木をプラスティックや鉄と同様に単なる素材のひとつとして扱って、
「森なんざ無くたって食っていけらぁ!木なんか無くたって子供は育つわい!」
なんて森や木に畏敬の念を持たない人が増えたら、結果、先人に感謝の気持ちを持たずに、
敬老の念無き人が随分と増えてしまいました。
それが千年を超える歴史の「木を植え続けてきた国」のわずか最新版30年あまりの現在ではないでしょうか。
まだ稲作の無い、木の実を重要な食料にしていた頃の日本書紀の中にも、木種播きの条という文章があり、
「山に種をまきなさい。八十種類の種を播きなさい」という神様の言葉がでてきます。
それほど昔から我が国は木を植えて、その恩恵に預かるだけじゃなく、その木に触れる事によって
先人への感謝と自分がやらなきゃならない次世代への貢献というモノを明確化してきたんだと思うんです。
だから現状の荒れた我が国の森林の再生がかなうという事は、人間の再生もかなうという事です。
僕らは豊かな再生かなった国土の森林を見る事はかなわないだろうけど、
その頃には生きちゃいないだろうけど 「あの頃の人達が行動したから今の豊かな森があるんだよな。」
って声を草葉の陰で聞く事はできるだろうから、見れなくても頑張り続けましょうね。ではまた。 (加藤)
「森なんざ無くたって食っていけらぁ!木なんか無くたって子供は育つわい!」
なんて森や木に畏敬の念を持たない人が増えたら、結果、先人に感謝の気持ちを持たずに、
敬老の念無き人が随分と増えてしまいました。
それが千年を超える歴史の「木を植え続けてきた国」のわずか最新版30年あまりの現在ではないでしょうか。
まだ稲作の無い、木の実を重要な食料にしていた頃の日本書紀の中にも、木種播きの条という文章があり、
「山に種をまきなさい。八十種類の種を播きなさい」という神様の言葉がでてきます。
それほど昔から我が国は木を植えて、その恩恵に預かるだけじゃなく、その木に触れる事によって
先人への感謝と自分がやらなきゃならない次世代への貢献というモノを明確化してきたんだと思うんです。
だから現状の荒れた我が国の森林の再生がかなうという事は、人間の再生もかなうという事です。
僕らは豊かな再生かなった国土の森林を見る事はかなわないだろうけど、
その頃には生きちゃいないだろうけど 「あの頃の人達が行動したから今の豊かな森があるんだよな。」
って声を草葉の陰で聞く事はできるだろうから、見れなくても頑張り続けましょうね。ではまた。 (加藤)