寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第2787話) 奇跡の友

2019年05月16日 | 活動

  “昭和三十四年のことです。岐阜県の田舎にある本屋さんで買った月刊誌「少女」に、一通の手紙が入っていました。誰かのいたずらだろうか。しかし、あることに気が付きました。当時は文通ブームで、希望者が編集部に手紙を送り、それを次号以降の雑誌の間に挾み、発売する企画があったことを思いだし、納得しました。
 期待と緊張で、ワクワクドキドキです。読んで思わず感嘆。美しい文字と巧みな文章に感動したことを、鮮明に覚えています。何かに背中を押された気がして、返事を書きました。手紙は群馬県の小学六年生の少女からのもので、同い年。共感することが多く、月に二回程度のやりとりから始まり、文通の楽しさと面白さを次第に実感していきました。
 お互い結婚してからの悲喜こもごもの日々の中で、子どもや孫の話題などになり、今は一年に数通の便りと電話で、季節の移ろいや健康のことを話すのが中心です。流れゆく日常の雑事に追われる中で、癒やしのひとときです。全国で誰の元に届くか分からなかった手紙で、偶然に知り合った奇跡とも思われる不思議なご縁は、六十年たった今も続いています。”(4月27日付け中日新聞)

 名古屋市の寺沢さん(女・71)の投稿文です。奇跡と言われる通り、こんな話があるのかと思ってしまう。まず雑誌に本物の手紙が入っていることである。アナログ時代と言えこんな企画があったことに驚く。昭和30年代前半と言えば、電話も一般的ではなく、通信手段は手紙くらいであったろう。見ず知らずの人と交際する手段は、ほとんどなかった。そんな中、雑誌に文通希望者の名前が記載されていた。実はボクもここで名前を見つけて文通したことがある。実際の手紙が同封されているものがあったとは今まで知らなかった。そして寺沢さんはこうして出会った小学6年の同級生と、60年以上立った今も交際を続けられているという。文通希望者として名が載った人には、何通、何十通と届いたという。それとは違うのである。最初から1対1である。こういう話を聞くと人の縁とは何とも不思議なものと思う。でも少し考えて見ると、人生はこうしたものの積み上げであることに気付く。今交流している人一人ずつについて、どんなきっかけであったか、考えてみると面白い。きっかけは些細なことが多い。人生とは妙味のあるものである。


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