寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
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(第3497話) いいとこ探し

2023年05月16日 | 教訓

 “「あ~よかった!」と、足の指先を見て、思わず手を合わせた。床でピカッと光る物を手に取ると、何と縫い針だった。十日ほど前、この場所で縫い物をした。きちんと針山に戻したつもりでいた。今日まで、この辺りを数え切れないほど往来していた。寝転んで体操もしていた。針が刺さらなかった幸運に感謝して、すぐに仏壇の前でも手を合わせた。しみじみ私は見守られていると感じた。
 私は今、進行性の難病にかかっているが、進行がストップしたような気がした。その時、近所に住む孫が訪れた。外で遊ぼうと、羽織った上着のポケットから、愛用の老眼鏡が出てきた。探し続けて一ヵ月。「ヤッター!」。いいことが続く。
 そういえば、ニカ月ほど前、悩んだ末に運転免許証を返納した。用事のある時は、身内や友人の車に乗せてもらうので不便ではない。徒歩が増え、体にいい。いいことづくしである。昔から「病は気から」と言う。何事も思いようだ。
 例えば、歩くことしかできない時、歩けることを感謝するか、走れないことを嘆くか。どちらがハッピーかは言うまでもない。現実を受け入れ、その上で「いいこと探し」を続けよう、と強く思った。床に落とした針から、いろいろ気づかされたのだった。”(4月27日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の主婦・関戸さん(75)の投稿文です。「いいとこ探し」、高齢者には特に必要であろう。何事もどんどんできなくなって行く高齢者、つい嘆きたくなるものであるが、嘆いていたらより辛くなる。できなくなって当たり前と受け入れ、そこでマダできることを見つけ喜ぶのである。努力してできることを増やすのも必要であろうが、もう限度がある。若い人には無限の可能性がある。歳とは言いたくないが、やはり歳には勝てない。その歳なりの生き方がある。
 ボクはどうだ、マダできることを探し求めている。無駄な抵抗、やせ我慢が過ぎるだろうか。今年、ボクが会長を務めるサロンで、骨密度、脳年齢、血管年齢の測定をしてもらった。いずれも60代前半であった。自宅の体重計で測る体年齢も60代前半である。この恵まれた体や環境を生かさない手はない。できる間はする、できることはする。生かされている、見守られている。感謝の気持ちでもう少し追求したい。


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