夜窓より ☆私の考えなり流儀なり☆

日刊『中・高校教師用ニュースマガジン』に連載中の教育への雑感をまとめておきます。夜間定時制高校の教師の視点です。

■「遠景のモノ語り」(1)

2022年01月16日 | 教育
■【新連載】「遠景のモノ語り」(1)瀬尾公彦氏(愛知県)   
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【連載】

■「遠景のモノ語り」(1)

  瀬尾公彦(愛知県)   
  seo@ksn.biglobe.ne.jp


*「おーいぽぽんた」*  

夜間定高校時制教師として長く働いてきた。今、私の手元にあるいくつかの
モノを思い出語りしていこうという趣向である。


現在もかろうじて再任用で国語の教師として夜間定時制で働いているが、プ
ライバシーのこともありできるだけ遠景としてのかつての生徒達のモノ語り
をしていけたらと考えている。

もう10年ほど前にこちらで「夜窓より」という題で定時制にまつわる話を
連載させていただいたので、そこでの話と重なることもあるかもしれないが
時効ということでご容赦いただけたらと思う。

「おーいぽぽんた」 一冊の本である。編者は茨木のり子、川崎洋、谷川俊
太郎などの五人で内容は詩や短歌、俳句などのアンソロジーである。
(福音館書店)

私の場合、しばしば書店で教材を選ぶ。ここだけの話、基本教科書は使用しな
いし、教科書に載っている教材であってもプリントにして、全く関係のない、
エヴァンゲリオンやちびまるこなどのイラストを添える。今年は鬼滅の刃のイ
ラストのみならず、竈門炭治?と言う漢字を覚えさせたりもした。

ちなみに竈や薔薇などは一つで配点を五点にすると、必ず、低学力の生徒さえ
も覚えてくるのである。簡単な漢字を書けないと恥をかくが、難しい漢字の
「憂鬱」などをさらさらと書けると印象が変わるというのが現実的な「漢字」
の社会認識であると考えている。教員志望の先生達にも「毅然」などのワード
を覚えさせておいて小論文の印象をあげるようにアドバイスしている。

さて授業と同じでいきなり脱線してしまった。

学校で全く話さない生徒がいた。家では普通に話すことができる。しかし学校
では本読みにも応じないで、先生達もそれを許容していた。親しい友人もいな
いが、周りも好意的にその生徒を尊重している。

3年生で私は担任となり、一学期に数回ではあったが、一対一で話す機会を持
った。何か簡単なことを尋ねてもなかなか声が出なかった。最初は1分2分待
つこともあったが、地道に繰り返す内に私の前では少しではあるが、言葉が出
るようになってきた。

成績が伴わないと学期末に「不振者指導」という補習をする。国語の「不振者
指導」の際に、この生徒だけ一対一でやることにして、この生徒の為に見繕っ
た「おーいぽぽんた」を読んでもらった。最初は小さな声であったのが、次第
に普通に大きな声で読んでいた。声出せるじゃん! その本が今、手元にある。

二学期の話である。修学旅行をグアムに計画した。現地に着いて、生徒を案内
して自分の部屋で荷物を置いていると、数名の生徒達が走り込んできて、「先
生、@@ちゃんが声出して普通に話しているよ」という。すぐ夕食のバーベキ
ューであったが、会場に行くと、その生徒が「先生ここ空いてますよ」とにこ
やかに私に話しかけてくれた。

修学旅行から帰宅した翌日、その生徒の母親から「先生、今うちの子が、ビデ
オ屋さんの店員と話しています」と電話をいただいた。

前日まで緑の中にあった一つの花が突然きれいな色を見せることがある。青年
期には、突然、それまで見ていた景色が変貌する瞬間があるようである。

海外での開放感などと理由はあるのだろうが、私は一つの「奇跡」だと思って
いる。

定時制ではしばしば「奇跡」が起こる。

===編集日記=== 
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  皆様に支えられて「日刊・中高MM」第4815号です。

 瀬尾公彦さんの久々の新連載「遠景のモノ語り」、お届けします。

 *「おーいぽぽんた」*

 学校は実は多様ですね。平板で変哲も無く同じ事が同じように行われているように
 思われるが、実はそうではない。さまざまな断層があるように教育の世界、勉強や
 学問の世界は実は多様なんですね。学校も先生が多様で自由でなければならないと
 考えます。遠景と近景の往還。時に近景となり、時に遠景となる。その往還こそが
 実景をみごとに描き出すのではないでしょうか。これからの連載が愉しみです。


       

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