a letter from Nobidome Raum TEE-BLOG

東京演劇アンサンブルの制作者が、見る、聞く、感じたことを書いています。その他、旅公演や、東京公演情報、稽古場情報など。

いよいよ、『シャイロック』!!

2011-08-28 22:36:13 | 東京公演


いよいよ、
9月9日に初日を迎える『シャイロック』。
イギリスの劇作家アーノルド・ウェスカーが、
シェイクスピアのあまりにも有名な代表作『ヴェニスの商人』を、
言ってみればアダプテイションしたのがこの作品。

『ヴェニスの商人』で、
悪徳高利貸しとして登場するシャイロック。
もはや世界中で、“シャイロック=悪徳高利貸し”と言われている。
それほどまでに、印象的に、
このユダヤ人は描かれている。
16世紀のヴェニスでは、
ユダヤ人は差別を受け、
職に就くことも許されず、
行きつく先が高利貸しだった。

こういう戯曲が書かれ、ある意味支持されるというのは、
いわば、ユダヤ人に対する、
ある種の共通認識があったということだ。
それは差別が許された過去の時代。
アーノルド・ウェすかーは、
自身がユダヤ系の血筋であり、
この差別に満ちた戯曲を書き変えたのだ。

それが、
『シャイロック』。
1976年の初演から、
10回の改稿を重ねた、
“悪徳高利貸しシャイロック”を払拭する戯曲。
ウェスカーが描き出す16世紀のヴェニスは、
階級、差別、私利、私欲に満ちた時代。
その中で、
ユダヤ人高利貸しのシャイロックは、
親友の商人アントウニオと、
理不尽な法律をからかう証文を交わした。
しかし、そのことが、
思いもよらない展開を起こしてしまう……。

ウェスカーの描くヴェニスの人々は、
そのまま人間である。
ある時代の閉塞感の中で、
それぞれ、野心とともに、
生きようとする人間たちでもある。

いま、
この作品を選んで良かったと思う。
社会の構造が、人の価値を決めるのではない。
一人ひとりが、どこに歩みを進めるのか、
決めなければならない……。


PS
次は、出演者の紹介をしていきたいなぁ、と……。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

東京演劇アンサンブル公演
シャイロック

2011年9月9日~19日
ブレヒトの芝居小屋
http://www.tee.co.jp/stage-shoukai-image/shylock/shylock.html

9/9(金)19:00
10(土)14:00
11(日)14:00
12(月)休演
13(火)19:00★
14(水)19:00
15(木)19:00
16(金)19:00
17(土)19:00
18(日)14:00
19(月)14:00

一般前売=3,800円
学生前売=3,000円
★=Low Price Day=2,500円
当日=4,500円

PCから申込 http://www.tee.co.jp/ticket-web.html
携帯から申込 http://www.tee.co.jp/ticket-yoyaku-getti.htm
電話で申込  東京演劇アンサンブル劇団事務所 03-3920-5232
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夏フェス……喜多方!!

2011-08-12 09:34:46 | The Play for Children & Young People
続いては、喜多方の報告。
これまた昨年は一人で参加したのですが、
それは、
言ってみれば観客。
しかし、今年は、『銀河鉄道の夜』の公演で参加しました!!
震災により開催も危ぶまれ、
開催できても縮小規模ということで、
あきらめていたのですが、
実行委員会や関係者の皆さんの努力のおかげで、
例年通りの規模で開催することができました。

僕たちは、2泊3日で参加。
できるだけ多くのほかの作品も観ようということで、
時間いっぱい滞在しました。
宿の人たちもあたたかく、
劇団員は、隙を見ては、喜多方ラーメンを食べたり、
メインのフェスティバル以外でも、
楽しむことができたようです。

毎日、
喜多方プラザで交流会があるのですが、
そこでも、普段なかなか交流できない俳優どうしや、
ジャンルを超えた人たちでにぎわい、
地元の人たちやおやこ劇場の人たちと、
楽しく交流できました。

大ホールをフルに使っての公演が、
毎年行われているわけではないので、
そういう意味でも歓迎されているようでした。
何しろ、見に来たお客さんに、
主催のボランティアの割合が多いこと!!
嬉しい限りです。

