寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
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(第3121話) 卒業証書

2021年04月07日 | 活動

 “今年も卒業証書の筆耕依頼が来ました。当初は全く自信がなかった私ですが、取り組んではや四年になります。中学校から小学校、看護学校、保育園と、一月末からひたすら自分との闘いです。
 名簿を見ると、相変わらず読めない名前が並びます。いわゆるキラキラネームとは異なりますが、どう読んでいいのか分かりません。今年書いている子どもたちが生まれた頃の流行りは、翔、琉、菜あたりでしょうか。勝手に分析しながら適当に呼び名を付けて、その子を想像して語りかけます。証書を受け取る子の緊張と喜びを思いながら、心を込めて学籍番号、生年月日、氏名を書いていきます。
 普段書いたことのない文字は何度も練習してバランスを考えてスペースに収めるようにします。なかなか思うように書けず、反省の日々です。そんな中、今年初めて依頼の来た学校の名簿に、姪の娘の名前を発見して、実に感慨深いものがありました。こういったうれしい出会いがあるから楽しいのです。
 子どもたちに直接会う機会はない仕事ですが、一生に一度手にする一課程を終えた証しの書。そこに名前を書ける幸せは何物にも代え難く、依頼があって続けられる限りは書かせていただこうと思い、筆を進めています。(3月12日付け中日新聞)

 愛知県西尾市の主婦・村井さん(66)の投稿文です。こんな活動もあるのか、と改めて思う。今ならパソコンという方法もあろうが、その昔は手書きであったろう。卒業証書である。達筆であらねばならない。昔は達筆な人も多かったろうが、今や探さねば見つからないであろう。村井さんは4年前から始め、今年は新たな学校も増えたと言われる。そして、新たな学校の中に姪御さんの名前を見つけられた。別の喜びがあったろう。習字の達筆な人は余録も多い。今や貴重な余技である。
 ボクの檀那寺では、報恩講や永代供養の時、芳名者の名前を書き本堂に張り出している。ボクが神社総代を務めていたとき、書き手は90歳越の男性であった。いつ書けなくなるときが来るかも知れない。後釜はいない。ボクはそれを恐れ、密かにパソコンで書くことを試しておいた。そして、その時は突然来た。早速準備していたことを告げ、ボクがパソコンで仕上げて事なきをえた。それ以来、今もボクが始めた方法で続いている。
 筆で字が書ける人を羨ましく思う。習字塾へ通えるような家ではなかったが、小中学生の時に、習字塾へ通えれば良かったな、と今も思う。幸いに妻が50歳くらいから習い、師範も取った。妻に頼りっぱなしである。


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