせてくれましたが、
僕が好きなのはやはりスパイダーズの全盛期、1967-68年の孝之さん。
この頃の彼はフェンダー社のテレキャスターカスタムがメインギター。
他にリッケンバッカーやヤマハのセミアコなども弾いていましたが、
レコーディングではほぼテレキャスターだったようです。
Voice社のギターアンプとのコンビで搾り出す、太くて甘くて男らしく、
サステインの短い、歯切れのよいサウンド。
大胆にブルーノートを駆使して、ホンモノのブルースフィーリング・ロックフィーリングを
なみなみとたたえた、絶妙のシブいフレージング・・今でも、世界一だ!!と思います。
事実、当時あまりにもそのサウンドが魅力的だったので
孝之さんのテレキャスターカスタムは何度も盗難に会い、
5-6本買い換えた時点で精根尽きて次のギター(モズライトのモブロー)に
持ち替えた、というほどです。
僕自身もエレキギターは何本も持っていますが、仕事で使うメインギターは
テレキャスターカスタム(と、グレッチのダブルアニバーサリー)。
そのココロは言うまでもなく、井上孝之さんのようにギターを弾きたい、
孝之さんのようなサウンドを出したい、というのが僕がギターを弾く時の
メインテーマでありメインモチベーションなのです。今でも、そうです。
というわけで、ギター弾きとしては孝之さんなくして塩塚なし、
作編曲家としては、大野さんとムッシュなくして塩塚なし。
このお三方は僕にとって憧れを通り越して「神」のような存在です。
お三方のうち、大野さんとムッシュとは個人的にお目にかかることができました。
大野さんは、僕がCM音楽制作会社を辞めて作編曲で行きたいと思っていた時に、
「デモテープ聴いたよ。イケるじゃない。僕が応援するよ」と励ましていただき、
なんと、暫くの間お仕事の助手までさせていただいた、大恩人です。
ムッシュも、たまたまビクターのディレクターの方にご紹介をいただき、
六本木の事務所で2回ほど長々とお話をさせていただいて、大感激でした。
井上孝之さんとはまだちゃんとお会いしたことがありません。
僕のギターヒーローとして、憧れのミュージシャンとして、
ぜひ一度お会いしてお話が伺えたら、本当に幸いです。
それを実現できないうちは、死ねません。
忘れてはいけませんが、堺正章さんも、井上順さんも、
もちろん田辺さんも、ベースの加藤さんも、みんな、憧れの人です。
順さんのコンサートにも行っていますし、
「ソン・フィントル」「堺正章・井上順ジョイントコンサート」にも勿論行っています。
それにしても、堺さん順さんは言うまでなく、
田辺さんは「田辺エージェンシー」社長として、
ムッシュも現役ミュージシャンとして、
孝之さんも大野さんも作曲家、ミュージシャンとして、現役バリバリ。
今更ながら、スパイダーズはホントにすごいバンドでした。
そんなスパイダーズに最初に音楽の洗礼を受けたのは
ものすごくラッキーでしたし、これは運命的な出会いだったのかも知れません。
今日は、久しぶりに長~い記事になってしまいまして、すいません。
スパイダーズに関しては、またいずれ続編を書きたいと思います。
明日21日は駒沢大学「メルカート」でライブやっています。
よろしかったら遊びに来て下さいね。
僕にとって最初(にして最大)の憧れのミュージシャンは、
田辺昭知とザ・スパイダーズ。
1967年、テレビでは黄色い歓声の飛び交う「グループサウンズ」がブームでした。
その中でも、バツグンの音楽性と演奏力を持ち、
またバツグンに芸達者で楽しいエンターテイナー軍団として
他のグループとは別格の魅力を放っていたのが、スパイダーズ。
当時小学生だった僕は、毎日学校から帰ると、新聞のテレビ欄を見て
スパイダーズの出ている番組をまずチェックする、そんな毎日でした。
彼らのレギュラー番組「歌うバラエティー」「ゴー!ゴー!ゴー!」「トップバラエティ」や
「ザ・ヒットパレード」「天使と野郎ども」はもちろんしっかり見ていましたし、