まだまだ春からスタートしたばかりの『銀河鉄道の夜』ですが、
終演後に交流会で、いろいろ話すことができて、
これもまた若い旅班にとって大切な経験になるでしょう。

喜多方発21世紀シアターは、
町を挙げてのフェスティバルは、
どこにいても、その雰囲気を感じることのできる、
日本でも稀有なフェスティバルです。
アーティスト同士が作品を見合い、交流する。
お客さん同士も交流が生まれ、
お互いに毎年喜多方で会っているという人たちもいる。
ボランティアもまた中学生以上から参加でき、
毎年参加しているベテラン然とした高校生もいる。
そういうこと全部が、なんだかおもしろい。

僕自身も、
おかけで今年は、
一緒に呑み、
顔見知りとなった人たちが増え、
また来年も会いたいな、と思えるものとなった。

来年は8月の1週目の土曜日から火曜日とのこと。
今から予定してみてはいかがでしょうか?
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夏フェス……岸和田!!

2011-08-10 14:02:02 | The Play for Children & Young People
一昨年に参加して、
『批評対話』との衝撃的な出会いから2年、
ようやく参加することができました。

8月3日~5日の3日間。
『ラリー ぼくが言わずにいたこと』の上演をしました!!
まずは、満席の客席。
フェスティバルの中で、
高学年向きの作品がほとんどなかったことで、
多くのお客さんが来てくれたようです。
それに加えて、創造団体も。
これは緊張しますよね~。

客席はとにかく静か。
僕は途中からしか見れてないのですが、
とにかく見ることへの集中、を感じました。

ラリークラブのとあるシーンで、
前日のプレジャーBの公演でいただいた、
あるものを使わせていただいちゃいました。
こういうのは、
フェスティバルならではかな、なんて。

大阪では久しぶりの東京演劇アンサンブルの公演。
正直、慣れてない、というか、
僕らの演劇のスタイルに多少の戸惑いはあったようです。
けれど、『ラリー』班は、積極果敢に、やろうとしていることをした。
普段の学校公演とは違う反応。

終演後のお客さんの反応も様々で、
いろいろとお話ししました。
感想文も半分くらい読ませていただき、
予想通りの部分もあったかな、と思います。
そんな思いを胸に、翌日の『批評対話』にのぞみました。

日本人だけの『批評対話』ということで、
これまでとの違いを楽しみにしていました。
ただ、1時間半で3作品という、
短い時間のため、
正直物足りなかったのが感想。
もう少し突っ込んだ話が聞けるかな、と思ったのですが、
なかなか難しかったです。
それでも、多くの時間を僕らのために使ってくれて、
ほんと、うれしい限りです。

東京演劇アンサンブルの演劇論というものが、
やはり得意なものであり、
それが何なのかを話していくと面白いはずなのですが、
堂も否定的にとらえて話すことがあって、
残念でした。
すべてわかりやすく、感情過多に演じることが、
演劇ではないと僕は思うのですが、
いかがでしょうか?

僕らは日常の仕事をしているので、
そこに何の疑問もないのですが、
なんだかその部分がちぐはぐになってしまいました。
最初に、
「10代の感想に難しかったというのがあり、
面白かったというものがあった。
一方、60代で難しいという人と、
感動したという感想があります。
この難しいということをどう考えるのか、話したい」
ということで進めようと試みてくれたのですが、
結局その話にはなりませんでした。
その部分で、突っ込んで話せると、
僕らがやろうとすることが、より分かってもらえるし、
それだったら、あそこはどうだろう、
というような展開になったかもしれないな、とも思いました。

それでも、久しぶりに大阪で公演をし、
他の創造団体とも出会い、
九州や、中・四国、北信越からも観に来てくれて、
また、東京演劇アンサンブルの作品を知ってもらえて嬉しかったです。

惜しむらくは、
一緒に呑めなかったなぁ、ということが残念です。
でも、
また、新たにいろんな人に出会えて、
そういう貴重な出会いが、
フェスティバルの魅力だな、ということも感じました。
だって、
来年も出たい、と思ったもんね。

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『銀河鉄道の夜』in 喜多方発21世紀シアター

2011-08-06 17:28:33 | The Play for Children & Young People
いよいよ明日になります!

『銀河鉄道の夜』
8月7日
13時半開演
喜多方プラザ大ホール

初めて参加することになりました。
喜多方の町をあげてのフェスティバル。
昨年訪れてから、
劇団のみんなと参加したいと切望した一年でした!

