寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
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(第2908話) 最後の同窓会

2020年02月01日 | 活動

 “私が中学校教師になって二年目に受け持った生徒が昨年、喜寿を迎えました。四学級の学年でしたが、クラス替えはなく、担任も持ち上がりでした。当時、四人の担任のうち、私だけが独身でした。他の人たちはすでに鬼籍の人です。
 私が担任した三年A組は五十人のクラス。今では物故者九人、つれあいを失ったもの、体調不良を訴えるものも増えています。七十歳を機に毎年同窓会を続けていましたが、顔触れも人数も固定し、話題も乏しい。喜寿を迎える年に盛大に行い、最後の会にしようと話がまとまっていました。
 昨秋、その日がやってきたのでした。くしくもその月は私の誕生月で、八十八歳になったばかり。彼らは私の誕生日を承知で、米寿の祝いにと素晴らしい花束を贈ってくれたのです。私には彼らの喜寿を祝うものは何もなく、思い出の作文を書き配ったにすぎませんでした。
 会は近況報告に始まり、昔話に花が咲き、時のたつのも忘れる一日でした。最後はお互いの健康、家族の幸を念じつつ会を閉じました。思えば令和という記念すべき改元の年に、喜寿の生徒、米寿の担任が一堂に会することができた縁は、永遠に忘れられないでしょう。”(1月9日付け中日新聞)

 岐阜県美濃加茂市の牧野さん(男・88)の投稿文です。定期的にやってきた同窓会を、高齢になってどうするか、そうした投稿文をよく目にするようになった。そして、このように喜寿を機会に止める会もある。70歳とか80歳とか、何かの節目が機会になろう。
 実はボクも全く同じ気持ちを最近抱かされた。ボクは小学校も中学校も同窓会の幹事長(会長)をしている。平成18年から小学校は隔年、中学校は毎年開催するようにしてきた。来年は喜寿である。この投稿のようにこの機会に小学校は止めにしようかと思った。そして今年1月11日に小学校の同窓会を開催した。学年全員で32名の小さな小学校である。今年の参加者は15名であった。亡くなった、動けない、いろいろな状況を判断すると、この15名の他に参加しそうな人は2名しかいない。凄い出席率である。そして全く賑やかに楽しく過ごした。最初の挨拶で、ボクは今年で止めようかと、言った。ところが別れ際にボクが言った言葉は「ボクが健在である限り、これからは毎年にします」と言ったのである。今、言った自分に唖然としている。その時そういう気分にさせられたのである。この話のように喜寿ならもう1回である。毎年でももう10回はないだろう。あったら万々歳である。ボクはこう言ってよかったと思っている。もう少しの間頑張ろう。


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