薩摩芋郎 STORY

100の議論より100円の寄付。
人生は100の苦しみ1回の喜び。
SHOCHU IS MY LIFE

新春鹿児島弁講座・上級者篇<ちんがらっな夜>

2007-01-12 | Weblog
ある夜の天文館における、酔っぱらい同士の喧嘩の会話(同時通訳)
「こんうそひっかぶいが!」
(この弱虫の嘘つきが!)
「わいこそ、でよたごしっせい!」
(君こそ、気が狂ったのか!)
「うえあ!なんきしかゆか!」
(貴様!何を言うか!)
「やっかうえあ!」
(やるのか君!)
「いっとこけけ」
(ちょっとここに来なさい)
「ないごておいが、そけいっちょお」
(なぜ俺がそっちにいかんといかんのか)
「ぎをきしかゆな!」
(文句を言うな!)
「うったくっど!」
(殴りまくるぞ!)
「すたあど!」
(ボコボコに殴るぞ!)
「おなごんけされが」
(女の腐ったような奴が)
「がんたれのずんだれが」
(おんぼろでだらしない奴が)
ゲホッ・・オエーー(喧嘩の二人が吐く音)
『いして~こんわろどみゃ』〈ここで喧嘩の仲裁のおにいさんが登場〉
(うわ~この野郎達は)
いんのこめかよくろんぼは、ひっころんではっせえ
ほかんあにょにがられた。
(いつの間にか酔っぱらいは、転んでもどして
 他の兄さんに叱られた)
*タイトルの
 ちんがらっ
 (滅茶苦茶)
*なお、同通の私は大隅半島の隅で生まれ、薩摩半島で育っている
 ため、一部訳にスラング、訛りがあるんで、うぜろしかこまかこっ
 (うんざりする細かいこと)は言わないようにお願いする。
*写真は鹿児島の開聞岳麓を思い出す菜の花(BARにて)

新春鹿児島弁講座・初級者篇<こっが、いて>

2007-01-10 | Weblog
「こっが、いて」
→腰が痛い。
*愛犬ハルとのうんちトラブルの後、お気に入りのダウンを
 庭の蛇口で無理な体勢(中腰)で洗ったら腰が痛くなった。

〈応用編〉
「わっぜ、こっが、いて」
→とても、腰が痛い。
*先日、仕入れた焼酎の一升瓶を自転車でバーまで運んだら、
 さらに痛くなって今日に至る。ちなみになぜか奥歯も痛い。

〈バリエーション・中級者篇〉
「わっぜ、むぜ」
→とても、可愛い。
*鹿児島に出張して、天文館のクラブやスナックのホステスや
 隣に座った女性に言うとモテるフレーズ。悪用しないように。

きのうのつづきをたんたんと

2007-01-06 | Weblog
今、顧みれば
10代の頃は「死」は身近なものではなく考える機会もなく
(僕が生まれた時は既にばあちゃんもじいちゃんも他界してたことも
 あり)20才の頃、友人の死で少し「死」について考えだしたけど
20代はむしろ、友人の結婚など幸せなハレの機会に接することが多
く同時に、仕事のことや恋などで悩み始め、プチうつ状態になり死=
自殺も意識したこともあり(すぐ思いとどまったけど)
30代になると会社を初めたこともあり、月末の支払いや借金で毎日
のように悩み(これは今もか・・)、不眠にもなり焼酎や誘眠剤に頼
る日々も続いた。(それでもやっていけたのはきっと家族、子供に救
われてたんだろうな~)
しかし、40代になると身近な人の「死」に接するケの機会が増え、
その度に悲しみ泣き、同時に人に対しての慈悲の心や思い遣る気持ち
が増大し(生命の終わり[人に限らずペットなども]は死という形で
教戒してくれる)、悩みを払拭するかのように少しずつ僕の心を支配
するようになってきた気がする。
(亡くなられた先輩の足元にも及ばないけど)
比較するにはあまりに偉大すぎおこがましいけど解りやすい例として
マザーテレサさんの表情が慈しみに溢れ、観音菩薩のような優しい笑
顔なのは何万もの人を助けると同時に何万もの人の死に接しているか
らであって。晩年のオードリーヘップバーンさんもしかり。
沖縄や奄美のおばあの顔もしかり。

苦しい時、悩んで死にたくなった時(最近はないけど)想うようにし
てたことがあります。
自分の苦しみ、悩みがなんぼのもんじゃい。
難病に苦しみ「友達とドッヂボールがしたい」「父ちゃんとキャッチ
ボールがしたい」「一度でいいから恋をしたい」そんなことさえ叶わ
ず病室で何年も隔離され死んでいった子供達が何万人もいる。
「もうすぐ視力を失う」「生まれながらに目が見えない」
子供も大人も世界中に何万人もいる。
と。

*難病といわれる疾病は約1万種以上。特定疾患の認定を受けている
のは121疾患。医療費の助成(控除)対象はわずか45疾患
(約54万人)。
(ソース元/この記事の3日後、放映されたTBSの番組より)
あろうことか、厚生労働省は更に、難病への補助を削減する方針らしい
「美しい国」の実態はこんなもの。

彼(あ)の世は、此(こ)の世<死を想う>

2007-01-05 | Weblog
「ねえ・・tanyは死にたいと想ったり、不眠症になったことってない?」
「あるよ、何度も。何十回も・・」
 昨夜、某さんとのトーク。

年末30日、21時52分。BARにかかってきた後輩からの電話で僕は
先輩の突然の死を知らされた。
それから約30分後、後輩二人がBARにやってきて、詳細を聞かされた。
享年52歳。他のお客様にさとられないようにテーブル席でそのあまり
に早すぎる死を悼み献杯した。後輩は人目を憚らず泣いた。僕は必死に
堪えた。31日、大晦日。葬式がしめやかに営まれた。
制服姿で泣きじゃくる残されたお子さんを見て、涙が止まらなかった。
優しい先輩だった。人に対する気遣いは敬服に値した。僕の心の中には
「人には優しく接しなさい。人への気遣いを忘れるな。」という言霊が
しっかりと銘記された。
お正月、焼酎を呑みながら「先輩のご家族はどんな思いで正月を・・」
と考えると、また泣けてきた。