長かったです。
紆余曲折がありながら、
明日本番を迎えることになります。

被災者の方々の招待もけっこう出ているそうなので、
少しでも何か持ち帰ってもらえたらなぁ、
と思います。

まだ残席はあるそうなので、
喜多方ラーメンと蔵の町へ、
ぜひ足をお運びください。
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批評対話2011 3日目 イソップぬちぐすり/アートインAshibina

2011-08-03 12:01:20 | The Play for Children & Young People



イソップぬちぐすり/アートインAshibina/代々木オリンピックセンター・リハーサル室

脚本・演出 西田豊子

出演 佐藤大 下川瑠美 翼純子 高橋秀明


例のごとく、
まず最初にWhyについて。
劇の背景を知りたいことと、なぜこの作品を選んだのか、ということ。

今回の上演は、
イソップの童話の中から、
4つの物語が展開するオムニバス。
数ある童話の中から、
なぜ、この4作品を選んだのか、
ということからはじまった。

それに対して、
テーマとして、いかに生き抜くか、
命の絶壁のやりとりがあるような作品を選んだ。
そして、あまり知られていないもの。
また、小さい子たちから見られて、
大人にもきちんと味わい深く伝わるもの。
緊張感のあるテーマを、
ユーモラスに簡潔に伝えられるもの、
という答えでした。

次に、デンマーク人講師から、
では、この4つの作品は、
なぜこういう並びと、つながりにしたのか、
という質問。
つまり、1つ目と2つ目の作品では、
作品のチェンジが行われるが、
3つ目と4つ目のつながりは、
前を引きずっているというか、
変わり方がそれまでとは違っていた。
その意図がなんなのか、という質問だ。

これも、この3日間デンマーク人講師がこだわっている、
意識下で行われていることなのか、
無意識下で行われていることなのか、ということ。

この作品は、
導入部やつなぎの部分で、
観客と同じレベルを共有するものが提示される、
そこから、物語に入っていくのだ。
言ってみれば、
俳優が2つのレベル(質ではなく)の演技をしていることになる。
そこで、講師が聞いているのは、
全体を通して意図する第3のレベルの意識したものはないのだろうか、
ということでした。

これについては、
まだ、そこまで作品が成熟していないということで、
挑戦している段階にあるということが話され、
それは、また、作品の未知の可能性を感じることでもあった。

そして、Howについて。
簡素化された舞台の中で、
使われた道具は脚立のみ。
その脚立を様々なものに見立てて使っている。
例えば、エレベーターはないが、
火は本物らしいものは使われている。
その選択についてが質問された。
それに対して、
平面で奥行のあまり舞台で、
高さの違いがほしかった。
それに脚立を使った。
想像力に委ねる部分と、
具体的に提示する部分、
迷いに迷って、今選択しているのがこれ、
という、何とも潔い答え。
ほかの可能性を考えつつも、
今の、全体のプロポーション、
俳優との共同作業の中で、そういう選択をしたのだろう。

また、もう一つ、この作品で語るべきは、
時間のジャンプについて。
イソップの童話そのものは、古典ともいえる作品群であるが、
表現の中に、
例えば、メールや携帯など、
現代的な表現が使われていることがある。
その選択についての質問がされる。
これには、
観客との距離が近づくかな、と。
エンターテインメント的な要素として、
舞台と観客を近づけるためのジャンプを使った。

その答えを聞いて、
デンマーク人講師が言っていたことがとても印象的だった。
「まずは、アーティストの選択に敬意を表しましょう」
この一言は、
非常に示唆に富んで、
いろいろな意味で励まされるものだった。
そう、いつでも作品創作には選択の瞬間がある。
自信を持ってできる場合もあれば、
その選択が、挑戦的である場合もある。
そしてそれが、必ずしも観客との合意が得られるわけでもない。
演出家や、俳優は、
常にその狭間を揺れながら、作品創作を続けていくのだ。

最終日の『批評対話』では、
作品の構造の問題。
そして、様々な選択についてが語られた。
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批評対話2011 2日目 ドーナツ池のひみつ/劇団如月舎

