Teddy+tのソルトスプリング島便り

バンクーバーからソルトスプリング島に引っ越しました。
島の風景を主にUPしていきます。

結婚式を終えて。

2007年04月09日 | Weblog
妹の結婚式がやっと終わって向こうの両親も家の両親もほっとしました。
私達も今回の旅の大イベントが終わったのでほっとしました。
これからは、ちょっと自分たちの所要を何日かに分けて終わらせるだけですが
それは想像していたのと違って割とたいへんでした。
それはちょっとここではまだ公表出来ないのですが時期が来たら
出来る時がくるかもしれません。

さて,式が終わって妹達は3泊4日の温泉旅行に出かけ戻ってきました。
何年か前の春に帰って来た時に,西都原古墳の菜の花畑と桜を見に行って,感動していたので
また、今度はGにも見せてあげたいと思い,妹夫婦を誘って,見に行ってきました。
菜の花は満開状態でしたが,桜は3部から4部咲きくらいでした。
天気が良くて気温も高かったんですが,黄砂で山々が霞んでいて遠くの景色は今ひとつ。
義兄弟になった記念に花畑でスマ~イルの男達。

この後お土産売り屋さんを冷やかしがてらトイレ休憩。
と、そこで、また私は目の前で人が倒れるのを見てしまう。
結婚式の時に2度あることは3度あるっていうけどまさかね~と思っていた矢先の出来事。
倒れた人はおばさんで周りに何人も人がいて(多分親戚か友達)彼らが
大丈夫か?と聞いていて、おばさんが”大丈夫じゃない”というのを聞いてしまった。
どこからか男の人が来て,助けていたので私はもうそのまま,トイレの方へ行ってしまったんだけど
トイレを終えて帰って来てみたらもう誰もいなくなっていたので
その後どうなったのか分からないけど、なんだか、自分の状況に可笑しくて
笑ったらいけないんだろうけど,笑ってしまった。嘘~ッと思ったし。
Gに言ったらさすがに吃驚していた。おばさんはどこも怪我してなかったし
もしかしたらつまずいただけかもしれないので、なんでもないと思うことにしようと思った。

後日仲の良い親戚にその話をしたら、倒れて怪我した人もいるけど皆まだ生きてるから大丈夫と
変な慰められ方をされてしまったが、自分が疫病神のような気がしなくもなくて
もう、なにも起きませんように!と思ってしまった。(でも、最後の最後にまあ,結果的には何事もなかったのだけど
貴重な体験をすることとなる。)

さて、花畑を満悦した後は、博物館へ行き(この考古学博物館が凄く充実している)
帰りに遅いランチを食べて帰途につく。
妹達が,新居を見せてくれるというのでお言葉に甘えて見に行く。
建って1ヶ月の平屋の貸し家。新しい畳の匂いとか真新しいフローリングとか
買いそろえられた家電製品とかが、これから始まる新生活にとてもふさわしくて
あ~ほんとに一から始まったんだな~現実なんだな~と感じました。
2LDKで広いし、Gと今度から泊まれる所が増えて良かったねと密かに言い合い
ゴン太(実家のダックス)に吠えられることもなく、穏やかな日々が送れる
将来のことを思い気が安らぎました。ぷぷっ。

義弟のお父様はやはり木工をやる方で、家具はほとんどお父様の手作り。
素晴らしかった。とくにコーヒーテーブルは。
お父様はGの木工好きをすでに知ってらっしゃたので
その後、実家の一枚板の大きなテーブルを見せてくださり
Gはとても感激していました。



結婚式

2007年04月09日 | Weblog
24日は、雑事でバタバタと過ぎて行く。結婚式の準備等も含めて。
なんというか妹独身最後の晩餐なのだが、いつものように淡々と過ぎて終わりであった。
こんなものだよなと思う。特別なことがあるわけでもなく。
私みたいに遠い所へ嫁に行く訳ではないし、住むのも車で10分くらいの所なので
便利である。実際嫁に行って新婚旅行から帰って来た2日後には
家でご飯食べてたし。(だんなさんは夜勤なので)
家の親もいろんな物を持たせるので、食料事情は良いだろうと思われる。
いいな~いいな~。

