薩摩芋郎 STORY

100の議論より100円の寄付。
人生は100の苦しみ1回の喜び。
SHOCHU IS MY LIFE

タニーヤン・ネパール放浪ダイアリーズ12<ベロベロパーティ>

2005-09-27 | Weblog
そこにはブッダが前世に雪山童子として修行し破壊王シヴァがパールバディーと
イチャイチャした聖なるヒマ・アラヤ(雪の住処)が180°パノラマで広がっていた。
18年間観続けた鹿児島のシンボル桜島も雄大壮美で何度も慰め癒された僕だが
ヒマーラヤはそのスケール、神々しさにおいて流石に世界最高峰である。
ビューティフル&セクシー!おもわず無意識に手を合わせちまった。
「・・・・・・・」(これが無の境地か?)
藤原新也氏ではないが何も願わない、ただ手を合わせるだけのちっぽけな僕だった。
しばらく山頂付近の広場で「次はキリマンジャロ観ながら焼酎呑みてーなー」と
ボケーっと休息していたらガイドが今夜の宿の交渉から戻って来た。
宿は山小屋ちゅーか掘建て小屋のようなロッジじゃった。
ヒマーラヤが観れたら宿はどーでもいいんでOKをだし、とりあえずお腹がすいたので
晩飯をとオーダーするが宿の女将から何も無いと言われる。しかたなく湯だけもらい
持参のヌードルを喰う。僕のトレッキングの目的はヒマーラヤ観ながら酒を呑むこと
だったんで眺めの良い広場に行き一人雪山を観ながらダイヤメを始めた。
30分くらい経ち、すっかり黄昏れた頃、ロッジ付近が騒がしくなった。
みると何やら宴会が始まっていた。ガイドに聞くとこの周辺のホテル(山小屋)
宿泊客を地元住民がもてなす恒例のパーティが始まったらしい。
パーティと聞いて僕は疼く。即日本A代表として勝手に参戦。
すぐにイラン人、エジプト人と仲良くなり酒を酌み交わす。
そのうち地元のネパールおじさんがネパールダンスを踊り出すが
トリッキーな動きがどーみても優雅じゃなくテゲテゲでいまいち場がしらけている。
カトマンドゥで観たダンスを思い出し、腰をクネクネしながら僕も一緒に踊り出す。
それまで沈滞ムードの宴会が一気に盛り上がる。調子にのった僕はおはら節や
ディスコ(古)ダンス,空手の型(酔拳風),音楽にあわせテゲテゲ創作舞踊を披露。
拍手喝采、というか笑いの渦となる。みんなも次第に踊りだし輪になって踊り
狂い始めた。ガイドも「サイコー」とベロベロになり覚え立ての日本語で叫ぶ。
いきなりベルギー人の女性が抱きついて来た。
Oh!夜の国際交流も期待しちゃおっかにゃ~!(国際問題になることはなかったス)
ベロベロになった地球人達はキャンドルと自家発電の怪しげな灯りで空気の薄さを
すっかり忘れベロベロヘロヘロになり一人また一人撃沈していったのであった。

*ベロベロパーティ(おはら節を踊る現地の子と後ろがイラン人)

タニーヤン・ネパール放浪ダイアリーズ11<ダンプスへ>

2005-09-22 | Weblog
1995年4月1日、快晴
6時に起床。ポンポンも調子良さそうだ、ブリッと快便。ちょっくら散歩にでもと
すぐ近くのペワ湖に出掛ける。キラキラ朝日をうけ光る湖畔でしばし瞑想。
小鳥のさえずりにココロもカラダも清められすっかりリフレッシュできた。
それからのんびりおみやげ屋さんを覗いたり洒落たレストランで朝食兼昼食を
摂ったりしてまったりした時間を過ごす。ホテルに戻りシャワーでクールダウン後、
トレッキングの準備。もちろん命の水、地酒もちゃっかりバックに忍ばせる。
15時頃ガイドとトレッキングの拠点ダンプスにタクシーで向かう。約30分で到着。
1泊2日のトレッキングのスタートだ。
いきなり急な坂道を一歩一歩踏みしめ「修行、修行」と呟きながら黙々と登る。
道の周りは手つかずの林になっておりフィトンチッドを感じながら頂上を目指す。
1時間ほどで小さな村の美しい樹形がシンボリックな休憩ポイントに到着。
樹の下に女の子が苦しげな表情で踞っていた。ガイドが声をかける。
よくみると裸足の足裏が傷つき出血していた。
僕はデイパックから塗り薬と数枚のリバテープを取り出し止血、応急手当をする。
ニッコリ微笑みなにか語りかけてきたがよくわからず僕も微笑みだけをかえした。
それからさらに2時間程登りようやく頂上にたどり着いた時はすっかり夕暮れだった。
*小さな村の少女