2011-08-01 23:30:40 | The Play for Children & Young People



ドーナツ池のひみつ/劇団如月舎/代々木オリンピックセンター・リハーサル室

作 阿部夏丸(『ライギョのきゅうしょく』(講談社刊)より)
脚本 りさへ
演出 杜招徳

出演 開藤幸司 寺田和子 村上一弘 渡辺慶子 川西智也 森山悠太



まずは導入に劇団の紹介があり、
最初の質問はこの作品は教育的な作品か、芸術的な作品か、
ということでした。
言わばWhyである。

これには、どちらかというと非教育的とみられることが多い、
との答え。
しかし、デンマーク人講師たちは、
教育的な印象があったという。
(ちなみに僕も、そして、ほかの参加者も同意していた人が多かったようだ)
特にプロローグ。
先生役の俳優が、
池の中での生態系の話をし、
非常にリアルで、エコロジカルな話も交えて導入部があった。

ここで話題になったのが、
舞台と観客との合意の問題だ。

物語は池の中にある魚の小学校。
魚を含めた生態系の食物連鎖のシステムが語られ、
一方でそれを表現するために、
ありもしない魚の学校を使った。
このことを、どのように観客と合意しているか、
言い換えれば、
作り手が思うように観客が合意してくれるか、
ということだ。
その部分が伝わりにくかった。

例えば物語の中で、
いくつか選択肢があり、
選んだその選択肢がどうだったか、ということだ。
食物連鎖や、弱肉強食の厳しさや、
それでも元気に生きてほしいという願いなのか、
その世界観が人間の子どもを取り巻く状況に移し替えているのか、
どういう風にも取れてしまう危うさがあった。
そして、
レクチャーではなく、芸術として子供に届けるということや、
教育性と芸術性・娯楽性のバランスということについて語られた。
劇団側は、
「観終わった後に、勉強になったというよりは、
楽しかったと言われたい」ということだった。
しかし、それでは、どういうバランスを取りたかったのか、
ということと合わない気がした。

次に話されたのが、
Howの部分、どのような脚本の構造か。

とても端的に言ってしまえば、
イントロダクションがあり、
幼馴染との生態系の違いというジレンマがあり、
それでも違いを認め合おうということがあり、
ただ、元には戻れないということを知り、
解決されていく、
という構造だ。

問題とされたのは、
どこがNo Returnとなった部分か。
ここで興味深いには、
観客からは様々な意見が出たことだ。
食物連鎖を学んだところ、
小さい魚が食べられるところ、
ラストのところ、
それでも2匹は生き残ったというところ……等々。
前述の討論の展開を受ければ、
この部分に合意が得られていないともいえる。
そして、これは、
俳優たちも微妙に違っていたりもする。
もちろん、狙ってそういうこともあるだろうが、
やはり物語としては、
大事な部分である。
俳優の役作りが、
観客にどう影響があるか、
どういう効果があるかということで、
無意識でやられていたことを発見することになった。

役作りに関して、
俳優たちの答えは明確で、
例えば「元気に」であったり、
シンプルであった。
しかし、そのキャラクターが、この作品の中で、
どのような役割があり、
どのような効果があるのか、
ということはあまり意識されていないようだった。

最後に主演の俳優が、
照れ隠しもあったと思うが、
今日のような大人ばかりの観客ではなく、
反応がはっきりある大阪での子どもたちの前での公演の方が楽しい、
ということを話していた。
すごく率直な感想だと思う。
しかし、一方では、
彼の未来を憂いてしまったのも事実だ。

2日目には、
観客との合意、
意識的なキャラクター、
ということが中心に話されました。
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批評対話2011 1日目 バイセクル the bicycle/人形劇団ひとみ座

2011-08-01 00:59:12 | The Play for Children & Young People
今年も昨年に続き、
児演協では、デンマークから2人の講師をお呼びして、
『デンマークの批評対話を学ぶ』を行いました。
1人は、一昨年岸和田でお会いしたピーターさん。
もう1人は、来日は6度目というヘンリックさん。
3日間の短期集中ですが、
記録をしておこうと思います。