さて、結婚式当日ですが、お式は午後だったので午前中はゆっくり(といっても大阪や福岡から親戚が集まるので
そんなにゆっくりできませんでしたが)で、お昼から髪結いと着付けに母親と行きました。
Gは後から父や兄達と会場入りしました。
花嫁の控え室に行くと和装のお嫁さんの格好をした妹がしずしずと座っていて
お~!!というかんじ。なんだか他人事のようで“ア~花嫁さんだわ”とか思っている私。
母親も実感がわかずにいるらしい。二人とも言葉なし。っていうか何話したか覚えてないし。
そうこうしてるうちに、御式に出席する人を呼びに来たので皆で神前式の場へ向かう。
G初めての席なので、緊張してるかと思いきや、全然してない。
写真撮ってるし。滞りなく式も終わり写真撮影。
家は本家なのでとにかく親戚が多く凄い数。多分写真の半分以上は家の親戚一同ではないかと思う。
だんなさん側のテリトリーにズンズン入って行ってたし。
うちの父親が皆入れ~、まだ入るまだ入るとか勝手に言ってて気が気じゃなかった。
嫁側がしゃしゃり出てどうするって感じ。
写真撮影も滞りなく終わり会場へ。ほっと一息。
私達は末席なので、もうどうでもいいかんじ(とか言っては行けないのだけど実際どうでもいいかんじでした。)
出されたお料理がとても美味しく(さすが料理で選んだだけあって)Gとバクバク食べる。
その合間に写真撮影をするのも忘れない。ここぞというときだけ。
その辺りはちょっと身を引き締めて(といってももう帯で充分に引き締められてるので苦しいのだが)、頑張る。
Gも、誰が誰だか良くわからないのだが、愛想良く挨拶していて、さすがビジネスマンと思う。
実際この人は誰でしょう?という方もいてGに”誰?”と聞かれても分からないこともあった。
ただ単に外国人が珍しかっただけかもしれない。
お色直しが2回あり、和装の時は母親が、洋装の時には私が、花嫁の手を引き会場を後にする役を頼まれていた。
母親はスタッフの人に
一礼を,所要の所で一回ずつ3回します。こことあそことあそこです。といわれていたにも関わらず
ず~っとぺこぺこしながら歩いていてスタッフの人は苦笑いをしていてちょっと恥ずかしかった。

洋装のお色直しの最中に,何人かが歌を披露する時にそのショッキングな事故は起こってしまった。
私達の末席の前にカラオケが置いてあるステージがあってそこで
歌ってた人が倒れてしまった。怪我がひどくて救急車で運ばれたのだが、骨折と手術で1ヶ月以上の入院らしい。
まさに私とGの見てる前だったので吃驚してしまった。
幸い妹の知り合いの看護師さんもいたのですぐ対処してくれたので良かったのだが
Gと思わず顔を見合わせてしまった。式はそのまま続けられて何事もなかったように
また、別の人が歌を披露してくれて式は最後まで無事に終わることが出来たので
良かったのだが、なんと言っていいのか言葉がない。妹夫婦は心配で何回かお見舞いに行ったとのこと。

さて、妹が最後に感謝の言葉を読んだとき、とめどなく涙が流れてしまった。
それは、ほんとに良かったという思いと名字がもう家の名字では無くなったという思い
離れてしまったんだなという思い
いろいろあるけど、ほんとの所はどこなのか自分でも分からないのだけど
たくさんの気持ちが混じって,涙が流れたんだと思います。
お婿さんは、ほんとに良い人で良かったと思う。ご飯食べ過ぎないようにしなければ。

さて,すべては終了して,母は妹の出産時の体重そのままの熊のぬいぐるみを抱え(新郎新婦からのプレゼント)
父は花束を抱えて私達と一緒に家に戻ってきました。
式も終わってこれから静かにお茶でも飲んで寝るかな~というところですが
何せ親戚一同(凄く多い)が集まるのはこんな時くらいしかないので、皆がうちに集まることになってるのは
当然のようなこととなっており、静かに御休みになる訳にはいきませんでした。
宴会は深夜まで続き、台所仕事が忙しいのに”通訳~通訳~”と私の名前はいつの間にか通訳と
なっていてもう誰も私の名をちゃんと呼んでくれる人もいなくなってました。