タニーヤン・ネパール放浪ダイアリーズ10<ポカラ到着>

2005-09-15 | Weblog
高所恐怖症の僕は固まっていた。
推定年齢30才のオンボ老機の機体はガタガタブルブル軋む。
高所恐怖症で閉所恐怖症の僕の身体もガタガタブルブル震える。
怖い、腹が痛い、足が臭い。
煙草をくわえキャップを斜めに被ったまるでトラックの運ちゃんのように片手運転
しているパイロットが貧乏揺すりしながら
「今日は天気がよかけん、ちょっとヒマーラヤ廻っちゃろうか」
みたいなネパール語を言いながら急旋回しさらにビビる、不覚にもチビる。
しかし、壮大な聖なるアンナプルナ峰やマチャプチャレが眼前で観られ感動するが
怖い、腹が痛い、足が臭い。パック旅行の欧州系女どもがキャーキャーうるさい。
約50分で整地してないダートでデンジャラスなポカラ空港にグガガガーと到着。
掘建て小屋みたいな空港デスクでリコンファーム後、表に出ると客引きが
ヨン様にむらがるおばちゃんのように僕を取り囲む。イタリアのジプシーと違って
物取りはしないがほとんどが中学生位の子供の客引きだ。僕はその中から賢そうな
20才位の若者を素早く捕まえ値段交渉する。無事交渉成立後、彼のオンボロ四駆で
ホテルの向かう。車窓からも見える神々の座ヒマール(雪山)の輝きが美しい。
10分程でホテル(といっても民宿みたいな)に到着。
即、トイレに直行。ふんばるがでねえ。屁もでねえ。
吐き気と腹痛のままベッドに倒れ込み仮眠をとろうとするが眠れない。
腹もへったんで近くのコンビニ(といっても万屋)でヌードルとノンガスのウオータ
を購入しホテルでお湯をもらい喰うが不味い。
明日のトレッキングの予約をフロントでいれ早々にベッドインし、唸りながらも
いつのまにか眠りについた。

*機内からヒマーラヤを望む


タニーヤン・ネパール放浪ダイアリーズ9<そしてポカラへ>

2005-09-13 | Weblog
1995年3月31日、快晴
あんだけ地酒を呑んだのに不思議と二日酔いもなく朝6時にすっきり目覚めた。
今日は第2の目的地「ポカラ」へ向かう日だ。AIRまで時間があったのでMr.Suddに
教えてもらってた、あまり観光地化されてない地元の寺院、通称「モンキーテンプル」
に徒歩で向かう。あたりが徐々に明るくなり始め、振り返ると朝日が昇ってきた。
横たわる菩薩のような山々の背後から後光を放つようにでかい太陽が顔を出す。
カトマンドゥの町並みがキラキラ宝石の様に美しく煌めく。横の小猿と一緒に拝む。
30分程で文字通りお猿さんが多い大分の高崎山みたいなテンプルに着く。
本寺院までの急な階段には物乞いも猿の次に多い。寺院で祈りお布施し、若い修行僧と
世間話した後ホテルに戻りトレッキングの準備をしてタクシーで空港に向かった。
国内線の待合室で急に便意をモヨオしトイレに駆け込む。
「臭い・・」鼻をつまみ大の扉を押す。
「臭い・・うえっ」(あのときの情景を思い出すだけで焼酎まで不味くなる。)
便器は糞のてんこ盛りである。足の踏み場もない程内部は糞まみれである。
鼻と腹を押さえ外にダッシュで飛び出す。吐きそうになる。というか吐いた。
目まで悪臭で痛くなる。目はショボショボ、鼻は曲がる、腹は痛い、靴は臭い。
最悪のコンデションで2時間遅れで到着した30人乗りのオンボロ機
『AIRヒマーラヤ』に搭乗した。

*テンプルにて「命の灯」にひたすら祈る

さよなら哲郎君

2005-09-09 | Weblog
哲郎くんが昨夜22時52分永眠されました。享年9才。
やさしい笑顔で静かに眠っているそうです。
http://tetsuro.townscope.net
天国で思いっきり遊んでください。
最後に笑顔をみせるとは、凄い子だ。
合掌

*原因が解らず治療法が確立されていない子供の難病は500種類以上、
 日本だけでも20万人以上が今日も懸命に生き苦しみ病気と闘っている。
「郵政法案、郵政民営化って選挙カーがうるさくて眠れないよ。
 難病患者を救う法案を先につくってくれないかなー」
 と思ってる子供もたくさんいるような気がする。
 難病の子供達(特に急を要する)を救う法案(基金)早期成立を切に願う。