フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

シベールの丑の日

2010-07-27 01:24:11 | Weblog
昨日は、土用の丑の日ということで、今年は、近所にできた障害者の店で四万十のうなぎを売るという。ポスティングされたチラシ持参で100円引きのサービスとかで早速買ってきました。夏だからシンプルに鰻丼を作りました。


高知県産の鰻は小ぶりだが仁淀川も四万十も他の川のものでも味が濃くて美味しいんだ。障害者の店だから捌いて焼いて売ってるわけではないから鰻肝は手に入らなかった。それで仕方ないからお吸い物なしでセットしたけどカバーしてあまるほど美味しかった。ご飯を少なめにするのが自分流。美味しくいただいて一息ついて新聞を広げると普段は絶対読まないところに何気なく目をやると今月の随想というコラムに「まつだまさたか」という劇作家が書いてることに引き込まれてしまった。;波紋を見つめながら少女が「これは私達の家ね」と言う。1962年に製作された「シベールの日曜日」と言うフランス映画のせりふだ。・・・とあった。冬の公園の湖、水面が二人の顔を映し波紋がゆれてとても美しいシーンを思い出していた。何で、シベールなの?とうれしくなってしまった。こんなに多くの人に影響を与えているんだこの映画はと勝手に決め込んでひとり感慨に浸った。cybeleいいなこの響き。この映画を見たのは中学3年の時だったと思う。勿論、何のことか分からなかったけど不思議と覚えている。ピエールとシベール。大人の社会の了見の狭さ。二人の純粋さ。美しいシーン。公園の場面は中でも一番美しい。その中であの湖面に映るシーンは特別さ。もうこの日はすっかりシベールの日曜日に戻っていた。今でも、胸がジュンとなる。甘い思い出と哀しい結末にふと遠くを見つめるようなまなざしをむける。シベールの途方にくれたラストのまなざし。冬の映画なのに夏でもすっかりまたその世界に入っていった。無償の愛という自分の愛の基本がこの映画で刷り込まれたようなきがしてるんだけどな。松田さんは、劇作家だからこの映画の本質を良く見ているな。ちょうど1962に生まれた人なのに。
コメント
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