横浜みなとみらい

2007年04月09日 | Weblog
翌朝はまたまた早起き。
昨夜は帰って来たのが11時近かったのに。
今日は宮崎に帰る日。朝10時の飛行機で。みなとみらい、なんという駆け足だったことよ。
みなとみらいのみなくらいまでしか見なかったような気が。。。(寒い)
おいしい朝食をたっぷりと食べて羽田へ。
電話連絡するはずだった人達にも電話出来ずに横浜を後にする。
ほんとにごめんよ~。

宮崎。フェニックスが見えるとあ~帰って来たなと思う。
家族は皆忙しい身の上なので、電車で帰る。久しぶりに日豊本線に乗った。
高校の時を思い出し、しみじみする。あの頃は高校の寮に入っていて
週末ごとに電車に乗って実家に帰ったものだったな。実家に帰る時はうれしかったけど
寮に帰って来る時はさみしかったよな~とか思う。
遠い昔のことだ。でも、あの時の心境は蘇る。
駅に着いたら両親が迎えに来ていた。
帰るといつも”お帰りなさい”と言われるがそれはとてもうれしいことである。
”いらっしゃい”とか言われたら寂しいな~と思う。
もう、嫁に行った立場なのでそんなこと言ってられぬことは分かっているが。

夕方まで片付けやお土産の整理買い物などでバタバタ。
夕飯は甥っ子達も集まって焼き肉をする。
父親と妹は庭で、独身最後の父子の語らいをしながら火鉢に炭を入れて炭焼き肉をしていた。
と言ったら、そうか~としんみりするが、実際の所私達が家の中でホットプレート使って焼き肉してたのに
炭焼きという一番美味しい所を2人でこじんまりとやり、バクバク食べていたので
食べ盛りの甥っ子達は、ムッとしてたかもしれません。その証拠に
デザートのケーキを”これは私の絶対!”と宣告していたにもかかわらず食べられていました。
Gこの日も早々とお休みになる。8時半には寝てました。


横浜みなとみらい

2007年04月09日 | Weblog
翌朝は快晴、気持ちのよい青空が広がっている。
しかし、時間はまだ6時すぎ。こんなに早起きしたのは何時のことだったか。
Gは朝から機嫌が良く昨日文句を言ってたことなど忘れたようだが、出かける時にまた思い出していて
”なんで鍵がひとつしかないんだよ!”といってたが聞かない振りをした。

朝ご飯を食べに行こうと出かけたが、こんなに朝早くからやってる所等どこにもなく
ここはバンクーバーみたいに朝早くからやってるコーヒーショップとかないんだよと諭す。
結局は馬車道から氷川丸、コスモロックをぐるりと回って帰って来る。
良い朝の散歩であった。お腹が適度に空いたのでホテルのレストランで朝食。
ココのレストランの朝食はバフェでいろいろと種類も豊富で美味しかった。高校生が学校前に食べに来たりしていたし
泊まり客じゃない人達もいた。
私達も続けて2日間ここで食べる。

今日はみなとみらい散策。といっても赤煉瓦倉庫やワールドポーターズへ行き、なぜか海上警備隊のミュージアム見学
そして、コスモロックに乗る。コスモロックに乗る時Gが少しびびっているのが面白かった。
高所恐怖症らしい。
夕方は久しぶりに会うmちゃんとjちゃん一家のお宅へ招かれている。
最初mちゃんとロビーで待ち合わせ。全然変わってないし。
美人さんはいつまでたっても美人さんなんだな~としみじみ思う。
京女らしいお土産もいただきどうもありがとう。
遠い所から来てくれてありがとう。

