寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第2849話) 良いニュース

2019年10月04日 | 意見

  “テレビを見ながらぼくは思った。「きょうも悪いニュースばかりだな」と。みなさんも、そう感じたことはないですか?。新聞でも同じで悪いニュースばかりのような気がする。確かに今の世の中は事件や事故をはじめ悪いことばかりなのかもしれない。でも悪いニュースばかりだと、それを見たり読んだりするぼくたちはとてもいやな感じがしてきて世の中がどうしようもないものに思えてくる。もちろん悪いニュースを報じることで、この先反省すべきことは反省して、その結果、近未来が良くなるということだってあるだろう。
 ここで、もし良いことがニュースになっていたらどうだろう?。少なくともいやな気になる人はいないのでは?。マスメディアにはぼくたちの心を変える大きな力がある。少しは良いニュースも報じられないと、やり切れないと思うのはぼくだけだろうか。”(9月13日付け中日新聞)

 愛知県西尾市の小学生・平井さん(男・12)の投稿文です。これが小学生の意見だろうか・・・60歳の差があるのにボクと全く同意見である。一口にマスメディアと言っても様々であるが、テレビ局や大手新聞は様々な情報を流す必要があろう。社会的影響も大きく、その責任は大きい。しかし、作成者側は視聴率を上げ、販売部数を増やすことも大切である。そのためには興味も引かせることが重要となる。ところが今のメディアは、社会的責任より興味を引かせることが重要視されすぎていることはないだろうか。それが良いニュースより悪いニュースが多くなる要因の一つである。人間、他人の良いニュースより悪いニュースの方が面白いのである。ゴシップ記事の方が興味を引くのである。良い行為はニュースにならないと聞いたことがある。表向き人間は、良い行為をするのは当然で、悪い行為はしてはならないのである。してはならいことをするからニュースになるのである。
 ボクのこの「話・話」 は、良い出来事を取り上げることにしている。そういう目で新聞を見たとき、なかなか見つけるのに苦労しているのである。よい記事を見て、自分を反省し、少しでも参考にしようとする。まずは自分自身である、そしてそんな人があることを期待して掲載している。悪い記事を見て、自分も気をつけねばと思うことはあるかもしれない。でも、多くは批判して終わりである。そして他人の不幸は蜜の味である。


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