バイセクル the bicycle/人形劇団ひとみ座/代々木オリンピックセンター・小ホール

原作 エドワード・ゴーリー
構成・演出 石川哲次・友松正人

出演 齋藤俊輔 冨田愛 木俣かおり 勝又茂紀 長倉理沙 亀野直美



批評対話1日目。
この作品は、
3つのパートに分かれており、
それが重層構造的に行き来しながら展開している。
また、セリフのない人形劇ということで、
デンマークからの2人の講師にも、
アプローチしやすいのでは、ということで取り組むことにした作品です。

最初の質問は、
どうして(Why)この原作を選んだのか。
そして、どのように(How)人形劇にしようと思ったのか、
ということでした。
基本的にこの3日間は、WhyとHowのよって対話することになる。

答えるのは、2人の作家兼演出家。
それぞれで、3つのパートを担当したとのこと。
とても特徴的な絵本を書いている原作者ということで、
演出家自身が求めていた世界観に似ていたからだ、ということ。
ずっとこういうテーマというか、世界観を持った作品を探していた。
それは、原作絵本が、
ストーリーがシンプルであり、作品世界が支配されてしまわないことのないもの。
絵と絵をつなぐものが読者に委ねられている。
そして、無言劇のとして成立しそうだったので、
今回のセリフのない人形劇という手法を選んだ。

この3つのパート、
主旋律はタイトル通り、“自転車の話”。
そして、この自転車の話を書こうと苦悩する“作家の話”。
で、間に挿入されるのが“プルーンピープルという話”。
物語は、“自転車の話”と“作家の話”を行ったり来たりしながら進み、
後半途中に“プルーンピープルの話”が入ってくる。
この物語の間をジャンプするというのが、
ひっかかってくる。

ここで、新たな質問。
何を描きたかったのか?
実にシンプルな問いに、
端的な答え。
「2人の子どもの生きる力を描きたかったのだ」と。
これはわかる。
つまり“自転車の話”がやはり主旋律であるのだ。
にもかかわらず、
その印象が薄いのが気にかかった。
そして、核心に迫る質問となる。
誰に見せようとしたのか、ということ。

この作品は、
もともと大人向けに作った作品だった。
それを香港の国際フェスティバルで上演したところ、
「なぜ、子どもに見せないのか?」
と問われたという。
それをうけて、子どもに見せられる形にしようと手を加えたのだ。
間に挿入される物語も、
以前のものは少しシビアすぎる内容だったため、
“プルーンピープルの話”に変更した。
そういう意味での未成熟さがあったのか。

さて、もちろんそういうこともあったのだろうが、
デンマーク人講師の2人が対話したかったのはその部分ではない。
大人向け、子ども向けによって、
作品創作の姿勢が変わってしまったのか、ということだ。
そしてそれに関しては、演出の2人よりも、
出演者の2人が、明確に答えていた。
それで変えることはない、と。
だとすれば、少し戻ることになるが、
主旋律にある“子どもをどう描くのか”ということになる。
大人が子どもをどう見ているか。
もっと言えば、芸術家が子どもをどう見ているか、ということだ。

出演者の2人は、
子どもを演じるのではなく、
自分の中にある子どもの心を表現した、
というような言い方をしていた。
それもまた、明確な答えだと思った。
創作された作品について、
対話の中で、言語化していくのはとても難しい作業だ。
アーティストにしてみれば、
言いたいことは作品ですべて語っているはずで、
それを後出しで説明して理解してもらうというのは、
じつは、恥ずかしく、つらいことなのだ。
にもかかわらず、
今回は、参加した方々からは、
参加して作品をより理解できた、という声が多く聞かれた。
そのことを真摯に受け止めるとしたら、
この作品が、まだ、さらに、進化することのできる作品だと言うことができる。

たしかに、
最初に演出家の話に合ったように、
観客の想像力に委ねる形で、提出されている作品ではある。
しかし、たとえセリフのない人形劇であっても、
人形たちは雄弁にその物語を語り、
彼ら自身を語っているのである。
それが演出家の意図するものであれ、
意図しないものであれ、
観客は何らかの意思を感じることになる。

デンマーク人講師の2人がこだわったのは、
この演出家の演出が、
意識的であったのか、
無意識的であったのか、
ということなのだ。
観客対象が変わろうと、
どんな複雑な構造の戯曲であろうと、
作り手の狙いが意識的に表現されているのかということが大切だ。

「批評対話」初日、
原作の扱いについて、
大人が子どもをどう見るかについて、
創造者の意識的な表現についてが語られました。
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