しばらく話してたらjちゃん登場。まったく変わってない。
前回も同じ所であったし。その時は妊娠していて今の倍くらいあったが
すっかり元に戻っていてほっそりしている。そして、あの明るさ健在。
jちゃんの豪華なワゴンでアーバンなお家へ向かう。
Gの英語に堂々と日本語で切り返してるjちゃん。昔うちに”御留学”していたこともあるj。
すっかり忘れてしまったらしい。一緒にハワイにも行ったのに。
てっちゃんとサーヤのお世話に毎日頑張っているj。忘れてしまっても仕方があるまい。

さて、Jちゃんは今日仕事だったにも関わらず、私達のために夕飯まで作ってくれた。
てっちゃんはパンまで焼いてくれてほんとにありがとう!!
でも、パンを食べた記憶が私にはないのだけれど。。。

しばらく会ってなくてもすんなりと昔のままのころに戻れる友達っていいな~と思う。
もちろん昔のままなわけはないんだけど、なんの隔たりもなく時間を超えて
すぐあのころに戻れて、冗談が言い合える人達。大切にしたいです。
今度はあの広いバルコニーでバーベキューしようね~。
バーベキューセット買って行くから。

楽しい時間はすぐに過ぎて行き、j一家にまたホテルまで送ってもらう。
mちゃんは近くの駅でお別れをした。

また、次の再会の時までsee you later アリゲーター!!!

横浜みなとみらい

2007年04月09日 | Weblog
成田に着いてすぐ、昔一緒に働いていたs子一家に会う。
ここから車で1時間以上も掛かるのに
わざわざ会いに来てくれて感激する。今回はちびちゃんも一緒。
s子もだんなさんもほっそ~いのにちびちゃんはぷくぷくしていて気持ちよい。
二人の栄養を吸い取ってるようである。
Gと私を見て一瞬固まってしまっていたが、別れる時には自分から手を出すようになっていて
いたく感激する。
ほんとに1時間くらい会えただけであったが、s子は変わらず可愛くて中山美穂みたいであった。
(っていったら皆知ってる人はえ~!っていうかも。でも可愛いんだよほんとに)
来てくれてありがとうね~。
今度はバンクーバーで会おうね~。

そして、リムジンバスで横浜へ。このリムジンバス、Gの友達はリムジンと書いてあるから
リムジンの形をしたバス(それも良くわからぬが)だと思っていたらしい。
そしたらただのシャトルバスだったので、なんだよただのバスじゃねーか(またボビーになってる)
と思ったそうです。

夕方ホテルに着いて(下の写真の所です。)またまたひと騒動。
予約していた部屋(ダブルベッド一つの部屋)があまりにも狭く、変えてもらうが、
ツインの部屋とセミダブルの部屋を見せてくれるというので
見せてもらったら、鞄とコートを前の部屋に置き忘れて来たり
決まった部屋の鍵を部屋の中に入れたままドアを閉めてしまったりして
フロントの人はきっと、とんでもない人達を泊めてしまったかもしれないと
思ったかもしれません。
今日の困ったチャン夫婦は私達に決定!というかんじでした。
でも、そんなことはおかまいなしに私達は近くのワールドポーターズの食品売り場を散策。
Gは”あ!マクドナルドだ!あ!ケンタッキーフライドチキンだ!”といちいち声に出して言っていた。
しかし、日本語は読めないので、私になんて書いてあるか教えろとしつこい。
疲れているし面倒なので、書いてあることを適当に言っていたら
空気を察したのか何も聞かなくなった。
そのうちにリカーショップを見つけたので覗いてみる。ものすごくたくさんの種類があって吃驚!
こんなにたくさんの種類があるのに、買ったのはキリンビール。
普通が一番ということでしょうか?
そして、ふたりとも大分疲れて来たのでさっさと今夜の晩ご飯になるものをスーパーで買い
ホテルに帰る。
結局買ったのは、おさしみと串3種類と酢の物、パン。
スーパーにはもうそれだけしか売っていなかった。おさしみは醤油が付いてなくて(こちらのは付いている)
わさびを少しのっけて食べてみる。夜中にお腹が痛くなりませんように~と祈りながら。
Gは初日から、日本のホテルに文句を言っていた。高いくせに狭い、小さい、せこい等。。。
う~ん。
今日は大切な電話をかける日。初めて話す方なので少し緊張しているが
ドキドキしながら電話をしてみたら、思いがけずすんなりと会話が出来て安心する。
包容力のある方であった。ちょもさまありがとうございました。