ゲスト出演する「若さで歌おうヤァ!ヤァ!ヤング」「ジャポップス・トップ10」
「エキサイトショー」「九ちゃん!!」「歌謡曲ベストテン」などの番組も
テレビにかじりついて見ていました。
当時まだ小学生だったので、コンサートやライブ(ジャズ喫茶)でナマでは
見ていないのが悔しいですが、テレビ・ラジオそしてレコードは
出来る限りチェックしていました。
当時月500円の小遣いで必死に集めたスパイダーズのシングル盤やLP。
何枚か紛失してしまいましたが、今でも僕の宝物です。
もちろん、のちにCDになって世に出たものも、内容の重複しない限り全部持っています。
スパイダーズのメンバーは、皆さんご存知と思いますが、一応書いておきます。
一番上の写真の左から、
加藤充さん/ベース
大野克夫さん/オルガン、スチールギター、エレクトリックピアノ、グロッケンなどなど
かまやつひろしさん(ムッシュ)/ギター、ボーカル
田辺昭知さん/ドラム、バンドリーダー
堺正章さん/ボーカル、メインMC
井上孝之さん(のちに堯之と改名)/リードギター、ボーカル
井上順さん/ボーカル、MC
ちなみに、正式には「スパイダース」を名乗った彼らをなぜ「スパイダーズ」と標記するのかと言うと、
Spidersをちゃんと英語として発音するとスパイダーズであり、
英語に堪能なメンバーが多かった彼らは、現役中から自分達のことを
「スパイダーズ」と呼んでいました。
特にグループのスポークスマンである堺正章さんと大野克夫さんは
必ずそう言っていたので、僕もそれにならってスパイダーズとしています。
スパイダーズで最初に僕を魅了したのはリーダー田辺さんのドラム。
カッコよくてドライブのかかった、男らしいドラムに魅了されましたが、
そのうち僕の興味はグループの音楽を組み立てている3人、
すなわち、ムッシュと大野さんと孝之さん、にシフトしていきました。
まず、ムッシュはスパイダーズのオリジナル曲の大半を作曲しているクリエイター。
「フリフリ」「なんとなくなんとなく」「バンバンバン」「あの時君は若かった」「真珠の涙」
名曲、いっぱい作っています。
のみならず、グループのファッションリーダー、振付師としても重要な貢献をし、
歌を歌わせれば、流暢な英語の発音と日本人離れしたフィーリングで
洋楽曲、特にR&B系の曲をカッコよく歌いまくり、
ギター弾かせりゃ、普段はリズムギター弾いているけど
時々破壊的でパンキッシュなギターソロで圧倒してくれました。
大野さんは、オルガンやスチールギターで目にも止まらぬすごい速弾き、
それもいたずらに速い訳でなく、ブルージーで思いきりロックした
カッコいいフレーズを速弾きしてくれる。
当時GS界だけでなくジャズプレイヤーも含めて、
あんなにカッコいいオルガンを弾いていた人はいないと思います。
ジャズ誌「スイングジャーナル」の人気投票でも1位か2位に入っていたほど。
大野さんのすごい所は、スパイダーズのコンサートマスターとして
グループのアンサンブル、アレンジを担当しており、
他のグループとは明らかに一線を画する、練りこまれたアンサンブルは
大野さんの力による所が大きかったのですね。
その鉄壁のアンサンブルの間をぬって、大野さんや孝之さんのアドリブプレイが炸裂し、
時にはムッシュも加わって、実にスリリングで、
ある意味ジャズ的とも言える高度なアンサンブルを実現していました。
大野さんはスパイダーズ以降、井上堯之バンドのキーボードとして、
また作編曲家として一連の沢田研二さんのヒット曲や「居酒屋」などの作編曲、
「太陽にほえろ!!」をはじめとするサウンドトラックの世界でも
大活躍されているのは言うまでもありません。
孝之さんは、僕にとってギターヒーローです。
解散後PYGそして井上堯之バンドでもブルージーなギターを聴かせてくれましたが、
僕が好きなのはやはりスパイダーズの全盛期、1967-68年の孝之さん。
この頃の彼はフェンダー社のテレキャスターカスタムがメインギター。
