寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3569話) エンドロール

2023年10月15日 | 出来事

 “「今週末に放映されるアニメの背景描いたから、名前が出るよ」と、都内で1人暮らしをしている娘からラインがあった。すぐに録画を予約した。数日後、私はテレビの前に陣取った。夫と息子は私の背後にいて、肩越しから画面に釘付けになっている。
 私たちはアニメにはまったく興味がないので、本編は早送り。どの場面なのか聞いても、きっとわからないから、それについては家に帰ってきた時にでも聞いてやろうと思っている。エンドロールだけが目的なので、息を詰め「まだかな」「最後の方だよね」「五十音順かな」とみんなでワクワクしていた。そうこうしているうちに、背景のアニメーターの名前はあっという間に流れて、見逃してしまった。
 「あれ?」「しまった」「あったっけ?」。そこであわてて巻き戻して、一時停止画面から娘の名前を見つけた。「おー」「すごいすごい」「ほんとにある」。私たちの興奮は、しばらくおさまらなかった。
 娘は自分の夢を叶えるため、ずいぶん回り道をし、都内での生活費にも苦労はしていても、一歩ずつ進んでいるのだった。一時停止は、なかなか解除できそうにない。いつか映画館でエンドロールを観たいと思っている。”(9月21日付け中日新聞)

 愛知県瀬戸市の主婦・吉田さん(63)の投稿文です。エンドロール、この言葉は知らなかった。読んでみておおよそは想像がついた。調べてみれば「映画やテレビなどで,映像作品の最後に出演者・制作者・協力者などの氏名を流れるように示す字幕」とある。最後の早さは読み取れない。吉田さんがまさにそうであった。こんな読み取れないものに意味がるのか、いつもそう思っていたが、関係者となるとまた違ったのである。一瞬でも写ると感激なのである。
 そしてボクはいつも思うのである。主役や大きな役の人は、1人、また2人、また数人で冒頭に延々と紹介される。あの長さはたまらない。そして分かっている人が多いのである。この部分はもう少し短縮して、エンドロールの方にもう少し時間を取って欲しいと思うである。エンドロールに出てくる人は知らない人が多い。そして読み取れない早さである。流すならある程度読み取れるものにしないと意味がないのではないか。制作側の意図、慣習もあろうが、ここは一考してもらってもいいのではないかと思うのである。