横浜みなとみらい

2007年04月09日 | Weblog
出発前日に、犬達をいつも預けている友達のお家へ連れて行く。
犬達微妙に何かを察してる様子で、私達のそばを離れない。
が、友達のお孫さんがクッキーを見せたら、すぐ釣られて飛んで行った。
食べ物にはめっぽう弱い犬達。飼い主よりも食べ物が大事ってどういうこと?
食べ物に釣られてる間に私達は帰るが、いつもはちゃんと“いい子にしてて、ちゃんと帰って来るから”と
言い聞かせてその場を離れるので、それが出来なかったから心残りであった。
そのためかどうか分からないが、犬達見捨てられたのかと思ったかどうなのか
お孫さんのお部屋にピーを2回程してしまったらしく(ストレスか?)
帰って来て、ものすごく恐縮した私達であった。

さて、話は飛んで飛行機の中。
実はココからショッキングな事件は起こり始めるのであった。(と思ってるのは私だけかも)
Gの体が大きいため、もし非常口付近の席が空いてたらそこに座りたいと思っていて
(非常口付近の席は前に席がくっついてないため前の空間が広い。
しかし、予約する時に座席指定出来ないため、当日早めにチェックインに行って
確認することになる。)チェックインのカウンターで確認したら、ラッキーなことにとれました。
しかし、体は楽なんだけど、座席のすぐ斜め前はラバトリーで人の出入りが激しい。
しょうがないよね~と言いながらご飯を済ませてしばらくしたら
ラバトリーの出入りも減って来て男の人と女の人が一人ずつ私達の前で待っていました。
そしたら、いきなり女の人が男の人に寄りかかっていったのです。男の人は吃驚してて
助け起こしたら、女の人が”大丈夫”と言ってたんだけど
すぐ意識を失って私達のすぐ横の席に顔から倒れて行ったのです。
私達のすぐ横の席は空席で立ったまま倒れて行ったから、
顔だけ私達の後ろの席に向いたままになっていて、(体は席にゆだねている状態)
嘔吐してしまったのです。倒れた時点で私はすぐフライトアテンダントを呼んでいたんだけど
来るのが少し遅かった。
それに、来たはいいけどその状態から動かさないからどんどん嘔吐してるし
後ろの席の人は呆然としてるし
思わず”とりあえず横にした方がいいですよ”と言って体を動かしました。
私達の前は少し広い空間があるので、そこに顔を横に向けて寝かせて、洋服を緩めて
声かけをしました。意識はもうその時は戻っていたのと、脈も落ち着いていたし、
嘔吐も落ち着いたようなのでいろいろと質問をしたら
ちゃんとした答えが戻って来たので安心しました。自分で嘔吐したのも分からなかったようです。
既往暦を聞くと、高血圧があるらしく薬を飲んでるとのことで今朝も飲んで来たから
それが原因じゃないと思うと言ってましたが、関連があるか分かりません。
しばらくそこで横になっていました。その間フライトアテンダント達は、お掃除に忙しかった模様です。
倒れた方はどこが最終目的地なのか聞かなかったけど(日本からまた違う国に移動することもあるため)
目的地に着いたら念のためドクターに見てもらった方がいいかもしれないことを伝えると
今までこんなことなかったらそうするとおっしゃってました。
しばらくしたら、気分も良くなったようでフライトアテンダントと一緒に席に戻って行かれました。
日本に着く30分くらいに、挨拶に来られて顔色が大分良くなってたので
安心しました。
Gが”僕もいろいろとヘルプしたのに、皆君の所にお礼に来て僕にはないんだろう”といっていて
可笑しかったです。っていうかそれは違うだろ?と思います。(ボビーみたいになってるよ)

それから、日本滞在中に1度あることは2度、3度という言葉があるかどうか分からないけど
2度あることは3度あるという言葉がほんとだったのだということを身にしみて感じることとなるのです。