他にリッケンバッカーやヤマハのセミアコなども弾いていましたが、
レコーディングではほぼテレキャスターだったようです。
Voice社のギターアンプとのコンビで搾り出す、太くて甘くて男らしく、
サステインの短い、歯切れのよいサウンド。
大胆にブルーノートを駆使して、ホンモノのブルースフィーリング・ロックフィーリングを
なみなみとたたえた、絶妙のシブいフレージング・・今でも、世界一だ!!と思います。
事実、当時あまりにもそのサウンドが魅力的だったので
孝之さんのテレキャスターカスタムは何度も盗難に会い、
5-6本買い換えた時点で精根尽きて次のギター(モズライトのモブロー)に
持ち替えた、というほどです。
僕自身もエレキギターは何本も持っていますが、仕事で使うメインギターは
テレキャスターカスタム(と、グレッチのダブルアニバーサリー)。
そのココロは言うまでもなく、井上孝之さんのようにギターを弾きたい、
孝之さんのようなサウンドを出したい、というのが僕がギターを弾く時の
メインテーマでありメインモチベーションなのです。今でも、そうです。
というわけで、ギター弾きとしては孝之さんなくして塩塚なし、
作編曲家としては、大野さんとムッシュなくして塩塚なし。
このお三方は僕にとって憧れを通り越して「神」のような存在です。
お三方のうち、大野さんとムッシュとは個人的にお目にかかることができました。
大野さんは、僕がCM音楽制作会社を辞めて作編曲で行きたいと思っていた時に、
「デモテープ聴いたよ。イケるじゃない。僕が応援するよ」と励ましていただき、
なんと、暫くの間お仕事の助手までさせていただいた、大恩人です。
ムッシュも、たまたまビクターのディレクターの方にご紹介をいただき、
六本木の事務所で2回ほど長々とお話をさせていただいて、大感激でした。
井上孝之さんとはまだちゃんとお会いしたことがありません。
僕のギターヒーローとして、憧れのミュージシャンとして、
ぜひ一度お会いしてお話が伺えたら、本当に幸いです。
それを実現できないうちは、死ねません。
忘れてはいけませんが、堺正章さんも、井上順さんも、
もちろん田辺さんも、ベースの加藤さんも、みんな、憧れの人です。
順さんのコンサートにも行っていますし、
「ソン・フィントル」「堺正章・井上順ジョイントコンサート」にも勿論行っています。
それにしても、堺さん順さんは言うまでなく、
田辺さんは「田辺エージェンシー」社長として、
ムッシュも現役ミュージシャンとして、
孝之さんも大野さんも作曲家、ミュージシャンとして、現役バリバリ。
今更ながら、スパイダーズはホントにすごいバンドでした。
そんなスパイダーズに最初に音楽の洗礼を受けたのは
ものすごくラッキーでしたし、これは運命的な出会いだったのかも知れません。
今日は、久しぶりに長~い記事になってしまいまして、すいません。
スパイダーズに関しては、またいずれ続編を書きたいと思います。
明日21日は駒沢大学「メルカート」でライブやっています。
よろしかったら遊びに来て下さいね。
私は15年後くらいに曲を聴いたのでリアルタイムではないのですが、「夕日が泣いている」が好きで今もたまにカラオケ歌います。でももっとマイナーでも名曲がありそうですねー・・・
「夕陽が・・」はメンバーオリジナルではなく、浜口庫之助先生の作品です。
ムッシュが作曲したマイナーのいい曲、いくつもありますよ。
「真珠の涙」は特に傑作。「ビター・フォー・マイ・テイスト」「友を呼ぶ歌」もオススメです。
>「夕陽が・・」はメンバーオリジナルではなく、浜口庫之助先生の作品です。
では、オススメ3曲、探して聴いてみますね。
おっしゃるように、この記事を書いた2009年以降、カッペちゃんやイノヤンと直接お話ができるようになって、ありがたいです。
残念ながらムッシュとイノヤンは旅立ってしまいましたが、僕の中ではずっと生き続ける、心の師匠です。
コンサートに行くのが楽しいですね。大好きです。今度の日曜日は、「サンデー・ジャポン」を見ます。